0-3 でも、自分の力だけで生きていける
「…………?」
最初にその開拓村を見たとき、ウリスが感じたのは〝なんか変だ〟という奇妙な違和感だった。
村は確かに、森の中にあった。急ごしらえで拓かれた道、急ごしらえで作られた家。水源となる湖は近くにあるが、まだそれだけだ。開拓村というよりは、開拓拠点とでも呼んだほうが正しいだろう。そんな場所。
ウリスが気にしたのは、そこに住んでいる村人たちだ。
(なんだろ……なんか、みんな元気がない……?)
森から伐採した木を集積地へ運ぶ者、湖から水を引いて溜めるためのため池を作る者、畑になるのだろう大地を耕す者――ほかにも。
村に入る途中で見かけた村人たちは、夜だというのに精力的に活動しているようだが……ウリスはどうしてか、彼らが疲れ果てているように見えた。
それも、ただの疲労とは違う。
なにか、目が死んでいるような。まるで、生きていないような――生きていながらに死んでいるような、そんな違和感。
「おいガキンチョ。どうした?」
「え? あ……ごめん。ちょっと、ぼーっとしてた」
いつの間にか立ち止まってしまっていたらしい。ガラルドと小男に謝って、慌ててウリスは彼らを追いかけた。
村の中をずんずんと歩いていくガラルドたちに訊く。
「どこに向かってるんだ?」
「この開拓村の指導者……とでも言えばいいのかね。まあ、俺たちの雇い主さ」
気が難しい人でね、などとガラルドは頬をかく。小男も表情を硬くしていたから、よほどの難物なのだろう。
二人して渋い顔をしながら、ガラルドが辺りを見渡して言う。
「見りゃわかると思うが、この開拓村は人手不足でね。ガキの手でも借りたいくらいさ。普通に暮らしていきたいってだけなら、ここで暮らすって手もあるぜ?」
「やだ! 冒険者のほうがいい!!」
「即答かよ……なんだってそんな、冒険者になりたがるんだ?」
呆れたらしい。ガラルドは笑みに苦笑めいた困惑を足しこんで、自分の仕事をくさすように言う。
「こう言っちゃなんだが、あんまりいい仕事ってわけでもないぞ? いつだって危険と隣り合わせで、いつ死んだっておかしくない。毎回うまくいくわけじゃないし、簡単に金儲けできるわけでもない――」
「――でも、自分の力だけで生きていける」
ガラルドの言葉を遮るように、ウリスは告げた。
大事なのはそれだ。だからウリスは冒険者になるのだ。ガラルドやあの受付嬢の言い分は分かる。冒険者なんかになるよりも、孤児院や教会に引き取ってもらったほうがよほどまっとうな道だろう。
だが、それでもウリスが選んだのはこちらだった。
笑われても構わない。何にかは知らないが挑むつもりで、ウリスはガラルドたちを見上げた――
そしてきょとんと、首を傾げた。
「…………」
二人ともが奇妙な顔でこちらを見ていた。
羨むような、まぶしがるような。あるいは憐れむような――そのどれでもないような。
ウリスには、それがどんな表情なのかもわからない。わからないが。
「そうだな。そいつはきっと、大事なことだ」
ただぽつりと、ガラルドはそれだけ囁いた。
と、その時だった。
「――どうして帰ってきた」
「……!?」
不意に聞こえてきた声に、全員がハッと振り向いた。
先ほどまではいなかったはずの道の真ん中に、夜より暗い影が一つ――老人のようだった。それも、年老いて顔に深くしわの刻まれた、小柄な老人。高そうな本を片手にローブのフードで顔を隠している。
その老人――まるで悪い魔法使いのような――は、落ち窪んだ眼窩の中からぎょろりと目を動かすと、それこそ悪党のように繰り返した。
「〝お使い〟すら満足にこなせぬ木偶が。マヌケ面をそろえて、どうして帰ってきた」
(デク?)
聞いたことのない言葉だ。だがきっと、あまりいい言葉ではないだろう。老人の顔にある侮蔑に、ウリスは唇をムッとさせるが――
それよりも、ガラルドの声音に眉根を寄せた。
「きゃ、キャスバド。まずは話を聞いてくれ――」
(……?)
