第八話 エルハンダラの厄災
レヴィエントは、破竹の勢いで功績を積んでいた。若くして天才と呼ばれる者は、往々にしてただの早熟に過ぎないことがある。だが、レヴィエントは本物だった。彼の才能は留まるところを知らず、実力は無尽蔵に伸びていった。研ぎ澄まされた剣の冴えは、いっそ怖いくらいにレヴィエントを強くした。身体の成長については文字通り早熟だった彼は、十七歳も半ばを迎える頃には身長もほぼ止まり、身体の厚みも増してきた。レヴィエントにとって、そして騎士団にとって、そして国にとっても幸いなことに、レヴィエントは体格の良かった父に似て、身長も高く筋肉の付きやすい体質だった。身体的な充足は、レヴィエントをさらに強くした。
レヴィエントは、大小さまざまな武功を上げていた。対魔物戦線を中心に、出向いた戦場すべてで勝利した。レヴィエント一人で形勢を覆した戦場すらあった。ターズウェル伯爵家の若き俊英は、本物の伝説への道を着実に歩んでいた。
レヴィエントは、同時に社交界でも有名な存在となっていった。本人は騎士の任務でめったに社交界には出てこないが、家の付き合いや国の式典に出席した際には、必ずと言っていいほど大勢に囲まれた。
艶やかな黒髪に、黒曜石のような瞳、凛々しくも整った顔立ち。完璧な礼儀作法に、堂々とした立ち姿。鍛え上げられた身体は騎士の制服がよく映えて、口を開けばどんな話題にも対応できる教養高さがあらわになった。社交もそつなくこなし、家門も剣の名門ターズウェル伯爵家ときた。騎士として実力と将来性はもはや言うまでもなく、独身の貴族男性としては優良物件筆頭候補だった。
若い貴族の女性たちは、レヴィエントを「黒曜の騎士様」と呼んでもてはやした。かつての、行動は粗野、礼儀も言葉遣いもなっておらず、勉強にもまるで興味なしの剣術馬鹿の少年だったレヴィエントのことは、誰も覚えていないかのようだった。
十七歳の冬、レヴィエントの地位と評価をさらに押し上げる出来事が起こる。後にエルハンダラの厄災と呼ばれることになる、大規模魔物群の発生である。
エルハンダラ高原は、隣国との国境近くに位置する広大な平原だった。魔物の出現するエリアだったが、出るのは低級ばかりで、多少腕に覚えのある者が一人二人いれば安全に活動できる程度の危険度である。
エルハンダラ高原の国境からほど近い位置には、同じ名を冠するエルハンダラという街があった。国境近くの街らしく、いざという時は要塞にもなり得る城郭都市だ。先の隣国との戦争では最も激しく攻撃を受けた最激戦区であったが、ついに落とされなかった王国の軍事的拠点である。
大規模魔物群が発生したのはエルハンダラ高原、それもエルハンダラの街からそれほど距離のない場所だった。通常ではあり得ない数と脅威度の魔物を確認したとの報告を受けたエルハンダラの領主は、すぐさまそれを王国中央部へと報告し、討伐隊の編成を依頼した。魔物は統率の取れた動きを取っており、王個体――人間で言う指揮官に値する飛び抜けて強い個体がいるのは明白だった。エルハンダラの街は上級個体程度であれば対応できるだけの設備があったが、王個体の率いる大規模魔物群に単独で立ち向かえるほどではない。多少は持ちこたえられるかもしれないが、援軍が来なければ、エルハンダラの街はいずれ壊滅の憂き目を免れないだろう。
王城中枢、王国議会の広間には、張り詰めた空気が漂っていた。報告を受けた瞬間から、誰もが平静を装いながら、その内側で焦りを募らせている。
「軍の派遣が無難だろう」
沈黙を破ったのは、軍務卿だった。当然の提案だ。大規模魔物群――しかも王個体を含むとなれば、本来は正規軍を動かす案件である。
だが、すぐさま異論が飛ぶ。
