朝になると、彼がなかなか起きてくれません
新婚って、何を言ってもノロケにしか取ってもらえません。
「ほらっ、朝よ。起きて」
「いーやーだー。キスしてくれないと起きない」
布団の中で駄々をこねる彼に私は呆れている。
「今日は学校でしょう?いい加減に起きて」
そう言ってから、鼻の頭を軽く噛んだ。
「ちょっと。それはなしだろう?」
ガバッと起きた彼の額にチュッと音を立ててキスをした。
「おはよう。ご飯できているわ」
「ありがとう」
彼は渋々と起き上がって浴室に向かう。朝、彼を起こすのが一苦労。
私は大きく伸びをして、ふんわりとオムレツが出来るように牛乳を入れて卵をかき混ぜた。
シャワーを浴びてバスタオルを羽織ったままの彼がペタペタと音を立ててダイニングにやってくる。
「もう、髪が濡れているわ」
「だって、お前が乾かしてくれるんだろ?」
「まあ、そうだけども……とりあえず食べてて」
私は彼の頭を軽くタオルドライを始める。
いつもな毛先が癖っ毛でくるんとしているんだけど、今は水を含んでストレートヘアーだ。
私はスタイリング剤をなじませてから、軽くドライヤーで乾かしていく。
大まかに乾き終わった彼の毛先を少しだけセットして終了。
私が髪を乾かしている間は、のんびりとコーヒーを飲んでいる。
「終わったわよ」
「ありがとう。それじゃあご飯を食べよう」
私は彼の隣に座って両手を合わせた。彼も同じように両手を合わせる。
「「頂きます」」
同じタイミングでトーストを食べ始めた。
何気ない、いつもと変わりない朝だけど、これが私には嬉しくて堪らない。
「毎日同じ光景を満足できる美紀は本当にかわいいな」
「だって……陸人とこうして過ごせるだなんて……」
「分かっているよ。それは俺も同じだよ」
陸人は私が大好きな笑顔で見つめている。あぁ、幸せ。でもここで浸っているとまずい。
「陸人。ほら、急がないと学校が」
「そうだった。今日は講師の日だったっけ。ありがとう美紀」
彼も慌てて朝食を食べ始めた。
私達は、元々は同じ幼稚園だった。小学校でバラバラになってしまった私達が再会したのは、それから約20年経った頃。ひょんなところから私の元にお見合いをしないかと親から持ち込まれた。どうしても断れない相手というので渋々当日言ったら相手は陸人だったという訳だ。そこからトントン拍子に話が進んで入籍も済ませて今は4月の結婚式を待つだけだ。
「ああ。俺も一緒にいたいのになあ」
「そう言ってもお仕事しないと」
「分かっているよ。今日は、早く帰るよ」
「本当?」
「初めてのバレンタインだよ。二人きりで過ごしたいよ」
「分かったわ。それじゃあ私もご飯を用意して待っているね」
玄関前。彼を送りだす為に私も一緒に玄関に行く。
私が持っていた鞄を彼に手渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。それだけ?」
「じゃあ、ちょっと屈んで?」
私は彼に屈んで貰いたくてお願いする。彼は私の言われた通りしてくれたので少しだけ目線が近くなった。
「いってらっしゃい。愛しているわ」
そう言ってから、私は彼にキスをする。合わせるだけの軽いもの」
「足りない。もう一回」
彼には物足りないみたいで、おねだりされてしまう。
仕方なく、私はスマホの画面を見せた。
「陸人、遅刻になっちゃうわよ。帰ってからね」
「分かったよ。それじゃあ行ってきます」
一人自宅に残された私は、早速家事の続きを始める。
彼の理科系大学の大学院で研究をしているのだけども、週に3日程大学の付属の高校で教師をしている。今日はその出勤日だ。正しくは付属高校の入試日でその試験監督に駆り出されたのだ。
テストは明日まである。最近の彼は学校に行くのを嫌がる。
気持ちは分かってはいる。バレンタインデーが近いからだろう。
私が女子高生の頃もそうだったけど、若い独身男性という事でどうも人気があるようだ。