老人の問いかけに慌てて、弁明するように震え声で。ちらと顔を見やれば、その巨体に似合わない卑屈な笑みを浮かべて。必死に老人に媚びを売ろうとしている。
小男もだ。小男は笑ってはいなかったが、代わりに息を殺していた。その姿はまるで、親に怒られることに怯える子供のようですらあって――その異様さに、言葉を失うが。
老人は取り合わなかった。鼻で笑って、あざけるように、
「話? 話か……ワシの命じたお使いよりも、貴様の話なんぞのほうが崇高だとでも?」
「と、トラブルが起きたんだ。お使いなんかしてられないような厄ネタだ。お前に伝えたほうがいいと思ったんだ。それに……一応、仕事だってしてないわけじゃない」
言いながら、ちらとガラルドがこちらを見た。
その視線に誘われてか、老人もようやくウリスを見る。だがその眼に浮かぶ険悪さは、むしろウリスを見たせいで悪化したように見えた。
「仕事か。まさか、これがか。この娘が、そうだと貴様は言いたいわけか」
「こいつは――」
「いい。しゃべるな。これ以上不愉快な気持ちにはさせられたく――」
と。
老人は不意にその言葉を止めた。
ぎょろついた瞳に映り込んでいる自分が見えて、ウリスはどうしてか落ち着かない気持ちになる。緊張、とは少し違う。だが何か嫌なものに身がすくんで、ウリスは縮こまるように自分の身を抱いた。
そんなこちらをしげしげと観察して。老人がかすかに喜悦を含んだ声でささやく。
「ふん……木偶は木偶なりに役に立つか」
そうしてウリスから目を離すと、再びその眼に険を浮かべて告げてきた。
「木偶ども。話とやらは夜、聞いてやる。それまでは獣狩りでもしておれ。奴ら、腐臭を嗅ぎつけよる。面倒でかなわん」
そして言い切るなり、返答も待たずに消えた。
本当に、消えた。現れたときのように忽然と、まばたき一つの間に姿を消した。
小さく、肺から空気を抜くようなため息の音。その後に、ガラルドが言ってくる。
「見てたか? 奴さん、魔法使いなのさ」
「……魔法使い?」
「ああ。長年魔法の研究ばっか続けてきた、偏屈な爺さんでな。魔法使いにはああいうタイプが多い。人のことを馬鹿にして、見下してて――だけど、それにふさわしい力を持ってる。魔法使い、見るのは初めてか?」
「うん……いきなり出てきて、消えたのも魔法?」
何を思えばいいのかわからず、ただ素直に聞く。
ガラルドは先ほどの怯えはどこへやら、これまでと同じ様子で気楽に答えてきた。
「ああ。たぶん、幻影を見せる類の魔法だろうな。実際にはあの爺さん、そこにはいなかったはずだ。遠くから、魔法で俺たちと話をしてたんだ」
「ふうん……あれが、魔法なんだ……」
才能ある者だけが手に入れられる力だという。話に聞いたことはあったが、ウリスはそれを初めて見た。村にいたころは、そんなものおとぎ話だとさえ思っていた。なにしろ、村にいる大人は誰もそんなもの使えなかったからだ。
そんな力を今、目の当たりにした。何を思えばいいのかもわからないまま、ウリスはただ圧倒されるのみだが。
ガラルドたちは既に見飽きているのだろう。魔法については特に感慨もなく、こうぼやいた。
「帰ってきて早々怒られるとは、ついてねえなあ……まあいいさ。やれって言われたことはやっておかないと、な。これでまた怒られるんじゃ割に合わねえ」
「獣狩りしろって言ってたっけ。でも獣って?」
「さあな。野犬かなんかだろ。あいつら、なんだって食うからな。おちおち寝てもられん」
飢えた獣は獰猛だ。食べられるものなら何でも食べる。その中には当然、人間も含まれるわけで――
恐る恐る、ウリスは訊いた。
「……あたしも、行くの?」
まさか、とガラルドは笑って、肩をすくめてみせた。
「ガキにやらせる仕事じゃねえよ。お前の仕事はまた明日さ。今日はもう寝ちまいな――あそこの藁屋根の家。あれが俺たちの家だ。勝手に出かけんなよ?」