「お待ちいただきたい」
外務卿が椅子から身を乗り出した。
「エルハンダラは国境沿いの城郭都市です。そこへ大軍を差し向ければ、隣国からどう見られるか――言うまでもありませんな。そんなことをすれば、向こうに恰好の開戦理由を与えることになる。ようやく結んだ和平を無駄にするおつもりか?」
ざわり、と議場が揺れた。
「ではエルハンダラを見捨てろと言うのか……!?国境の民を犠牲にしてまで守る和平とは、いったい何のための和平なんだ!」
「本格的な戦争となれば、想定される被害はエルハンダラ一都市とは比になりません。どうか冷静なご判断を」
そう告げる外務卿も、渋い顔をしていた。最も恐れるべきは戦争の再開だという考えは変わらないが、だからといって一都市を犠牲にすることに良心が痛まないわけではない。
「隣国には使者を送ればよろしかろう。事情を説明し、魔物討伐のための限定的な軍事行動であると理解を求めるのです」
「そんな悠長なことをしている暇はない。使者が帰るより先に、エルハンダラは包囲される!魔物は交渉を待ってはくれんぞ。あの国のことだ、意図的に返事を遅らせることだって考えられる」
誰もが地図に視線を落とす。赤い印が打たれた場所――エルハンダラ。
「……エルハンダラは旧激戦区だ。軍を送るにしても、あの街だけはまずい。和平直後の今、あそこに兵を集結させれば、隣国は必ず疑念を抱く。せめて、もう一つ手前の街であれば……」
「なぜ、よりにもよってエルハンダラなんだ」
「今考えても仕方がないだろう、それよりどう対応するかだ」
議会は紛糾していた。エルハンダラは国防の上でも地政学的にも重要な都市だ。人口もそれなりに多く、救えるものなら救いたいのは間違いなかった。だが、隣国の反応を楽観視するには、先の戦争の記憶は近すぎる。ある程度より上の年齢の貴族の中には、指揮官や軍人として前線に赴いた者たちもいる。あの泥沼の戦争が再び再開するというのは、まさに悲劇だった。正しさ同士は、簡単に折り合わないのが世の常だ。
停滞する議会の流れが変わったのは、ターズウェル伯爵の提言がきっかけだった。
「発言をよろしいか」と静かに手を上げたターズウェル伯爵は、行き詰まる議場の視線を一身にさらった。剣の名門として知られ、若い頃は対魔物戦線の最前線で活躍していたターズウェル伯爵の提案には、一考の余地があるだろうと貴族の多くが考えたのだ。
「……少数精鋭による討伐隊を組み、王個体を討つしかないでしょう。王個体さえどうにかなれば、エルハンダラの設備で十分対応できるはずです」
ターズウェル伯爵の言葉が落ちると、議場は一瞬、静まり返った。
「正規軍は動かしません。表向きは、あくまで有志による討伐隊という形にするのです。失敗した場合でも、エルハンダラに救援を送ったという名目は立ちますし、もし隣国から文句をつけられた場合でも、国としては個人の独断行動だったという建て付けが可能でしょう」
議員たちの間に、低いざわめきが広がる。冷静な声音とは裏腹に、その内容はあまりに苛烈だった。
「失敗して討伐隊を切り捨てることになっても、エルハンダラを救わんとした勇士だ。国として公な評価こそできまいが、彼らの名誉は守られる。成功すれば英雄、失敗しても外交問題には発展しにくいでしょう」
誰かが喉を鳴らした。
英雄か、無名の死か――そのどちらかしか用意されていない作戦だ。だが同時に、成功すれば、戦争とエルハンダラ壊滅の双方を回避し得る道でもあった。
「……確かに、成功すれば、エルハンダラは救われ、戦争も回避できる」
軍務卿は腕を組み、苦々しい表情で続ける。
「だが、そもそも討伐隊のリスクが高すぎる。隣国に警戒されぬ規模で王個体に挑むなど、全滅の可能性の方が高いだろう。そんな自殺行為で将を失うわけにはいかない」
