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第九話 討伐隊


 王個体の討伐隊は、およそ二十名で構成されていた。第一騎士団と第一魔導士団を中心に、有志の中から精鋭が選抜された。フルリエ公爵の支援の下、潤沢な資金で装備と物資を整え、彼らはエルハンダラ高原へと向かうことになる。


 エルハンダラ高原に現れた魔物群は、大規模魔物群としてはそれほど多くなかった。上級個体も数匹程度である。だが、その奥に控える王個体が問題だった。

 事前に報告は受けていた。だが、いざその姿を目の前にすると、報告は所詮、紙上の情報に過ぎないのだと分かる。王個体と討伐隊の距離は、まだかなり遠い。その今でさえ、装備の下の肌は粟立ち、生存本能が警鐘を鳴らしていた。討伐隊に選抜された精鋭たちが、である。


 ――ああ、これは無理だ。


 その場にいる誰もがそう思った。()()はワイバーンだった。それも、ただのワイバーンではない。黒い鱗は全属性への魔法耐性を持ち、並の武器では刃が通らない。鋭い爪は鋼鉄を砕き、口から放たれる灼熱の炎は岩をも溶かす。小山のように大きな身体は、エルハンダラの城壁に迫る高さだ。ワイバーン・ロード――伝説上の最強生物、ドラゴンに最も近いとされる魔物だった。


 騎士も魔導士も関係なしに、みな一様に呆然と立ち尽くしていた。彼らはその全員が精鋭中の精鋭である。確かな実力を持つ者たちだからこそ、彼我の差が正しく理解できた。


「……想定を、完全に超えているな」


 魔導士の一人が、乾いた声で呟く。誰も否定しなかった。

 ワイバーン・ロードは、こちらを見ていない。にもかかわらず、視線を向けられているような錯覚だけが、全員の背を撫でる。


「これを相手に、正規軍なしで挑むなど……」

「無謀、という言葉でも生ぬるい」


 ――退却、という選択肢が、その場の多くの者の頭をよぎった。国からは「確実に無理だと判断した場合は撤退せよ」と、確かに言われていた。彼らは国の精鋭たちだ。無駄に命を散らすことが分かっているのであれば、理屈の上では、ここで引く方が正しい判断だった。

 だが、実際にそれを口にする者はいない。ここで引けば、エルハンダラの街がどうなるか、全員が知っている。


 この場にいるのは騎士と魔導士だ。国のため、民のため、剣や魔法を極めて来た者たちだ。エルハンダラを見捨てるという選択肢は、彼らの中には存在していなかった。しかし、エルハンダラを救うには、目の前にいる敵はあまりに強大だった。――勝てるビジョンが、浮かばない。

 万一の可能性にかけてここで挑むか、エルハンダラの籠城を少しでも長く持たせるために街に入るか――どちらにせよ、いずれ終わりが来ることは明白だった。重苦しい沈黙がその場に落ちる。


 その沈黙を破ったのは、その場で一番若い男――レヴィエント・ターズウェルだった。


「――俺なら倒せます」


 静かな声だった。あまりに唐突で、あまりに淡々としていて、誰もすぐには意味を理解できなかった。

 レヴィエント・ターズウェルは、王個体をまっすぐに見据えていた。剣の柄に置かれた手は、驚くほど静かだ。


 全員の視線が、一斉にレヴィエントへと集まる。


「……は?」


 魔導士の一人が、思わず素っ頓狂な声を上げた。


「今、なんて言った」

「倒せるって……お前、あれを見て言ってるのか?」


 レヴィエントは、王個体から目を離さないまま、短く頷いた。


「はい」


 迷いのない声だった。その場にいる精鋭たちが、一斉にざわつき始める。レヴィエントを侮る者など、この場には存在していない。だが、レヴィエントを十分に評価している彼らをもってしても、レヴィエントがワイバーン・ロードに勝てるとは思えなかった。


「正気か?あれは人が挑むものじゃない」

「勇敢と無謀は違うぞ!」

「いくらレヴィエント(お前)でも無理だ」


 次々に飛ぶ否定の声にも、レヴィエントは表情を変えない。見覚えのあるその姿に、騎士の男がため息混じりに問いかけた。第一騎士団の、レヴィエントと同じ分隊に所属する男だ。


「根拠は?」


 レヴィエントは間を置かずに答えた。


「俺の直感が、そう言ってる」


 やはり迷いのない声だった。反応は大きく二つに割れた。ひりつくような冷たい空気と、苦笑交じりの呆れたような空気。前者は魔導士たちで、後者は騎士たちだ。


「……ふざけてるのか?」

「直感だと?馬鹿にしているのか、貴様」


 魔導士たちの表情が、一斉に険しくなる。それとは対照的に、騎士たちの表情はまた微妙だった。隣の騎士と顔を見合わせて苦笑する者、眉間に手を当ててため息をつく者、どこか安心したような顔をしている者さえいる。


「……あー……」

「またか」


 誰かが、困ったものだ、と言わんばかりに笑った。半ば呆れたように肩をすくめ、しかしどこか慣れた調子だった。

 先ほどまでの緊張感などなかったかのような騎士たちの様子に、「笑い事じゃないぞ!」と魔導士の一人が噛みつく。


「いや、分かるけどな……レヴィエントの直感は、確かに()()()


 騎士の一人が、頭を掻きながら続ける。レヴィエントと何度も戦場を共にしてきた彼らは知っているのだ。レヴィエントの直感が、これまで一度も外れたことがないという事実を。


