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第七話 再会


 思っていたよりずっと、冷静に話をすることができた。

 

 レヴィエントは、内心で安堵のため息をついていた。レヴィエントの初恋は、今年で十年目になる。生半可な気持ちで想っていたわけではない。頭では理解していても、いざ本人を目の前にすれば、感情が乱れるかもしれないと恐れてもいたのだ。


 テレシアと話をするのは、約二年振りのことだった。テレシアの婚約が発表されてからは会っていなかったし、夏の祝年会からそれまでのおよそ一年は、騎士学校の早期卒業のために忙しくしていたから、ろくに社交の場には出ていない。当然、テレシアと会うこともなかった。

 

 二年振りに見るテレシアは、前回会ったときよりいっそう美しくなっていた。淡い金髪はやわらかな光を宿しているかのようで、碧の瞳は澄みわたる空を閉じ込めたかのようだった。静謐ささえ感じさせるテレシアの美しさを、今のレヴィエントは言葉を尽くして讃えることができる。


「テレシア嬢にご挨拶申し上げます。フルリエ公爵家におかれましては、この度は誠におめでとうございます」

「レヴィエント様、お久しぶりです。本日は兄夫婦と甥のためにお時間を割いていただき、ありがとうございます」

 

 やわらかく微笑むテレシアに、レヴィエントの脳裏には、難解すぎて一度は理解を諦めた古い詩の一節が、ふと蘇る。あの頃は理解できなかった言葉が、今なら分かる気がした。


「こちらこそ、このような慶事にお招きいただき、光栄に存じます。アウレリウス様には多くのご厚情をいただいて参りました。直接お祝いを申し上げることができ、私も嬉しく思います」


 そのような内心を露とも出さず、レヴィエントは言葉を返す。婚約者のいる令嬢に向かって、あまりその容姿を褒めたたえるような言葉は相応しくない。それも、かつてテレシアに求婚していたレヴィエントが相手であればなおさらであろう。

 

「兄も、レヴィエント様がいらっしゃると聞いて喜んでおりました。いつかまた手合わせでも、と常々口にしておりますのよ」

「そうでしたか。今はご多忙でしょうが、それが落ち着かれましたら、ぜひに」


 二言三言、言葉を交わして、レヴィエントはその場を辞した。主催であるフルリエ公爵家の家人に声をかける者は多い。レヴィエントが去ってすぐ、テレシアは別の貴族に挨拶されていた。たしか、ハルミオン侯爵家の当主とその嫡男だったか。建国以来の名門で、当代の公爵は篤実な人柄で知られ、王の信頼も厚い。領地に巨大な港湾都市を有し、富裕なことでも有名だった。嫡男はレヴィエントの二つ下で、社交界では優秀で人柄がよいと評判である。きっと、テレシアに出会わなければ、知ろうともしなかったはずだ。


 先ほどのテレシアとの会話を思い出して、我ながら完璧な対応ではなかろうか、とレヴィエントは自画自賛していた。己の心のままに話せるのであれば、「またご観覧なされませんか。貴女にご覧いただけるのであれば、より張り合いが出るというものです」くらいは口にしていたかもしれない。あるいは、この二年で学んだ知識を用いて、テレシアが好む器楽の話題でも振っただろう。

 ――考えても詮無いことだ。婚約者のいるテレシアを相手に、未婚の男性である自分が、次に会うような約束や親し気な個人的会話を持ちかけるのは憚られた。通常であれば、このくらいの内容は目くじらを立てられるほどでもない。だが、レヴィエントの初恋は社交界に広く知られている。しょうもない噂を立てられでもしたら、傷付くのはテレシアの名前だった。


(これでいい。……これが、正しい距離だ)


 もとより、特別に親しかったわけではない。互いの兄同士の親交からそれなりの頻度で会っていた頃もあったが、それも一時期のことだ。嫌われてはいないだろう。多少は好ましく思ってくれているかもしれない。だが、それだけだ。顔見知りというには深すぎて、友人というには少し浅い。それでもただの伯爵家の三男坊にしては、十分すぎるくらい近くにいられた。相手は公爵家のご令嬢だ、レヴィエントと同じような立場の者は、一生会話すらしないことだってある。それが、名前を呼んでもらえた。たくさん話をすることができた。何度も笑顔を向けてもらえた。社交用の笑顔も多かっただろうが、その中には一つくらい、本物が混じっていただろう。レヴィエントの直感はそう言っている。――それだけで、十分だ。


(秋の祝年会まで、あと一年か)


 それまでに、どうか彼女に認められるような男にならなければ。レヴィエントが望むのはそれだけだった。


――――


 テレシアは、自分で思っていたよりずっと、自分の心とはままならないものだということを知った。


「お祝いするのが遅くなってしまい、申し訳ございません。――ご婚約、おめでとうございます」


 去り際に、レヴィエントが告げた言葉を思い出す。無難な礼の言葉を返して、それから二言三言、言葉を交わしたはずだった。だが、その内容はあまり覚えていない。覚えていなくとも差しさわりのないような、他愛もない会話だったはずだ。


(……傷付く資格など、私にはないはずですのに)


 一瞬の動揺は、きっと悟られていないに違いない。胸の内がどうであれ、それを相手に悟らせないだけの訓練は、積んできた自負があった。事実、今だって表面上は滞りなく目の前の相手と会話できている。先ほど声をかけてきたのはハルミオン侯爵家のご当主で、横にいるのはその嫡男。交易で財を成している家柄ゆえか、ご嫡男は外国の器楽にも造詣が深くて、テレシアは会話を楽しんでさえいた。……確かに楽しいと思っているはずなのに、心の一部分だけが、どこか切り離されたようにぼんやりと痛んだ。

 

 そう、テレシアは傷付くべきではない。その資格もない。


 テレシアには婚約者がいる。隣国の第四王子だ。一度も会ったことはないが、貴族の政略結婚とはそういうものだ。否やはなかったし、国のために嫁ぐのだから、むしろそれが自分の使命だと思っていさえいた。婚約者のいる自分が、他の男にその婚約を祝われて傷付くなど――どうかしている。婚約者のいる淑女として相応しくないし、不適切だ。それ以前に、テレシアは彼の求婚を何度も断っている。傷付く資格などないはずだった。


「まあ、それは素敵ですわね」


 ハルミオン侯爵令息との会話は楽しかった。テレシアが嫁ぐ予定の隣国の民族楽器の演奏を、彼は聴いたことがあるらしい。テレシアも、知識としては知っていれど実際に聴いたことはない。久しぶりに新鮮さを感じる会話だった。だが、テレシアの心は晴れない。


 何に心を乱されているのか――誰に心を乱されているのか。そんなことは考えるまでもなく明らかだったが、テレシアは必死で気付かないフリをしていた。自分はそうするべきだから。気付いてしまうことは――相応しくないから。そうして生きてきたし、これからも、きっとそうできるはずだった。

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