その言葉には、軍を預かる者としての実感が滲んでいた。軍務卿は、自ら戦場に立って指揮を執ることも多い。失えば二度と戻らぬ命の、その重みを誰よりも知るがゆえの反論だった。
「軍務卿の御懸念はもっともです。」
ターズウェル伯爵は一拍置き、静かに言った。
「ですので――我が息子、レヴィエントを討伐隊の主力として推薦します。あれはまだ将ではないですが、親の贔屓目を抜きにしても実力は十分でしょう」
その瞬間、議場の空気がはっきりと変わった。提言者自らが、最も大切なものを差し出したのだ。ターズウェル伯爵は子煩悩で有名である。中でも、末の息子は一番手がかかった分、騎士として立派に働いていることを随分喜んでもいた。その息子を、討伐隊に差し向けると言うのだ。
「ご子息はまだ十七では……?」
戸惑い混じりの声が上がる。ターズウェル伯爵は一瞬だけ視線を伏せ、そして続けた。
「ええ。しかし、すでに騎士として働く身、いつでも国に殉じる覚悟は出来ておりましょう。そうでなくては、ターズウェルの男とは呼べません。それに……提言者が身を切らぬわけにはいきますまい」
そう言ったターズウェル伯爵の表情には、一切のブレがなかった。
誰も、すぐには言葉を継げなかった。
「ふむ。良いのではないかな?」
沈黙を破ったのは、フルリエ公爵だった。どこか楽しげですらある声音に、何人かが眉をひそめる。
「失敗した際に切り捨てるのであれば、国費は使えないだろう。討伐隊の装備や補給は私が支援しよう。何、金に糸目は付けないさ」
「……フルリエ公爵閣下」
大物の援護に、ターズウェル伯爵はわずかに表情を弛めた。フルリエ公爵の支援があれば、伯爵の想定よりよほど良い装備や条件を揃えることができるだろう。
「いやしかし……」
なおも逡巡する者たちを見回し、フルリエ公爵は肩をすくめた。
「卿らは随分人がよろしいようだ。年若いレヴィエント君を戦場に送るのが憚られるのであれば、本人に覚悟のほどを訪ねてみようか」
そう言って、扉の方へ視線を向ける。
「都合のいいことに、第一騎士団の駐屯地はここから近い」
フルリエ公爵の表情は、やはり楽しげだった。
ほどなくして、一人の青年が広間に現れる。 艶やかな黒髪に黒曜石のような瞳、鍛え上げられた身体には騎士の制服がよく映える。堂々とした立ち姿だった。
「ご召致により参上仕りました、第一騎士団第一分隊所属、レヴィエント・ターズウェルであります」
完璧な礼を取ったレヴィエントは、重々しい表情の議長から、現状とターズウェル伯爵からの提言について聞かされた。騎士とはいえ、まだ明らかに年若いレヴィエントに死の覚悟を求めるような内容に、議場の貴族たちの中には内心苦い顔をする者も少なくなかった。
レヴィエントは、少しも逡巡しなかった。議長を正面から見つめるその黒曜の瞳に、その姿勢に、迷いはない。
「は。我が国の平和と国民のためであれば、この命を捧げることなど少しも惜しくはありません」
一瞬の間も置かず、彼は言い切る。強い瞳だった。
「ぜひ、私に行かせてください」
議場に、再び沈黙が落ちた。この場にいるのはそれなり以上の地位にある貴族だ。まだ若いレヴィエントの言葉の真偽など、容易に見抜くことができる。だからこそ、その言葉に嘘がないことも、彼が十七歳にして国に殉じる覚悟を持っていることも、彼らにはよく分かった。もはやこの場に、反対の言葉を紡げる者はいなかった。
「では、議会としての結論は出たということで構わないな」
議長の低い声が響く。それを受けて、王がゆっくりと口を開いた。
「……精鋭を選抜せよ。エルハンダラへ送る討伐隊を組織する」




