昔語り小説その一:二度目の初恋
「とまぁそんな感じで、色々あったのだよ」
「色々あり過ぎですね」
時はあれから一年程流れ、俺は無事、学年を一つ上げて高校二年生となった。春は出会いと別れの季節。茶瓏先輩と準先輩は卒業してしまい、我が文芸同好会も三人となってしまったが、どこにでも物好きはいるというもの。という訳で、後輩であり新入部員の織葉に、文芸同好会の活動を語っていたのである。
もっとも、話でもしていなければ、放課後の空き教室に二人きりというシチュエーションに耐えきれなかったからなのだが。おかげで、ある事無い事色々喋ってしまったではないか。全く、きーちゃんと斗華は大事な新入生ほっておいて、どこにいっているのやら。
「で、先輩」
やはり、少し話し過ぎただろうか。彼女の目が爛々と輝いている事に不安を覚えつつも、軽い調子で応じる。
「何かね後輩」
「先輩が先輩の先輩に昔話をお願いしたという事は、私にもその権利があるという事ですよね?」
「ややこしい言い回しではあるが、そういう事になるな」
権利、という言葉をあえて使ってくるのが、この少女らしい所か。外見はぽややんとしていて抜けているようにも見えるのだが、その実中身はしたたかである事を、俺はすでに見抜いている。
そんな俺の期待に答えてか、彼女は攻める手を止めない。まるで、過去の自分を見ているようだ。
「では、私も聞きたいです」
「何をだ?」
「稜先輩が斗華先輩を気になり始めた経緯、です」
ぐさぁっと、あるいはばさぁっと、ぶった斬られた気がした。だがしかし、ここで動揺しては彼女の思うつぼである。後輩に良いようにされてなるものかと、平静を装って俺は続ける。
「……そんなもん聞いてどうするんだよ」
「えー、だって気になるじゃないですか。他人になんて興味無い、って感じの先輩が、どうして斗華先輩だけは気にかかる存在になったのか」
うーむむむ。なかなかどうして、この後輩は勘が鋭いようだ。
「しょうがないな……」
後輩には先輩らしい所を見せておかなければならないだろう。それに、隠しだてしておくと、後で更なる厄介事となって返ってきそうだ。何となく、彼女は敵に回してはいけない、そんな気にさせる娘なのである。
だから俺は、懺悔し始めた。聞けば誰もが情けないと思うであろう、今となっては反省する事しかない、鈍すぎる男の話を。
*
――遡ること、一年と数カ月。
俺、綾野怜文という人間が、中学生までは孤独な人間であったのは、周知の通りである。であるからして、高校に入学した所で特に協調性を発揮する事もなく、そんな雰囲気を悟って空気を読んだ同級生にこれといって話しかけられる事も無く、顔合わせから三週間程経過しても、ずっと一人で過ごしていた。あれは、その頃の事だった。
俺はいつものようにクダラナイ事を考えながら、学校へと続く一本道を、“のそのそ”とか、“のしのし”とか言う音が似合いそうな感じで歩いていた。爽やかな朝だというのに、こうやって気だるく、かつやる気ゼロで歩いているのは、俺ぐらいのものだろう。この時点では友人も知り合いも皆無だったので出来た芸当だ。今やったら、きーちゃん辺りにドロップキックでも喰らいかねないもんな。
話を戻そう。すると、後ろから、“とことこ”とか“てこてこ”という女子特有の走音を奏でながら、
「あーやーのーくぅーん!」
と叫ぶ少女が現れた。突然の事で俺はフリーズし、そして、あろう事か音のした方を振り返ってしまった。振り返るという行為は、相手を認識するという事である。そして、誰であろうと名前を呼ばれ、こちらに一生懸命走ってくる姿があれば、足を止めてしまうだろう。そうやって隙を作ったからかもしれないが、少女はその音の割には早く、俺に追いついた。遠目で見た時も思ったのだが、この少女、女子にしちゃあ背が高いようだ。俺より五センチは高いだろう。念の為、さりげなく後から確認したら、百六十八センチ。俺がショックを受けた事は言うまでも無い。
