6-1<会談>
どうして、こうなったんだろう?
私は考える。
今の私は初戦で敗退する前に着ていたものと同じ、指先まで隠す事のできる愛用のだぼだぼの服を着込んでいる。
枷は、付けられていない。
そしてワイバーンの手綱を握り、腰には短剣まで着けている。
少なくとも、虜囚に対する扱いではないし、やっていい扱いでもない。
私達は王女を、王家を裏切りクーデターを起こした。
その一味であり、さらに首謀者の娘。
国家反逆罪でその場で処刑にされてもおかしくない立場。
なのに、その当の本人である王女に短剣を与えられ、あまつさえワイバーンを飛ばしている。
「見えたね」
「……はい」
さらに問題はこの声の主。私の後ろに相乗りし、腕を腰に回している人物。
黒目・黒髪の中肉中背の男性。言わずと知れた今代の<召喚されし者>だ。
「懐かしいな。あそこがこの世界での始まりだった」
『そうじゃのう』
「……」
良く話しかけてくる人。この6日間の旅で思った。
だけど、今日も私はどう返して良いのか分からず口ごもる。
……これもいつもの事になっている。
「感慨深いです」
口ごもった私に代わり今度は女性の声が響く。
近くを飛んでいるワイバーンから<拡声の首輪>に乗せられて届いた声。
同じく長く伸ばされた黒髪を、邪魔にならないようにと後頭部で一まとめにした王女、ソフィーリア様。
後は、その前に座り手綱を握るアーリントン家のセバスチャン。
これだけだ。
2頭のワイバーンと4人。いや、魔族、という彼女も含めて5人なのか。
3日前からたったのこれだけの人数で旅をしている。
そうこう考えている間にワイバーンは目的地上空へとたどり着き、旋回を始める。
下方に見えるのは北側に巨大な森を有する堅牢な囲いで覆われた神殿。
<召喚の塔>のある、バルディカ神殿だ。
既に義父は到着しているのだろう。ワイバーンの発着地には複数のワイバーンに<ヴイーヴル>。鎧姿の兵に<人工人型>が見える。
そこに、降り立つのだ。このたった5人で。
なんて、作戦だ。
数日前の事を思い出す。
<竜燕>で文を送り出したと同時に、彼らは激痛で何の抵抗も出来ない私を連れてアーリントンを出立した。
ワイバーンの頭数の問題で厳選に厳選を重ね選りすぐられたメンバーは、陸軍の精鋭兵と特殊任務隊の兵とアーリントン家の面々、そして捜査局のマリアベル。
どこかで見覚えがあったと思ったらフェルブルム卿の孫娘だったらしい。
「おじいちゃんを助けたいのでス!」と言って同じく捜査局の制服を着た護衛の兵と共について来ていた。
とは言え<竜燕>の扱いの問題で、連れてこざるを得なかった側面もあるし、それはどうでもいい事か。
……ともあれ全部で80騎150人程の編隊でまずはアルモスに飛んだ。
私達が使ったワイバーンは疲労が酷く、再度の強行作戦には持ち込めなかった。
元々戦闘はヴイーヴルで事足りると考えていた為、乗り潰すぐらいの速度で飛ばせたのでは、仕方の無い事だった。
そしてアルモスで義父からの返事を受け取った。
内用は、要点だけを纏めると「会談に応じる。王と王妃、それから娘を同行させるよう求める。場所も日程も異存は無い。」だった。
そして、作戦が練られた結果がこうなったのだ。
<召喚されし者>と王女が来るというのだ、普通に考えるならばその護衛は集められる最大数だと考える。
だが、その護衛にするだろう、という兵士全てを用いて王都を、人質を奪還する。
相手が確実に最大戦力は会談場に来ると予測し、かなりの兵を割いて来る事を見込んだ上での用兵。
陸軍の空戦隊は寡兵だから、少しでも敵を減らし味方を多くつぎ込みたいのは分かる。
高みの見物を決め込んだ貴族連中を出し抜く為にも速度が重要だと言うのも納得が行く。
だが、正気の沙汰ではないだろう。
奇策にも程がある。
それでも、それを決行し、成功させる程の力が私の後ろの男にはある。
彼が説得のために行った異常なデモンストレーションが、皆を納得させたのだ。
何があっても王と王女を殺すことは出来ない、と。
背後を意識する。
……私に恐怖を植え付け、限界を超えた激痛に喘ぐ私を癒し、優しい声をかけ続けた男。
