第三話 春の祝年会
三度目の邂逅は、随分先のことになった。ターズウェル伯爵夫妻がテレシアの出席する可能性のある催しを徹底的に避けたからだ。これまで以上に入念に。――当然である。
レヴィエントが再びテレシアと相対したのは、公爵邸のパーティーから約三年が経過したあと――レヴィエントが十歳の時のことだ。
王国では、その年に十歳を迎える貴族の子女に向けて、王家主催の祝いの場――春の祝年会が開かれる。午前中に式典を行い、午後に王宮の中庭でパーティーが行われるのだ。その年に十歳を迎える貴族の子女、ということは――テレシアも当然出席する。不安しかないターズウェル伯爵夫妻だったが、どう考えてもレヴィエントをこれに出席させないわけにはいかなかった。何せ王家主催である。礼儀作法が不安程度の理由では欠席できない。ターズウェル伯爵はいざとなったら息子の足の骨でも折るかと真剣に考えていたが、その心配は徒労に終わる。祝いの会まであと四か月の段階で――レヴィエントは十歳にしては十分すぎるほどの礼儀作法を身に着けていたのだ。
さかのぼるのは三年前、公爵邸でのパーティーの後、ターズウェル伯爵夫妻は決意した。どうにかしてこの剣術馬鹿に礼儀作法を身に着けさせると。どうにか……どうにかして。しかし、決意したはいいものの、問題はどうやって身に着けさせるかである。厳しいと有名な家庭教師も、王都一と言われるマナー講師も、レヴィエントはあっさり撒いて練習場に一直線だったのだ。
ターズウェル伯爵夫妻は再びレヴィエントから剣を取り上げたわけだが、またもやレヴィエントはあっさり従った。拍子抜けしたターズウェル伯爵夫妻は思った。――デジャヴだ、と。レヴィエントは、公爵邸でのパーティーの翌日から、礼儀作法の授業に真面目に取り組むようになった。それどころか、一度はフル無視を決め込んだはずの王都一と言われるマナー講師をもう一度呼んでくれと両親に頭を下げてきた。あのレヴィエントが、だ。
――どうやら、息子はテレシア嬢に本気らしい。
ターズウェル伯爵夫妻は、息子に初恋を諦めるよう説得を試みた。親として息子の初恋には温かい気持ちを抱いてはいたが、それはそれ、これはこれ。家格はギリギリどうにかなれど、テレシア嬢とレヴィエントではあまりに釣り合わなさすぎる。かたや他国の王族に嫁がせても問題ないほどのご令嬢で、かたや礼儀作法もままならず、剣しか取り柄のない剣術馬鹿である。もちろん、普通であればただ想うくらいは何の問題もないのだが、いかんせんレヴィエントは前科二犯。
一度決めたらこう、という頑固さはどこから来たというのか。祖父の血だろうな、とターズウェル伯爵は思った。ターズウェル伯爵の祖父、つまりレヴィエントの曽祖父は、とにかく頑固者だった。レヴィエントの容姿は母方に似て黒髪の美しいなかなかの美少年なのだが、性格は彼に似たらしい。ちなみに、レヴィエントの曽祖父も剣術で名を馳せた人物だった。
果たして、ターズウェル伯爵夫妻の説得は無駄に終わった。――当然である。こうと決めたら一直線、レヴィエントのひたむきな姿勢は初恋にも遺憾なく発揮された。彼の剣術へののめり込みようを見れば、一目瞭然とも言える。
レヴィエントは、剣の鍛錬を許された後も変わらず真面目に礼儀作法を学んでいる。だが、ターズウェル伯爵夫人の胃が安寧を取り戻すには、レヴィエントは一途に過ぎた。
「フルリエ公爵家テレシア嬢、ご挨拶を」
レヴィエントの口から出たその言葉に、パーティー会場はざわついた。ターズウェル伯爵夫妻が目を離した隙の一瞬だった。
「ターズウェル伯爵家が三男、レヴィエント・ターズウェルです」
過去の現場を見ていた大人は思った。ターズウェル伯爵夫妻も思った。――名乗った、と。いや、何を当たり前なことをという話だが、過去のレヴィエントを考えればそう思ってしまうのも仕方がないと言えよう。
地方から来た貴族を中心に、何人かは「ほう、あれが」とレヴィエントに注目していた。まあ、すでに会場中の視線を集めているのだが。
レヴィエントがテレシアの前に立ってやることとなど決まっている。
「テレシア嬢、俺と結婚してくれませんか」
レヴィエントは、片膝をついてテレシアに手を差し出した。この国での、一般的なプロポーズの礼である。
テレシアは一瞬だけ瞠目し、すぐに美しく微笑んだ。頬に手を当て、少しだけ首をかしげる。十歳にしては大人びた仕草だが、彼女がするとごく自然に感じられた。
「確かに、礼儀作法には則っておりますけれど……わたくし、上品な言葉遣いの方を好ましく思います」
「だそうだ。また挑戦してくれ」
にっこりと美しい笑顔を見せたテレシアの横で、フルリエ公爵はさも楽しそうな目でレヴィエントを見ていた。レヴィエントは立ち上がり、二人に一礼する。
「分かりました。それでは失礼します」
レヴィエントはそう言うと、踵を返して退出した。フルリエ公爵はひらひらと手を振っている。二度も断られてなお一途にテレシアに求婚してきたレヴィエントの挑戦を、完全に楽しんでいるようだ。
三度目の邂逅はそれで終わりである。
その日の夜。レヴィエントは、自室の椅子に腰掛け、自身の手を見つめていた。剣だこばかりの手だ。レヴィエントは、初めて剣を握ったその日から、一日たりとも鍛錬を行わない日はなかった。両親に剣を取り上げられていた間すら、筋力と体力の鍛錬は欠かさなかった。
差し出した自分の手を、取らなかったテレシアの手を思い出す。白くてすべらかな、傷一つない手だった。あの手もまたレヴィエントとは違う種類の努力でつくられているのだと、母の姿を見たレヴィエントは知っている。
(何が問題だった?)
