2-2<臨海都市アーリントン2>
『病と言えば妾の出番じゃ』
厚手の遮光幕が引かれ、炊かれたばかりの沈静用の薬香の匂いが立ち込め始めた薄暗いエーリカさんの寝室で、周りの沈痛な空気を一切無視してマールが楽しそうな声を上げた。
『病と言えば妾の出番じゃ』
何故2回言った? いや、それは兎も角としてだ。
「マール、エーリカさんの病状に何か心当たりが?」
一応確認してみる。
「あるのか!?」
「本当ですか!?」
「本当ですの!?」
同じくエーリカさんを見守っていた女性3人の声が続く。
メリア、ソフィー、そしてメリアの妹のメルディアさん。
エーリカさんに言いくるめられ出撃の準備をしていたらしいのだが、飛んできたらしい。
ソフィーより1つ年下で、メリアそっくりの赤髪を長く伸ばして後頭部で纏めたふわっとしたポニーテール、同じく赤く垂れ目がちの瞳。身長はソフィーと大差なく、ほんの少し低い程度。
男慣れしていないのか人見知りなのか、寝室に飛び込んできてそこに居た俺に気づくなり、いきなり飛び跳ねるように驚き、その後もメリアの影に隠れつつちょっとオドオドしつつも何とか強気に対応しようとする態度を取っていた。
見た目は庇護欲を掻き立てるタイプ、といった感じなのだが………何処か、違和感を感じる。
『ないの』
マールの返答に3人娘+セバスさんの空気が揃って沈み、暗くなる。
いけない、メルディアさんの見た目の感想を述べている場合でもない。
『じゃが診てみれば何ぞ分かろう。病が妾に抗しようなど片腹痛いわ』
ぴょんと俺の頭から寝台に降り、既に意識を失ってうなされているエーリカさんをマールが診察する。
目を開き、口を開き、肌をつついて確認。ぐるぐる回って触診、耳を当てて……心拍数でも見てるのか?
『分かった。』
しばらくそうやってあれこれ調べていたマールが、あっさりとそう口にした。
「本当か!?」
「本当ですか!?」
「本当なんですの!?」
さっきと同じように叫び3人娘がマールににじり寄る。
『うむ。重金属中毒の一種じゃな。こんなものにかかるのは相当のレアケースじゃが。』
「じゅ……う?」
「重……金属中毒?」
「中毒……ですの?」
「聞き覚えの無い病ですね」
今度は3人揃って困惑。さらにはセバスさんまで難しそうな表情を浮かべている。
ふーむ。
重金属中毒。
重かは兎も角として金属の中毒、と聞いてイタイイタイ病とか水俣病とかが社会の教科書に載っていたのを思い出す。
随分と昔の記憶なので曖昧だが、確か「工場の排水が原因で下流の村が〜」とかそんな話だったような。
けれどもこの国の最大規模の水源であるというウルラス川は、工場廃水なんて縁が無さそうなぐらい綺麗だった。どういうことだ?
「工場廃水なんてあるのか?」
とりあえず、聞いてみる。
『ないじゃろ?』
「じゃ、なんでそんな病気に?」
良く考えたらそもそも工場なんて物があるかも怪しい。
「また異世界知識なのか…」
「ですが、今は頼もしい限りです。」
「治療法はあるんですの…?」
『おお、そうじゃ治療じゃったな。』
よっと、とマールがうなされているエーリカさんの顔の前に回る。そしてそのままぶちゅーっとキスをした。
「「「「「……………」」」」」
『んーーーーーーーーーーーーーよっと。ぺっ』
暫くそうした後、ガラン、とマールの口いっぱいに頬張られていた金属塊が吐き出される。
…確かに、重金属中毒って言ってたけど、こんな治し方ありか?
そう思っていたらまたマールがキスをして、吐き出す。
ガラン、ガラン、ガラン、合計4つ吐き出した所でマールがキスをやめた。
『ふいー。治療完了じゃ。あちこち痛んでおるから治癒魔法をかけてやれ。後は…そうさな、3日もあれば元気になるじゃろ。』
「本当なのか!?」
「治ったのですか!?」
「では、お母様はもう死なずに済むんですの!?」
さらに物凄い勢いで詰め寄る3人娘。マールがちょっと引いてるぞ。
『何じゃ……? まぁこの若さじゃし…80ぐらいまでは普通に生きるんじゃろ? そうそう死にはせんじゃろうて』
「そんな……」
「では……では……」
「呪いは……」
『呪い? まぁこのまま放置すれば後3年と持たんかったのは確かじゃな』
3人娘が驚愕に口を閉ざす。
助かったんだから喜んで良いものだと思うのにはて?
「まぁ何にしろ助かって良かったよ。ところでこれ……何?」
マールが吐き出した謎の金属。
断面は三角のほぼ正四面体の形状。真っ黒で光沢も無く反射も一切していないように見える。
闇の欠片? それっぽい命名を思いつくが、とりあえず今まで見た事が無いのは確かだ。
『うむ。これはの<世界の繭>…いやこうなってはむしろ<世界の欠片>じゃな。』
「<世界の欠片>?」
『生半可な金属ではないぞ? 世界と世界を分かつ壁を形作るモノが生体に取り込まれて物質化したものじゃ。さらに、妾が凝縮して抽出したせいで結晶化してしもうた。最早これを砕けるものが有るならば神の域じゃな。およそ最高の強度の金属と呼んで差し支えないじゃろう。…まぁ加工すらできぬから微妙じゃろうが』
マールにしては珍しい、予想以上の大絶賛。そして最高の強度の金属、と聞いて考える。
これは<水環鋸>や<多連層水環鋸>に耐えるんじゃないか?
「…摂氏1万度とか平気?」
『余裕じゃ。元々世界を分かつ壁。高温程度でどうこう出来るシロモノではない。こうなっては恐らく何万、何億、何兆度になっても形状を変えぬ。』
「それはいいな。攻撃魔法用に貰ってもいいかな?」
そう言ってさっきから黙っている4人に向き直り、確認する。
「マールさんとおっしゃいましたわね!!」
『ぐぇ』
ななな何だ? 何を?
無視された上にマールが物凄い勢いでメルディアさんに捕まった。
もとい、むぎゅっと握りつぶされそうな感じで鷲掴みにされている。
「わわわわわたくしにも! わたくしにも治療を施してくださいませ!!」
「メルディア落ち着け! マールが潰れる! いや、潰れはしないんだろうが! 落ち着け!!」
「メル、落ち着いて! 大丈夫、話せば分かってくれるから。放して!」
えらく取り乱す3人娘。場の空気に呑まれた俺はセバスさんに救いの目を向けた。
………セバスさんが泣いてるんですが。
どうすりゃいいんだよ……