6-0<トラと師匠>
収監されて5日目。
この日フォワール卿の元へやって来たのは、かつて師弟として過ごした事もある男だった。
「よお、師匠」
「なんじゃ? 藪から棒に? しかしヌシにその呼び方をされたのは何年ぶりかの…」
先ほどから続けていた書類仕事を止め、ふーむと天井を見上げつつ考える。
あれは腰を悪くする前じゃから、もうかれこれ30年以上にもなるかのぅ…などと昔を懐かしむ。
「そうだな。いやなに、なんだか流行っているみたいだったので我輩も乗ってみたのだ」
「ふむ? まぁたまにはよいかもの。それで? トラ坊。このおいぼれに何の用じゃ?」
折角なので自分も乗ってみる。少し若返ったような気分になった。悪くない。
ともあれ用件を聞いてみる。
「ああ、じつは師匠に折り入って相談したい事があってな」
「ふむ?」
「あたしは席を外そうか?」
そこで初めてフォワール卿の隣に立ってお茶を汲んでいた少女が口を開く。
そう、この部屋には兵士を除いて2人だけでなくもう一人、貴族の女性としては珍しいショートカットをした少女が居る。
フォワール卿のひ孫にして、分家の生まれだが本家の養子となった才女。
最も彼女の家督継承権は21番。女性でもあるし、家督には殆ど関係がない。
それでも彼女が本家の養子となり、フォワール卿ともこれほどまでに親しいのはたった一つの理由。
彼女の名はルーシア=セントルグス=フォワール。
彼女は王女ソフィーリア様の影武者として生きてきたのだ。
そして魔道具では不思議とどうやっても再現できない色艶の黒髪をカツラで補うため、彼女の髪は短かった。
「いや、別に構わんじゃろ? ふむ。ともあれ断っておくがフォワールは中立を保たさせて貰うでの。どちらの陣営にもなびく気はないぞい?」
フォワール卿が構わない、と言えば彼女に否を唱える事など出来ない。
苦笑し、代わりに一歩引く。彼女は彼女で自分の立場はわきまえている。
「わかってるって。フェルブルムだって中立の立場さ、まぁ我輩自身の心は王家を支持するがな」
「ワシだってそうじゃ! なんせソフィーリア様の教師役を務めて来たのはワシぢゃからの!!」
「…まぁ、そうだな」
「幼い頃からずっと…じい、じい、と懐いて来てくれてそれはそれは可愛らしく………」
そう言って、遠くを見つめるような視線で虚空を見つめ始める。
「おい、帰って来い師匠。ししょーう」
フェルブルム卿がフォワール卿の顔の前で巨大な肉級のある腕をブンブンと振る。
「大きく美しくなられた今でも……じいや、じいや、と……ううっ………」
目じりから涙までこぼし始めた。
「だめだこのジジィ暫く帰ってこないぞ…」
嘆息する。
「ごめん、トラ小父さん…姫様が居なくなってからこっち、多いんだ…」
「そうなのか、苦労するな…ルーシア殿…」
同情する。どうやら彼女がここに居るのは打ち合わせや避難という訳でもなく、彼の介護に近いようだ。
師匠も、いい加減家督を譲ったほうが良いのではなかろうか。
「でまぁ。今回来た訳なんだが………」
気をとりなおして、持ってきていた書類を手渡し、かいつまんだ説明をする。
内容は今回クーデターが起こってからこっち集まった情報を元に組み上げた、貴族達への新たな対策法案。その草案。
必死に頭を捻り、問題点や穴を塞ぎ、上手く型に嵌めてしまえるよう纏めてみた…つもりなのだが、
如何せん彼自身、こういう事は本業ではないので疎い。
だから政務補佐と運輸・建設を担うフォワール卿の意見を聞きに来たのだ。
