第二十六節 仲間割れ
「何だってあんなことを! よりにもよって殺しちまうだなんて!」
叙修は頭を掻き毟り、ぐるぐると同じ場所を歩き回りながら悪態を吐いた。街から離れ、街道からも離れた林の中で、白銀白虎の面々が小さな焚火を中心に輪を囲んでいた。
「三弟、何がそんなに気に食わないのさ。あの小娘がいけないんだよ、あたしらに盾突こうだなんてさ。あんただってあの小娘には禍根があったんだろう? 斐剛がそれを断ってくれたんだから万々歳じゃあないか」
「それに三兄はここいらじゃ顔が利くって言ってたじゃないか。大したことないだろう?」
沙春昭と閻厖が言うのへ、叙修はぎろりと鋭い視線を向ける。
「何が万々歳だ。衆目の面前で堂々と人を斬る奴があるか! それにいくら俺の叔父上が役所の高官だからって、これほどの事態を収拾できるはずもないだろうが!」
「口を慎みな、叙修!」
兄弟序列ではなく本名で沙春昭は一喝した。ちら、とその視線は無言の長兄、斐剛に向けられている。今の叙修の発言は長兄に対して異を唱えるものだ。聞き逃されるはずがない。
もちろん、叙修もそれは重々承知だ。ハッ、と鼻で笑って、
「怒りに駆られて小娘を斬り伏せたとなれば、今後はどんなに徳行を積んだところで英雄好漢の名声は得られまい。白銀白虎の名はもはや地に落ちたぞ。――長兄、あんたのお蔭でな!」
ズダンッ! 突如、斐剛がすぐ側の大木に向かって一撃を放った。一拍遅れてみしみしと音を立てて大木は圧し折れてしまった。
「叙修、それはどういう意味だ……?」
静かに低く言う斐剛の声には怒りが満ちている。叙修は息を呑んで視線を落とした。確かに、自分は今過ぎたことを言ってしまった。斐剛を本気で怒らせれば己の命はない。それに、あの小娘に対して自分が義理立てをする必要など欠片もない。そもそも、白銀白虎に難癖をつける方が悪いのだ。
(そうだ、俺たちは何も間違ってなんか――)
――兄貴は間違ってる!
――俺たちは兄貴のためを思って言ってるんだぜ?
「……」
叙修の脳裏に、不意に馬参史と閔敏の言葉が蘇った。見下ろした先には、彼らによって汚された緑袍。しかし叙修はそれを不快には思わない。彼らは叙修の帰還を心から喜んでいた。そのぐらい彼にもわかる。そして、彼が白銀白虎の一員であることに心から落胆していたこともわかっていた。
(何が間違いで、何が正しいのか? 俺はまだ目を覚ましていないのか?)
「どうしたんだい? 早く長兄に頭を下げないか!」
「長兄の功力に腰が引けて言葉も出ないのさ。そうせっつかなくても良いじゃないか」
沙春昭が急かし、閻厖が茶化す。
ふ、と叙修の口から笑声が漏れた。それは失笑に近い音を含んでいた。
「まったく、その木が長兄に何をしたんだか。そんな風にあんたが短気だから、白銀白虎は長安を追われることになったんだぞ、わかっているのか?」
「三弟! おまえこそ自分が何を言っているのかわかっていないようだね!」
沙春昭が立ち上がり、剣の柄に手を掛ける。叙修はぱっと飛びのいて手刀を構えた。
「莫迦じゃねぇんだ、自分が何を言っているのかぐらいわかるさ。俺はあんた達とは縁を切って、金輪際関わりたくないと言っているのさ!」
叙修は自分で言って、ぶるりと体を震わせた。勢いに任せて言ってしまったが、侠客稼業の世界では一度足を突っ込んだ組織からそう易々と抜け出すことはできない。しかも、わざわざ苦労して白銀白虎の三番手の座まで手に入れたのだ。未練があるわけではないが、そこまでどっぷりと浸かった輪からただ一言で逃れられるはずもない。――だが、それは本心である。
「三兄、何て事を!」
頭の良くない閻厖は言葉通りに受け取って、早速強硬手段に出ようとする。八稜錘を腰帯から引き抜くや、えいっと掛け声を上げながら振り下ろす。普通ならば地面を転がって避けようとするところだが、叙修はむしろぱっと飛び上がるや、空中で体を捻って八稜錘をやり過ごす。そのまま振り下ろされた閻厖の両手首に着地するや、その鼻先を蹴飛ばした。ぎゃっと悲鳴を上げて閻厖は仰向けに倒れ、焚火の火を押し潰した。一転して辺りは闇に包まれた。
「三弟、逃げようたってそうは行かないよ!」
沙春昭が剣を鞘抜く。叙修はもうどうにでもなれと鼻で笑った。
