彼女
親が寝静まったのを確認して、私は静かに外へ出た。これから夜の散歩に出かけるのだ。
田舎の夜は暗い。街灯はあるが、元々間隔が広く、電灯が切れていることも多い。物置に隠していたお散歩セットを回収し、反射材をタスキがけにする。右のポケットに携帯のカセットプレーヤーを、左のポケットには小型の懐中電灯を突っ込み、敷地を出る。敷地を出る、なんて言ったら誤解されそうだが、田舎なので土地は広いのだ。
私の両親の家は山の中にある。大きな山で、峠を越えて家の反対側に位置する場所は暴走族のたまり場になっていた。
急な山道で、クネクネしているせいか、非常に走り屋に人気のコーナーらしい。毎日爆音が轟いている。
私は山を少し下り、地元民しかしらない、歩きでしか行けない橋へ向かった。
爆音も聞こえないし、ひと目もないひと息つける、私にとっては秘密の場所だった。
うっすらと街灯が灯り、人が認識できるくらいの明るさと静けさが落ち着く。
カセットプレーヤーを再生し、一人で歌を歌っていると不意に声をかけられた。
「悲しい歌歌ってるけど、死にたいの? 付き合ってあげようか?」
私はヘッドホンを外して彼女に向き直った。声をかけてきた女性は緋色の髪が印象的などう見てもギャルだった。
季節は晩秋。夜のお散歩もそろそろお休みしようかというくらいの寒さなのに、肩もお腹も脚も出ている。
「寒くないんですか?」
「ロングブーツ履いてるし、毛糸のパンツ履いてるからギリ大丈夫」
彼女は私のすぐ目の前に立って、顔を覗き込んだ。
「どしたん、これ! 顔に痣できてんじゃん」
「あ〜、ちょっと、いろいろ?」
二十歳を超えているのに、仕事決まらなくて親元で生活していて、親に殴られるのが日課だとは情けなさ過ぎて言えない。
「まあ、生きていくってしんどいけんね〜。いろいろあるよね~」
カラカラと笑う彼女に寂しさを感じた。
「何聞いてたん? 聞かせて」
彼女がそうせがむので、巻き戻してヘッドホンを渡した。
温かいけれど繊細で透明感のある女性の歌声がヘッドホンから漏れる。すぐに彼女の目から涙が流れた。私はびっくりしてハンカチを探すが持っていなかった。彼女は涙を拭い、ずっと歌を聞いていた。何曲か聞き終わるまで私は彼女の背中を撫でた。
「……ありがとう。こんな歌つまらんって言える人間になりたかったな」
「そうじゃね」
私は彼女からヘッドホンを受け取った。私は彼女の顔、体を注意深く見、どこも異常がないことを確認した。
そう、体には異常がなかった。
彼女の顔を黒く塗りつぶすように日にちが見える以外は。
もっと注意深く探ると、嗅いだことのない異臭がした。
葉っぱのむせかえるような、今までに嗅いだことのない悪臭と生々しい独特の妙な臭いが混ざった臭いがイメージを引き寄せる。
目の前の彼女は玄関のたたきで靴も脱がずに立ち尽くしていた。その顔は青ざめているが、恐怖で足が震え動けず、終いにはその場でしゃがみ込んだ。
恐らく麻薬の良くない集まりに連れてこられ、行くことも帰ることもできなかったのだろう。
多分、この集まりで彼女は命を落とすのだ。
「今ならまだ間に合うけん、変なのと手ぇ切りんさい」
「何言っとん?」
「心当たりあるじゃろ?」
彼女はスッと顔色を変え、キモっと鋭く言って走り去って行った。
大麻の臭いをリアルで嗅いだことがないので、なぜ大麻だと思ったのかわかりません。でもなぜか絶対に大麻だと思ったのです。
作中の歌は、柴田淳さんの未成年です。
ちなみに澄川は氷河期世代です。