その後もずっと、彼は優しい言葉を投げかけてくる。
彼に声をかけられるたびに、落ち着かなくなって、ついに耐え切れなくなった私は、ある夜の野営中に「……どうしてそんなに優しくするのですか」と確認してしまった。
……本当にどうかしている。
ちなみにその答えは端的で、「性分だから」という事だった。
……訳が分からない。
再度追求すると、
今度は「娘と名前が似てたから…かな」と曖昧な言い方で答えられた。
「……娘、ですか? 意味が分かりません。……それに名前だけで私とでは似ても似つかないでしょう」
自分が一般人とどれだけ違うのかはそれなりに理解している。
だから、何故か、と再度問うと、
「そうだね、そうなんだけどね…俺は娘に会った事が、ほんとに少ししかなくてね……」
彼が、つらつらと話し始める。
そして、彼の過去を聞いた。
結局理由は理解できなかった。だが、一つの結論が出た。
彼は、彼らは危険過ぎる。
復讐の為に老若男女を問わず、手当たり次第に魔族という他種族の人を殺戮しつくした彼自身の思想だけでない。
彼の口から語られた常軌を逸した<攻撃魔法>、魔族の娘の行った飛竜の無力化。
さらには手の施しようが無い筈の私の体を治療して見せた<強化魔法>なるものもだ。
…同じようにかけて貰ったと言うメリアも王女も気にしていないようだったが、魔道具開発に携わった事がある私だから分かる。
この<強化魔法>と言う物は人体に対して、魔道具を作成するように術式回路を書き込む行為に酷似している。
その意味は、技師や識者ならば当然知っているような常識。
かつて幾人かの無謀な技術者が挑み、変わらない一つの結果しか産み出せなかった。
遅い早いの差はあれども、いずれ歪みが限界を超え暴走、全身を侵食し、…爆死する。……それだけだ。
その点だけを見ても、一切の歪みが生まれないこの技術は並大抵の物ではない。
一体どれだけの時間を費やして動物実験と人体実験での犠牲を生めばこれほどの技術が完成するのか?
千や万では足りないだろう。それを平然と使って見せた。
今までも<召喚されし者>は目新しい技術を持ち込んだ。けれども、それは発展を軽く進める程度。劇薬とまでは行かなかった。
だが彼は違う。100年単位、いや最早1000年単位の未来の技術。
そしてそれですら基礎だ、と言うのだ。
さらには王女に与えられたこの持っているだけで簡易型の<治癒魔法>が発動する短剣。
見た目は普通なのだが、これも彼らの手による未知の技術で魔法が込められている。
ざっと見たところでは、<魔晶石>を使い術式回路を編みこんで作り上げた普通の魔道具に見えなくも無い。
だが、術式回路そのもののマナ吸収性質を利用して、恒久的に特定の魔法を発動するタイプでは<治癒魔法>のような複雑で出力の高い魔法は込められない。
そういう魔法に関しては込められても補助的なものや、詠唱を代行するための回路ぐらいのもの。
しかし、この短剣は明らかにそれを成功させている。
緻密で芸術的で、たとえ道具があったとしても解析しきれないだろうこれは、最早殆ど一つの生命体の体組織に近い。
どれか一つだけとっても劇薬、なんて言うのも生易しい。最早未知の猛毒。
だというのに…確実にまだ底を見せてはいない。
とてもでは無いが、計り知れない。
彼らを、どう扱うか。それはこの国に留まらず、この大陸全てを巻き込みかねない問題になりえる。
そんな気がする。
「フィオ? 降下しないの?」
物思いに耽っていると、その彼の声が聞こえ心臓が跳ね上がる。しまった、私が先に降下する。という話だったのだ。
慌てて降下を開始する。
…時折私に向けられる彼の声は優しい。私は敵なのに。彼はそう扱わない。
その声に何故か安心してしまい調子が狂う。
さっきだって、一言声をかけられただけで自分でも信じられない程驚いてしまった。
だというのに、今はもう完全に落ち着き、普段より集中力も増している気がする。
それにここの所気がつけば彼の事ばかり考えている。
私はどうしたというのだろう? 今までこんなに混乱した事は無かったのに。
体が治ったせいなのだろうか?