それなのに、細いからだろうか。印象としては、大分小柄に見える。長い黒髪を耳のあたりで二つに結んでいるのもあって幼く見え、可愛い、という印象を与える子であった。
その姿を見て、俺は何故だか懐かしい感情がこみあげてくるのを感じた。知り合いだったとしても、まだ出会って、間もないはずなのに。でも、どこかで見た事がある気がする。そうは思ったのだが、常にしたばかり向いている俺には、思い出せるはずもなかった。担任の顔だって、まともに覚えていないのである。自力で思い出すのは無理だと悟り、彼女の口から言葉が出るのを待つ事にした。
少女も少女で、当然、俺が自分の事を知っているはずだと思ったらしいが、俺が何も言わないのを見て、空気を読んだのだろう。
「えっと、私、モモハラナツキ。隣の席、なんだけど……?」
失礼にならない程度に、自己紹介してきた。その謙虚な姿勢には、好感が持てた。
「あ、ああ、そうだったね。ごめん」
隣の席なのに覚えていない、というのは確かに酷い話だろう。一応、礼儀として謝っておいた。
ふむ、桃原夏葵……。そういえば、聞き覚えがある、気がする。しかし、“隣の席になった”というだけで、こんな風に親しげに話し掛けてくるものなのだろうか? 俺にはよく解らなかった。
「あのね、私、綾野君とお友達になりたくて」
彼女の真意を探ろうとしていたら、さらに意表をついた言葉が俺の耳を貫いた。な、何、だと……?
「え? 俺と?」
これは本当に、素のリアクションだった。俺の何が、彼女の興味を引いたというのか。
初めての体験で困惑している俺をよそに、彼女はさらに畳み掛けてくる。
「うん。あ……、私じゃダメ、かな?」
「いや。駄目じゃないけど……」
完全に視線は上からのはずなのに、何故か上目遣いのように、潤ませた瞳で見つめられ、俺は焦ってしどろもどろになる。……完全にペースを乱されていた。
「あ、そう! 良かったぁ。じゃあ、アド教えてもらっても良い?」
「あ、あぁぁ、うん」
人と話したのも久しぶりだし、友達になりたいと言われたのも初めてに近い経験なのに。赤外線という便利な手段を使用し、ものの数秒で携帯のアドレス交換までし終えてしまった。親以外で初めて、俺の携帯に人名が加わることとなった、ある種歴史的な瞬間であり、柄にもなく少し感動してしまった事を、今でも何となく覚えている。
その後、学校までの道のりをてくてくと歩きながら、俺達は取り留めのない話をした。主に彼女が質問し、俺が答え、彼女が自分自身の事について話す、という流れであり、不思議とそれが心地良かった。何よりも彼女が、どんなに下手な話でも笑顔で聞いてくれた事が、一番嬉しかった。
気が付いたら教室に着いていて、それでもなお、周囲の視線を気にすることなく、俺達は話し続けていた。
親以外の人間と話すのは何年振りだろうかと、頭の片隅で考えていた。
その後も、桃原とはちょくちょく話をしたり、メールをしたりした。ついでに、彼女に誘われて、帰宅部の星になろうとした俺の志まで折られてしまう。まぁそのおかげで、俺は今こうして文芸同好会に所属している訳だけれど。
だが、俺の人生による革命とでも言える出来事は、それだけでは終わらなかった。
俺が彼女と話をしていた所を目撃した男子達が、俺に話し掛けてくるようになったのである。理由は、言わなくとも分かるだろう。皆、桃原と仲良くなりたいのだ。知っての通り、彼女はなかなかの美少女である。お近づきになりたいと思うのが、健全な男子高校生というものであろう。
とまぁ、最初はそんな不純な動機だったのだが、俺という個人に話しかけてくれる奴が段々と増えていった。俺が案外普通の人間だと分かったのと、本ばっかり読んでいたので妙に成績が良かったという、この二点が大きいのかもしれない。でも徐々に、特に用事の無い時にでも、中身の無いくだらない会話が出来るようになっていった。
気が付いた時には、周りに人が居るのが当たり前になっていた。久方ぶりに、“友達”と呼べる仲間が出来たのである。
こんなに笑ったのはいつ以来だろう?