どうも生徒さんに、今日の予定を聞きだされているようでのらりくらりと交わしているとはいうものの顔はちょっとお疲れみたいだ。
今日はついに行きたくないって言いだした。仕方ないから、夜に渡す予定だった生チョコを一粒だけ味見として食べさせたのだ。
私達の事は、学校には報告しているけれども生徒までは知られていない。
結婚指輪は……今日出来上がる事になっている。彼がジュエリーショップに取りに行くことになっている。
そして私は、今夜の夕飯の支度をしながら、自分の仕事をのんびりと始めるのだ。
そんな私の職業は小説を書く仕事をしている。ジャンルとしては一般紙ではなくて、若者向けのライトノベルがメインだ。時折少女小説を書くときもある。
昨日の夕方までは、連休ごろに発売予定の原稿を書き上げていた。
今日は完全にオフの予定だから、ここのところ溜めてしまっていた同業者からの献本とか雑誌を読もうと思っていた。
最初は、ラノベの雑誌。先週末の発売で時期的にバレンタインをお題と依頼があったものだ。先方にどれを選ぶかお任せという事で、何本かジャンルを変えて送ってみた。
最終的に掲載されたのは、自分が学生時代の思い出を書いたエッセイと学園コメディーを今年は使います。残りは来年までお預かりでも構いませんか?ときていた。
未収録で埋もれるのも嫌なので、それはそれでよいと返事をしてある。
明日からは件の雑誌のホワイトデーか卒業をお題にしたものを依頼されたので早々に片付けてしまおうと思っていた。けれども、卒業に対しては作品の方向性が分からないので少しだけ調べたいものがあるので後で調べようと思っている。
午後2時を過ぎると彼から仕事が終わったので、ジュエリーショップに寄ってから帰るとメールがあった。今日は私が仕事をしていると思ったのだろうか?
メールに返信をした私は、キッチンに向かって今夜の食事の準備をする。
明日も学校に行かないといけないけれども、初めてのバレンタインなので、自宅で過ごそうという事になっている。
ただ、彼と一緒に作るって約束になっているので、野菜を切ったりする程度で私は作業を止めて、再び調べ物を始めるのだった。
やがて、玄関のベルが鳴る。誰かと思ってドアスコープから覗くと彼が戻ってきた事が分かった。私はチェーンキーを外してから鍵を開けた。
「ただいま」
「お帰りなさい。まずは着替えるんでしょう?どうぞ」
私は彼の鞄を預かって寝室に向かう。
「夕飯を今から作って少しだけ外に行かないか?」
「大丈夫なの?生徒さんに見られない?」
「別に。夫婦だし、問題ないだろ?」
彼のお誘いはとても嬉しいので私達は夕食を作ってから少しだけ外出することにした。
「で、今日は何をしていたんだい?」
「来月の雑誌の以来の原稿のアイデアをまとめたり、雑誌を読んだり」
「相変わらず忙しそうだな」
「そうでもないわよ。私……これでも仕事のペース落とした位だもの」
「そうなのか?少しは外に出た方がいいぞ」
「そうね。運動不足じゃ困っちゃうものね」
「運動不足はないだろう?毎晩運動しているじゃないか」
彼が私の耳朶を軽く噛みながら囁く。
「その運動ではありません。まずはウォーキングからです」
「朝、俺と一緒に駅前まで行くか?コーヒーショップのモーニングでも食べるか?」
自宅から駅までは約1キロ離れている。朝の運動には丁度いいのかもしれない。
「考えておく。寒さ対策はしないといけないね」
「そうだな。さあ、食事を作ってしまおうか」
私達はお揃いのエプロンを身につけてキッチンに向かった。
「さあ、散歩に行こうか?」
「うん」
私達はダウンコートを片手に玄関に向かう。
「俺からのバレンタインはコレな?」
彼はそう言うと、手触りのいいオレンジ色のマフラーを渡してくれた。
「ありがとう。いつ用意したの?」
「それは秘密です。お前マフラー持ってないだろう?」
確かに私はマフラーを持ってはいなかった。寒そうに見えたのだろうか?