「こいつの()()は一度も外れたことがない。無茶を言い出す時ほど、結果だけ見れば最善手だった」

「レヴィエントの直感がいけると言うならいける、やろう」


 効果は劇的だった。先ほどまでの重苦しい絶望は、少なくとも騎士たちからは完全に失われていた。代わりに灯るのは、「いける」という確信だった。

 彼らはワイバーン・ロードを過小評価しているわけでも、レヴィエントの能力を過大評価しているわけでもない。ただ、レヴィエントの直感が示すもの、それが彼らにとっての事実なのだ。レヴィエントは戦場に出るようになってからというもの、信じられないような状況を幾度も言い当ててきた。騎士たちは、レヴィエントの直感に数え切れないほど命を救われてきたのだ。その正確さを目の当たりにしてきた騎士たちにとって、レヴィエントの直感はほとんど()()()に等しい。


「そんなもの、偶然だろう。直感がどんな根拠になると言うのだ?」

「いや。俺たちは、こいつの直感に何度も助けられてきた。無視できないだけの()()がある」


 魔導士の一人が反論するが、別の騎士に即座に切り捨てられる。いわば、騎士たちのレヴィエントの直感への信頼は信仰に等しい。

 魔導士たちは、苦い顔で沈黙する。理屈では否定できる。だが、ここまで強い信頼を目の当たりにすると、簡単に切り捨てる気にもなれなかった。この場にいる騎士たちは、全員が精鋭だ。彼らが安易に妄言を信じるとも思えない。彼らがこれだけの確信をもって信じるレヴィエントの直感には、()()を感じないわけにはいかなかった。

 現実は、時に論理を凌駕することがある。魔導士たちは論理を重んじるが、同時にそれですべてが説明できるわけではないことも知っていた。戦場で積み重ねられてきた結果は、無視できるものではない。


 魔導士たちの中でもリーダー格の男は、レヴィエントをじっと見つめていた。その黒曜石の瞳には、恐怖も、迷いもなかった。あるのは強い確信だけだった。


「……結局、選択肢は一つか」


 魔導士の男は、静かに言った。ため息交じりのその言葉には、確かな覚悟があった。


「引く、という選択肢は、最初から無いからな。国はエルハンダラを切り捨てることも考えているだろうが、我々にはできない」


 それは、誰か一人の決意ではなかった。全員が、同じ覚悟を抱いていた。

 魔導士の男が、杖を握り直す。


「どちらにせよ、賭けになる。ならレヴィエント、お前に賭けてみようじゃないか。我々魔導士も全力で支援する。雑魚の殲滅は請け負おう。防御結界や補助魔法も出し惜しみはしない。お前がワイバーン・ロード(アレ)を討つために出来ることは何でもしよう――可能な限りだ」


 魔導士の男は、挑戦的に笑った。


 厳しい戦いであったことは間違いない。騎士も魔導士も全力で戦った。次々と湧いてくる雑魚を滅し、大物を引き付け、レヴィエントがワイバーン・ロードへとたどり着くまでの道を切り開いた。大部分が重傷を負い、そのうち何人かは死んだ。


 だが、結果として、この博打は成功した。レヴィエントはついにワイバーン・ロードへとその刃を届かせたのだ。王個体の討伐を成し遂げた討伐隊は、そのままエルハンダラの街に入る。

 王個体を失った大規模魔物群は、エルハンダラの籠城設備を前にあっさりと壊滅した。


 数日後、レヴィエントは王城にいた。王個体を討ったレヴィエントは、間違いなく今回の討伐戦の第一功だった。それも、ただの大規模魔物群の討伐ではない。エルハンダラの事情を考えれば、レヴィエントは、実質的に隣国との戦争を防いだも同然だった。


 国王は討伐隊を高く評価し、討伐隊の全員に騎士褒章または魔導士褒章の授与を、そして、第一功たるレヴィエントには大騎士褒章を授けることを決定したのだ。――これは、王国騎士が得られる中で最上級の栄誉である。十七歳での受章は、当然ながら歴代最年少の偉業だった。


 レヴィエントは、首を垂れて国王直々の口上を聞きながらも、意識は別のところにあった。レヴィエントが剣の他に考えることなど決まっている。テレシアのことだ。

 レヴィエントにはもちろん、騎士としてエルハンダラの民を救いたいという強い思いがあった。だが、討伐戦にかけた思いはそれだけではない。件の隣国は、テレシアの嫁ぎ先である。もし、隣国と戦争になってしまえば――それは、テレシアが積み重ねてきた覚悟を、根こそぎ奪う結果になりかねなかった。


 レヴィエントは、今でもテレシアを愛している。彼女が手に入るのならば、どんな努力だって厭わないだろう。隣国の王子との婚約だって、本心を言えばなくなってほしい。

 だが、レヴィエントは同時に、この婚約に関するテレシアの覚悟を知っていた。彼女がどれだけ、この婚約とそれに伴う和平のために努力してきたかを、知っていたのだ。それが踏みにじられることなど、断じて許されないと思った。自分の恋が叶う可能性など、テレシアの覚悟の前では無価値に等しい。隣国との戦争を防いだことは、テレシアの覚悟を守ったことにもなったはずだった。レヴィエントは、それが何より誇らしかったのだ。


 だから、それはまさに青天の霹靂だった。

 ――隣国との戦争が勃発したのである。レヴィエントが、十八歳の春のことだった。

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