第十二話 噂
冬が明けると、貴族たちは春から始まる社交シーズンに向けて徐々に外交を活発化させる。春先に始まった戦争が一月と続かずあっさりと集結したこともあり、王都には本格的な社交シーズンが到来していた。
テレシアの婚約の白紙撤回が正式に発表されたのは、春も半ばを過ぎた頃のことだった。初春の開戦時点で大方の貴族は予想していたようで、その知らせはさしたる混乱もなく受け入れられた。シーズンが始まったばかりの社交界で注目の話題といえば、テレシアの次の婚約者が誰になるかである。
王都では、社交シーズンに合わせて行われる多くの催しが開戦に伴って中止になっている。その割には激化することなく集結したため、暇を持て余してた貴族たちの中には、この婚約レースを賭け事のように楽しんでいる者たちが多くいたのだ。
当初はレヴィエントも有力候補の一人に名前が挙がっていた。レヴィエントは誰もが知る第一騎士団の有望株、エルハンダラの厄災を退けた英雄だ。もともと名門伯爵家の出であり、大騎士褒章も受けた今となっては、国一番の大貴族フルリエ公爵家の令嬢であるテレシアの結婚相手としても不足はない。しかもレヴィエントは未だ婚約者がおらず、浮いた噂もなかった。
レヴィエントの初恋は社交界でも広く知られている。かつては無謀な恋とされていたが、十分釣り合いが取れるようになった今、真っ先に婚約を申し込むのではないかと目されていたのだ。
だが、社交界の予想に反して、レヴィエントやターズウェル伯爵家がテレシアに婚約を申し込んだという話は聞こえてこなかった。直接探りを入れる貴族もいたが、煙に巻かれてしまっている。一向に動きがなかったため、ロマンス好きの若い女性からは未だに根強い支持があるものの、時が経つにつれてレヴィエントを推す声は次第に下火になっていった。
今最も有力とみなされているのは、ハルミオン侯爵家の嫡男である。テレシアとは器楽という共通の趣味があることも相まって、最有力候補の筆頭だった。対抗馬には西の辺境伯の孫息子、友好国の宰相家の嫡男が挙がっていた。どの家も、フルリエ公爵家に正式に釣書を送ったことを公表しているのだ。申し込みの有無は明らかにされていないものの、新興国の王族や遠国の大公家から釣書が届いたという話もあり、こちらを推す者たちも少なくない。帝国の皇后候補に挙がっているという出所不明の噂もあった。
花見のシーズンのうちには婚約発表のパーティーが行われるのではないかというのが社交界の予想だった。かなり短期間にはなるが、どの家も条件のいい男たちであるし、いかなテレシアといえど、十八歳という年齢を考えるとあまり悠長にもしていられないのではというのが大方の見方である。遅くとも、春の終わりには次の婚約が決まるのではないかと言われていた。
だが、花の盛りが終わって、初夏の爽やかな風が吹き始めても、テレシアの新たな婚約が発表されることはなかった。
(どうして……決まっていないんだ?)
春になると、魔物も行動を活発化させる。任務で対魔物戦線の前線基地にいるレヴィエントは、まったく決まる様子のない社交界注目の話題に当惑を隠せなかった。前線にあっても、貴族の団員であれば社交界の情報はある程度手に入る。テレシアの婚約に関してはレヴィエントも気にしていたため、積極的に情報を集めていた。噂に上がる婚約者候補たちは、どれも優良物件ばかりである。誰が選ばれても、テレシアが不自由するようなことはないであろうと、レヴィエントは痛みと共に安堵を感じてもいたのだ。
しかし、いつまで経っても婚約が決まることはなく、つい先日には、有力と目されていた西の辺境伯の孫息子と別の令嬢との婚約が発表されてさえいた。
フルリエ公爵家のことだ、テレシアの次の婚約者はすぐに決まると思っていた。実際、噂に上るのは他家であれば即決でもおかしくないような好条件の婚約ばかりだ。多少の吟味こそすれ、今の時期になっても決め切らないというのは少し違和感を覚える。
レヴィエントの胸の内には、嫌な矛盾が同居していた。
誰が好きな女が他の男のものになることを望むのか。だが、自分より相応しい男がいるのであれば、その男と結ばれて幸せになってほしいという気持ちもまた事実だった。自分の浅ましい恋心などよりも、テレシアの将来の幸せの方がずっと大事だ。心は誰のものにもなるなと叫ぶが、頭では彼女の婚約が早く決まってほしいと思っている。いたずらに決定を延ばせば、申し込みの取り下げや条件の悪化は免れない。実際に有力候補の一人は婚約の申し込みを取り下げて別の家の令嬢を選んだ。まだ幾人も残っているとはいえ、選択肢が減ればそれだけ交渉での優位は失われる。選択肢が潤沢なうちに、できるだけ有利な条件で婚約を結ぶのが家のためであろうことは間違いなかった。時間はテレシアに味方しないのだ。
だが、フルリエ公爵にしろ、テレシアにしろ……何の考えもなしに婚約を先延ばしにするとは思えない。
(何かしらの圧力がかかっているのか、あるいは――何かを、待っているのか?)
その考えを、レヴィエントは即座に打ち消そうとした。
そんな不確かな憶測に意味はない。フルリエ公爵家ほどの家が、理由もなく時を浪費するはずがなかった。圧力があるならば、なおさら迅速に決めるはずだ。政治とは、常に主導権の奪い合いなのだから。だからこそ、理屈をなぞるほどに、違和感だけが残った。
前線基地に届く社交界の情報は、どうしても断片的になる。
(何かが起こっている?そうだとして……何が起こっているんだ?)
――確かめたい。
レヴィエントは強くそう思った。政治に関しては、レヴィエントよりもテレシアやフルリエ公爵の方が数段上だ。レヴィエントに出来ることなど多くはない。
それでも、愛する女の周りで何が起こっているのか――何が起ころうとしているのか。レヴィエントは自分の目で確かめたかった。
そんなレヴィエントの内心を知ってか知らずか、翌日、レヴィエントには王都への帰還命令が下った。