テレシアの言葉を思い返した。
――わたくし、上品な言葉遣いの方を好ましく思います。
つまり、今のレヴィエントは上品な言葉遣いではないということだ。
礼儀作法は完璧だった。言葉遣いも、この年齢にしては及第点だと言われていた。だが、テレシアと比べれば確かに拙い。
彼女のレベルまで持っていけばいいのかとも考えたが、そう単純なことでもない気がした。根拠はない。レヴィエントの勘だ。だが、この勘は非常によく当たることも、レヴィエントはまた知っていた。
どうすればいいのかは分からない。ただ、次に会う時までに、何かを変えねばならないことだけは分かっていた。
レヴィエントは立ち上がる。こういう時はどこへ向かえばいいのか、レヴィエントは知っていた。
「――カイエル兄さん、入ってもいい?」
「レヴィエントか。もちろんだ、おいで」
レヴィエントが訪ねたのは、一番上の兄カイエルの部屋だった。五歳上の長兄は、レヴィエントよりよほど多くを知っている。自分の嫌いな座学もきちんと受けていて、剣術の腕もいい。レヴィエントはそんな兄を強く尊敬していた。剣の分野でも、カイエルを相手にしての模擬戦は勝率五割がいいところだ。――いや、五歳も上の、おまけに同年代でも上澄みであるカイエルに半分も勝てている時点でレヴィエントがおかしいのだが。
レヴィエントは、昔から何かに困ったらカイエルの部屋を訪れることが多かった。カイエルもそんな末弟をかわいがっていたし、彼の圧倒的な剣の才能とそれを上回るほどのひたむきな努力を、一人の男として認めてもいた。
カイエルは机で書き物をしていた手を止め、レヴィエントを迎え入れた。温かいお湯をマグカップに淹れてやり、ソファに並んで座る。この弟は、また何か困っているのだろう。内容については、大体想像できる。
「どうした、もう遅い時間だろう」
剣では自分に匹敵するが、カイエルにとってレヴィエントは五歳も下のかわいい弟だ。まだ十歳の彼が起きているには少し遅い時間だった。
「うん……」
「話してみろ」
こくりと頷いた弟から事の顛末とテレシアの言葉を聞いたカイエルは、彼女の言葉の示す意味に内心驚きを抱いていた。要するに、テレシアは「貴族的な言い回し」と「言葉の裏をうまく使う能力」について言及しているのだろう。確かに貴族には必須の能力だが、カイエルだってようやっと様になってきたかどうかというところだ、十歳の少女が語るには余りに高度だった。それも、テレシアは実際にそれを使いこなしている。だが――フルリエ公爵家なら、あり得るか。
カイエルは学園の同級生の顔を思い浮かべた。アウレリウス・フルリエ――フルリエ公爵家の嫡男で、テレシアの兄にあたる男だ。彼も、十五歳にしてはあまりに完成された能力を持っている。さすがはフルリエ公爵家と思ったものだったが、妹もどうやらそうらしい。
「そうだな……レヴィエントは、ちょっとだけ素直過ぎたのかもな」
カイエルは言葉を選んだ。レヴィエントは、剣に関しては驚くほど聡いが、それ以外のこと――勉強や貴族の駆け引きなんてものに対してはそうでもない。むしろ、数年前までさんざ逃げ回っていたせいか、どちらかといえば知らない方だ。これらは、レヴィエントが今まで頑張ってきた礼儀やマナーといったもの、その先の話である。
「お前のやり方は必ずしも間違っているわけじゃない。言いたいことを素直に伝えられるのは、お前のいいところだ」
少し気落ちしたような弟の頭を、カイエルは少し乱暴に撫でた。母譲りの、カイエルと同じ黒髪がくしゃくしゃになって、すぐにもとのさらさらストレートに戻る。色は母でも質は父に似たのか、くせ毛のカイエルには羨ましい髪質だった。
「だが、相手が貴族である以上、通じないこともある。喩えるのが難しいんだが……お前は、剣を振るう時はすべての一撃が本命か?違うだろ?相手の様子を見て、引いたりフェイントを入れたりもするはずだ。剣を振るうように、言葉も選べ」
レヴィエントは、その言葉を頭の中で何度も繰り返した。
剣を振るうように。力任せではなく、相手を見て、間合いを測り、無駄を削ぎ落とす。そうして初めて、剣は意味を持つ。
――言葉も、同じなのか。
「……難しいな」
ぽつりと零した弟の言葉に、カイエルは小さく笑った。初めての恋を一生懸命叶えようとするレヴィエントを、カイエルは微笑ましい気持ちで見ていた。カイエルは、内心では弟の恋を応援している。……レヴィエントとテレシアが会うたびに胃を痛めている、両親にはとても言えないが。
「だろうな。俺もまだ、完璧じゃない」
「でも、兄さんは出来てる」
「出来てるように見せているだけだ」
カイエルはそう言って、レヴィエントの額を軽く小突いた。
「焦るな。お前は剣を覚えるより先に、剣を好きになった。言葉も、そのうちそうなる」
「……うん」
レヴィエントは頷いた。
まだよく分からない。けれど、次に会うときは、同じ失敗はしない――そんな予感だけは、確かにあった。レヴィエントの勘は、よく当たる。