こんなに怒ったのはいつ以来だろう?
こんなに――充実した日々は、いつ以来だろう?
人と話をするようになってからは、忘れかけていた、あるいは心の奥に仕舞い込んでいた様々な感情が、自然と出てくるようになった。
「あーやー、遊ぼうぜぃ」
「おう。今日は何する?」
こんな会話、昔じゃ考えられなかった。でも今は、普通に受け入れられる。これが日常であると、胸を張って笑っていられる。
全ては彼女の、夏葵のおかげだ。
そこで、俺はようやく思い出したのだ。どうして彼女を見て、懐かしい気持ちになったのか。それは、小学生の時に俺を助けてくれた少女と面影と重なったからである。小学生の時も今も、女の子に助けられてばかりかと思うと大分自分が情けないが、しかし彼女たちのおかげで助かった事は、紛れもない事実である。
彼女達がいなければ、俺はこうやって普通に笑う事さえ、出来なかっただろう。そういう意味では、本当に感謝している。口に出しては、言えないけれど。
こうして俺は、桃原に憧れるようになり、彼女達のように人を助けられるようになりたいと思った。そう、彼女達は俺にとってのヒーローなのである。そりゃあ、気になりもするし、もっと話したいと思うようにもなるだろう。
もっとも、その憧れに少し変化が加わるのは、もう少し後になるのだが。
余談ではあるが、前に助けてくれた少女の名も“ナツキ”であった事は、流石に覚えていた。しかし彼女は父親の仕事の都合で海外に行ってしまったので、もう会う事は無いだろうと勝手に決め込んでいたのである。
その思い込みが無ければ、俺はもっと早く気が付いたのかもしれない。
同じ少女に、二度も恋をしたという、なんとも甘酸っぱくて純粋な、その事実に。
*
「で、その考えは正しかったんですねー」
「そういう事になるな」
「へぇー」
「そんな風に思ってたんだー」
「うわっ」
話に没頭していたからだろうか。背後から忍び寄っていたらしい、最も警戒しなければならない人物二人の影に気が付かなかったとは。不覚通り越して切腹ものである。顔から炎が上がりそうだ。
「きーちゃん先輩、斗華先輩、こんにちはーです」
一方の織葉は、自分の事ではないからかいつもの調子で挨拶をする。この辺り、斗華と似た所もあるのだが、おそらく彼女の方がしたたかなのではないかと俺はにらんでいる。
と、そんな考察に思考を逃がしてみるのだが、そんな事で追及の手を緩めてくれるきーちゃんではない。
「こにゃにゃちは、っと。そんな事より」
意地の悪い、しかしものすごく楽しそうな笑みを浮かべて、何故か俺では無く斗華に向かって、彼女は問いかけた。
「斗華は同じクラスになった時から、稜が“レイちゃん”なんじゃないかって疑ってたの?」
「勿論。ただ、覚えていてくれるか自信が無くて、なかなか切り出せなかったんですけどね」
「ほう」
……うぐぅ。何だろう。本当に、俺と斗華の思考回路は似ていたらしい。ただ、行動への移し方が違っただけで。何この青春。何この素敵なネタ具合。
その事実に機嫌を良くしたのか、きーちゃんの笑みはますます、意地の悪いものになっていく。
「後輩よ、これは愛かねぇ」
「先輩、これは愛ですねぇ」
「二人して俺をからかうなー!」
これには流石に、全身全霊を持ってつっこんだ。斗華は基本笑っているだけで、否定もしてくれないどころか、焦ってすらくれないからだ。これが大人の余裕か、余裕って奴なのか、とも少し思い、結構凹んだが。
しかしそれも華麗にスルーされ、代わりにド直球のストレートを投げこまれた。
「で、結局二人はあれからどうなのよ」
『え?』
返答に窮した俺達は、最後は二人でハモって、うやむやに誤魔化した。
主人公の稜は、なかなか凄惨な過去の持ち主です。
それ故に、だからこそ青春っぽく、だからこそ恋愛ものっぽく仕上げてみました。
稜と斗華の関係は、ご想像にお任せいたします。