「ふむ、なるほどの。…とりあえず、草案としてはこれでも良いのじゃが、法案とするには全体的に表現がまずいの、特にここの所の「費用を過剰に使わせる」と言う所なぞ、裏の目的まで正直に書いてどうするんじゃ。修正の余地あり、じゃ。…じゃが、内容自体は良く考えられておる。…後はそうじゃな。ヌシの利益が見えぬのが問題じゃな。」
「我輩の? なんでだ?」
「法案を出す、という事はの、往々にして出した本人の利益が絡む内容なのが自然なのじゃ。」
「ふむ」
「じゃがこれにはヌシの直接的な利益が見あたらぬ。そうなると、皆何か裏がある。と考える訳じゃ。」
「真の狙いを看破され、通らないと言う事か。」
「その通りじゃ。」
確かに、見直してみると自分はこの案件に殆ど関係が無い。
基本的におためごかしであり、さらには貴族連中に確実な利益がある事が見えている分、怪しい。
…まだ、改善の余地があるようだ。
「そうじゃのう、例えば…いや、やはりもう少しヌシが考えた方が良いの。これだけ練れたのじゃ。後はわざわざ口を挟まなくとも良かろう。」
「師匠にだって手伝ってもらいたいんだが……」
「いや、ワシの考えはもう古い、と思ったのじゃ。老兵は死なず、ただ去り行くのみ。と言っての。そろそろ次代に託すべきなのかものぅ」
「師匠のところなら人材にはこまらないだろう?」
実際師匠は子沢山なのだ。妻が多い我輩には及ばないが。
「ふふふ、優秀な子が多すぎての、逆に誰にするか迷いどころなのじゃよ。いっそルーシア、お前に任せてみようかの?」
「お、大爺ちゃん!? …冗談はよしてよ。あたしはソフィー様の影なんだから、無理だよ!?」
「ふぉっふぉっふぉっ、言ってみただけじゃよ。」
そう言ってルーシアをからかう。
その時の目が本気だった気がするのは…きっと気のせいだろう。
ともあれ贅沢な悩みだことで。
「じゃが、それもこれもこの騒動が治まらねば…のぅ」
「そうだな…だがそれも恐らく明日には概ねの白黒が付く」
そう聞いてルーシアがゴクリ。と喉を鳴らす。
「ほう、では、空軍と陸海軍の初戦の決着が届くのじゃな」
「ああ、その通りだ」
「…ヌシはどう見る?」
「10中8,9空軍だと思った。だが、アーリントンは鬼札を得ている」
「ふむ、ソフィーリア様を匿ったか?」
「そこは不明だ、だが、メリア嬢に春が来た」
「なんと! ついにあの洗濯板に!?」
フォワール卿、そして驚きの声こそ上げなかったがルーシアも目を見張る。そこまで意外だったか。
しかし洗濯板とは。酷い言われようだ。
「興味深い。あの娘が見初めたと言う事は、どうなのじゃ? 宣言どおりの男か?」
「ああ、この時期の<鎧付き>の<人型>と一人正面から剣で互角に渡り合い、切り伏せた。尋常でないクラスだ」
「名は?」
「ユート=アオスズ、人族。素性不明だが、素行は問題なし。交友関係に長寿族の娘も居る」
「聞き覚えが無いの。しかしそれ程の猛者がまだ無名のままこの国におったか…
言われてみれば疑問だ。それ程の男なら幾らでも噂になっている筈。
それが、我輩の所のデータベースにも無い……?
「まぁそれは兎も角、だ。部下の追加報告も有って制空権を取りに行ったフィオ嬢の先遣隊ぐらいは落としそうな期待は持てている」
「ふむ。じゃがそもそも100騎やそこいらを集めぬ事にはメリア嬢すら抑えられまい?」
「そうなのだが、<魔槍ヴェルスパイン>は件の<人型>に壊されて修理中だ」
「むぅ、ますます読めぬか…」
「うむ、エーリカ殿の<鳳凰>もメリア嬢では扱えぬだろうしな」
「やはり全ては、明日か」
「うむ」
どちらが勝つかは分からない。
だが、願わくばアーリントン側に勝って貰いたい。
そして何よりも、無為な血が流されて居ない事を…
彼らには、祈る事しか出来なかった。
9/15 誤字修正しました。