第2話「攻略対象の名前が、どうしても思い出せない」
王立学院は、想像以上に広かった。
石造りの廊下、天井まで届く窓、廊下を歩くたびに軽く会釈してくる生徒たち。アルディア・フォン・クレシェントとしての記憶が自然に体を動かしてくれるおかげで、足は迷わず教室へ向かっている。体の記憶というのは便利なものだ。
問題は、頭の中の記憶だった。
(攻略対象の名前……王子の名前……なんだっけ)
歩きながら必死に絞り出す。
確かに三人いた。王子と騎士と神官か魔法使い。王子はクールで最初は冷たい系。騎士は元気で太陽系。神官か魔法使いは──ミステリアス系だったと思う。たぶん。
名前は。名前は──
「アルディア」
廊下の角を曲がったところで、声をかけられた。
振り向くと、そこに立っていたのは──
(あ)
顔は、覚えていた。
銀色に近い白髪。切れ長の灰色の瞳。涼しい顔で、でも不思議と冷たくは見えない。制服の上に羽織った外套に、胸元の金の留め具。
これは、覚えている。パッケージイラストに大きく描かれていたから。
(王子だ。攻略対象その一だ)
問題は名前だ。
(なんだっけ、なんだっけ、アル……アレク? アルフレッド? アルベルト? アがつくのは確かな気がするけど気のせいかもしれない)
「……少し顔色が悪いが、体の具合は?」
王子が、眉をわずかに寄せて尋ねてくる。
(思ったより普通に話しかけてくる。最初は冷たい系じゃなかったっけ)
「大丈夫です、殿下。ご心配をおかけしました」
とりあえず「殿下」で乗り切る。これなら名前を知らなくてもばれない。完璧な作戦だ。
「そうか」
王子は短く答えて、それからなぜかその場に立ち止まったまま動かない。
(……なんで立ってるの? 用事は終わったんじゃないの?)
沈黙が三秒、続いた。
「君は最近、変わったな」
「……と、おっしゃいますと?」
「声をかけると、以前は目を逸らした。今日は逸らさなかった」
(え、そんな細かいとこ見てたの、この人)
内心でたじろぎながら、アルディアの顔は涼しく保つ。悪役令嬢の面目躍如である。体の記憶、大活躍だ。
「気のせいではないでしょうか、殿下」
「そうかもしれない」
王子はそう言って、ようやく歩き出した。すれ違いざま、もう一度だけこちらを見る。
「体に気をつけろ」
それだけ言って、廊下の向こうへ消えていった。
私はしばらくその背中を見送ってから、ゆっくりと息を吐いた。
(好感度……上がってた? 上がってていいの?)
ヒロインとのフラグを壊していないか不安になる。でもそれより先に、もっと根本的な問題がある。
(名前。絶対に次までに名前を調べなきゃ)
「殿下」で一回は乗り切った。二回目は怪しまれるかもしれない。
三回目は確実にアウトだ。
---
その日の放課後、私は侍女のマリアを呼んで、さりげなく聞いてみた。
「ねえ、殿下のフルネーム、正式にはなんと申し上げるのかしら。改めて確認したくて」
マリアは少し不思議そうな顔をしたが、すぐに答えてくれた。
「アルヴィン・エドワード・ヴァルディア第一王子殿下でございます」
アルヴィン。
(ア、合ってた。Aがつくのは合ってた)
「ありがとう、確認できたわ」
「……お嬢様、もしかして忘れていらっしゃいましたか?」
「まさか」
笑顔で誤魔化した。完璧な笑顔だったと思う。
アルヴィン殿下。クールな王子。攻略対象その一。
名前を覚えた。これで次からは「殿下」以外の呼び方もできる。
(一歩前進……)
小さな勝利を噛みしめながら、私は明日の攻略対象その二との遭遇に備えて、夜の記憶整理を始めた。
確か、幼なじみがいたはずだ。名前は──
(……クロード、だったかな。これは自信ある)
根拠のない自信だったが、今は信じるしかない。
---
*次話:「ヒロインと初対面、なぜか警戒された」*