目だけを動かし視線を上へと上げる。そこには額から伸びた真っ白な1本の角の先端が見えた。
鬼系亜人の証、幼い頃に根元からえぐり落とされたそれ。
年齢の割りには少し短いが、今はもう完全な形で生えている。
その角によって髪は分けられ、失明していた左目はもう隠れていない。
…無論、その左目も今は見えるようになっている。
度重なる骨折でいびつな形になっていた手指も、いまはほっそりとしたしなやかな女性の手になっている。
それだけではない。全身の火傷や裂傷の跡も消え、身長はやや縮み、胸は2回り、お尻は一回りほど膨らんだ。
数日前と比べ女性的、と言うか…兎も角見た目の印象がかなり変わってしまっている。
愛用のだぼっとした服を着ていても、隠しきれない程に、だ。
……正直、困る。
嬉しい、と感じる気持ちらしきものはある。でも、それが本当にそうなのか分からない。
だが、今までと比べて何か体が凄く軽い。纏わり付いた泥が洗い流されたような感覚がする。
体が治ったから軽くなった分では無い、別の何かが体を軽くしているのを私は確かに感じていた。
◆◆◆◆◆◆
地面が迫る。周りを兵に囲まれたままでのランディング。
減速し、着地する。その直ぐ隣に王女を乗せたワイバーンも着陸する。
流石にセバスチャン。手馴れたものだ。
「ようこそいらっしゃいました。ですが、4名…なのですか?」
代表らしき人物が一人前に出て、話しかけてくる。その声には聞き覚えがある。
「ああ、指定どおりだろ?」
答えたのは<召喚されし者>、ユート。
「はあ、ですが、あの、状況はご理解成されておられますよね?」
「勿論です。さあ、バルナム卿のもとへご案内下さい。いえ、まずは婦人の方にしましょうか? 連れて来て下さっていますよね?」
「…え、ええ。そういうご要望でしたので。はい」
「どうする? マール?」
『ふーむ? うん? ああ、聞いた所深刻な病状らしいし、ここは先手を打った方がよいかの? まずはその婦人で良いのではないか?』
「はぁ、では…」
そう言って魔族の少女、マールが促す。
彼女も危険人物だから、慎重に観察を続けていた。そして分かった事がある。
彼女は病気、と聞くと妙に興奮するタチのようだ。
今だって嬉々とした声を上げていた。気のせいではない。
…かなり、役に立たない情報だが。
とりあえず、背後のユートがマールと共にワイバーンを降り、それから私も降りる。
「あ、申し遅れました。私、バルナム家の家令長を務めさせて頂いております、セバスチャン。レキ=ベルム=シュトラウスと申します。どうぞ、レキ、と気安くおよび下さい。」
お見知りおきを。そう続ける。
優雅に腰を折った燕尾服を着た糸目の金髪、そして特徴的な三角の耳をした男性。見た目は20代そこそこ。
私はバルナムに引き取られてからの付き合いだが、時々誰もが理解不能な類の妙な事に拘る今ひとつ良く分からない男。
……やはり、彼だったようだ。
「これは、レキ様とは…お会いできて光栄です。私はアーリントン家のお嬢様付き執事を務めますセバスチャン、フランク=レンフィールドでございます。そしてこちらは王女ソフィーリア様と今代の<召喚されし者>ユート様になられます」
「おお、<召喚魔術>は本当に成功なされておられたのですね…おめでとうございます。ソフィーリア様」
「ありがとう。レキさん。ややこしくなりますし、それでいいんですよね?」
「はい。では、案内します。まずは奥方様の元ですね」
「ああ、よろしく」
そう言って踵を返し、ワイバーンの発着場を後にする。
私はこれから義父を説得し、懐柔し、……助命を嘆願しなくてはならない。
……裏切り者、と謗られるかもしれない。此方が示せる手札も、殆ど無い。でも、やるしかない。
この状況ですら、義父に勝ち目は存在しないのだから。
そう考えると、複雑な心境になった。
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