「うんうん。お前によく似合っているぞ。さあ行こうか?」
「手袋は?」
「手を繋ぐからいらないだろ?」
ドアのカギをかけた彼に左手を掴まれてコートのポケットで手を繋ぐ。
「これなら暖かいだろ?」
「うん。暖かいね。それに付き合い始めたカップルみたい」
「俺達もそうだろ?お見合いとは言ってもまだそのお見合いから2カ月もたっていないぞ」
そうだった。私達のお見合いは年末のクリスマス寒波がやってきた頃だった。
年が明ける頃には、このマンションに私達が引っ越してきて生活を始めた。
そのせいか、未だに実家から運んでくる荷物があったりするのはご愛嬌だ。
私達は、指を絡めて手を繋ぐ。家からほど近い公園の側の喫茶室を併設したパン屋に向かう事にした。
ここのパン屋のクロワッサンが好きでたまに買いに来るのだけど、人気店なので変えない事もある。今日はバレンタインのせいなのか、夕方なのに販売していた。
私は嬉しくてちょっと多めに購入した。その後、喫茶室でカフェモカを二人分注文した。
暫くしてからカフェモカが届いたけれども、いつもと違う香りがする。
ほんのりと香るキャラメルの香り。
「本日はバレンタインなので店より、ささやかなプレゼントです」
そう言われて、私達の前にはサンプルと表示されたラブミラクルポーションの瓶があった。
「これ、学校の生徒も騒いでいたな。恋のおまじないがあるとかなんとかで」
流石、現役教師(非常勤だけど)だ。こういう事に対しての情報は早く仕入れてくれるので私の作品のヒントになる事もある。
「あら、先生なんですね。大変だったんじゃないですか?」
「そうでもないですよ。愛する奥さんのだけでいいと断って、くれた生徒と一緒に食べましたよ」
彼らしい対応だなと私は思いながら、彼と店員の話を聞いていた。
彼曰く、やはりチョコあげるって気持ちの透けすぎるチョコもあったそうだ。
それらの気持ちを真摯に受け止めた上で、丁重に断ったそうだ。
それでもって食い下がった子達とは、持って帰れないから今食べるのであればという事にしたそうだ。それでいいと言った子達数人と、化学準備室内でお茶会を開催する羽目になったとか。
「御苦労さま。陸人らしいわ」
「美紀は今日は何をしていたんだい?」
「次の作品の資料集めと、溜まっていた雑誌の整理かな」
「美紀らしい生活だな。今夜食事はどうする?」
「家にちゃんとあるわよ。後は温め直すだけ」
「そっか。それなら帰ろうか?」
カフェモカを飲み終わった私達はパン屋を後にして来た道を戻ることにした。
「「ただいま」」
二人で無人の家に言いながら入る。
入って、下駄箱の上に買ったクロワッサンを置いた途端に彼に力強く抱き寄せられる。
「陸人?」
「美紀が足りないんだ。お願い。ご飯の前に美紀が欲しい」
靴を脱いだ途端にお姫様抱っこで寝室に連れて行かれてしまう。
「陸人!!ちょっと待って」
「嫌だ、今日は夜まで待てない。文句は後で一杯聞いてあげるから……ね?」
その彼の一言の後に私はシーツに縫い付けられてしまった。
彼が満足するまで貪られてしまってベッドから出られなくなってしまって、夕食どころではなくなってしまったのは、やっぱりあんまりだと思うの。
「ごめん……美紀……。美紀が可愛いのがいけないんだよ」
「そんな言い訳を聞きたいわけじゃありません。ご飯……」
「これなら、食べれるだろう?起きて?」
彼に抱き起こされると、ベッドサイドのローテーブルにグラタンが置かれていた。
「後のご飯は明日の朝にしよう。さあ、口を開けて」
彼に促されるままにベッドでグラタンを食べて、そのまま一晩ベッドで過ごしてしまうなんてその時の私は知る由もありませんでした。
もちろん、翌日の朝の攻防戦も。
大人恋愛をご所望でしたら、「ラブミラクルポーション 私と彼の初めて」でムーンライトノベルverもございます。
甘過ぎて、めまいを起こされても、当方は責任を負いかねます。