「うるせぇや。俺は元々お前らなんかとつるむ気なんて更々なかったんだ。いい機会だ、これでおさらばさ!」
叙修は金剛智大師に敗れてから故郷を飛び出すと、一時はまともに生きようと長安で商いを始めた。しかしながら生来粗暴でしかも何不自由なく暮らしてきた彼が商いに向いているはずもなく、一年と経たずに店は潰れてしまった。それで借金の取立人に追われて思わず武芸を用いてこれを迎え討ってしまったのだが、それが取立人の頭の目に留まった。紹介されるままに白銀白虎に加盟させられ、その働きで借金を返すように迫られたのだ。そうして叙修は任侠の世界に舞い戻り、いつしか望みもしない「天嘯飛虎」の異名を戴く白銀白虎の三番手となったのである。
「義兄弟を見捨てるのか。三兄、なんて酷い奴なんだ!」
閻厖がそう言いながらぶんぶんと八稜錘を振り回す。全く周囲が見えていないのに危なっかしい事この上ないが、白銀白虎頭目の面々にしてみれば風切り音で圏境を測るのは造作もない事である。
「溟弟、左に回れ。春昭は右だ」
斐剛の指示が飛ぶ。応答は無いが左右にササッと誰かが移動したのはかすかな物音と気配でわかった。
(溟封子の双剣をやり過ごすのは面倒だな。ここは春昭の剣を奪い取るか)
叙修は特に己の武器と言うものを携行しない。というのも、自身の武芸が徒手空拳に特化したもので武器術に応用するには不向きであると知っているからだ。しかしながらその反面武器を手にした相手から得物を奪い取る技量にかけては右に出る者はいない。ヒュン、と剣が凪ぐ音を聞くや、先んじてぐいと踏み出し、剣を持つその手首を掌で押さえた。あっ、と沙春昭の声。そのまま掌を走らせて鍔に引っ掛け、その手からもぎ取ろうとする。
――その瞬間、足首に激痛が走った。
「うぐっ!」
突然のことに叙修は飛びのいたきり動けない。暗闇の中痛んだ右足首に触れてみれば、ざっくりと斬り裂かれて血が流れ出ていた。
カチン。火打石が鳴って、再び火が灯された。照らし出された光景を目にして、叙修は驚いた。
閻厖は八稜錘を頭の上でビュンビュンと鳴らし、その足元では上着を脱いだ溟封子が火種を持って松明を灯そうとしている。上着は先ほど何者かの気配が移動したと思った場所に落ちており、まんまと一杯喰わされたのだとわかった。沙春昭は予想通り剣を凪いだ形で立っていたが、その足元には朴腿式の極めて低い体勢で剣を手にした斐剛の姿があった。閻厖のすぐ横をすり抜けて斬撃を放ったのだと見て取れる。
(春昭はおとりか! しかし頭の回転の悪い閻厖までもが協調して咄嗟にこんな戦法を取るとは思えないが……)
叙修の疑問を感じ取ったのか、擦れる声で溟封子が言った。
「三兄が私たちに反旗を翻そうとしているのは、ずっと前からわかっていました。だから私たちはずっと前から、三兄を捕らえるための陣形を練習していた」
「なんだと……?」
叙修は愕然とした。まさか己が胸の内に秘めていた思いが、かくも容易く見抜かれ、しかも対抗策まで講じられていたとは。
茫然自失となった叙修は、とんと体を突かれて腕が痺れ、ようやく点穴を施されたのだと知った。
「お前の処分は後回しだ。まずは俺たちを大明寺とやらに案内してもらおう。そこで武芸書を見つけたら、今度はあの梁とかいう小娘の家に行くぞ」
「な、何の為に?」
問われた斐剛は、ふふんと鼻を鳴らす。
「当然、俺たちの事を知った奴らを皆殺しにするのよ。まあ、それは街全体に火を放った方が手っ取り早そうだがな。その後は俺たちについて調書を作っただろう憲兵の詰所に向かう。白銀白虎がこの街に来た一切の痕跡を消し去るのだ」
もちろん、と斐剛はその顔に凶悪な微笑を浮かべた。
「お前にはそこで、憲兵の一人と刺し違えて死んでもらうがな」
「――!」
斐剛は己を粛清するだけでなく、身代わりとして捨て去るつもりだ。そしてそんなことになれば、高官である叔父や親戚にも迷惑をかける。そんな屈辱には耐えられない。いっそ舌を噛み切ろうとした時、口に布きれを突っ込まれた。
「三兄……いや、お前さんはこの先、ただ先を歩いて道を示せば良い。わかったな?」
溟封子のかすれ声が耳元で。叙修は為す術なく、恥辱にはらはらと涙を落とした。
「さあ、夜は更けた。夜明けまでに一切を終わらせて、こんなところからはおさらばだ!」




