第一層 1 アウトロー・イン・ネオ・トーキョー
ーーー地下街中層2階、南側のとある区のホテル ーーー
下の階から朝飯の匂いがした。
味噌汁の匂い。
それから、肉の匂い…に混じる大豆の臭み。
大豆ミートウィンナーの匂い。
本物の肉を食えるくらいには金があるはずなのに。
居候の身分だが、それだけは文句を言いたい。
外はまだ暗い。
布団から起きて階段を降りていく。
欠伸をしながら居間の戸を開ける。
テーブルにはウィンナーと米が一皿に盛られている。
あとは味噌汁、至って普通の朝飯だ。
テーブルを挟んで奥側に白髪で髭面の小柄な老年の男が座っている。
男は何やら雑誌を読んでいる。
俺がマンマと呼んでいる太った女がキッチンから顔を覗かせる。
「やっと起きたかい!ほら!冷めないうちに早く食べちゃいなさい」
「わぁってるよ、マンマ」
本名は確か、フーリンという。いい人だ。
男の対面の席に着く。
「おいオッサン」
俺はその男をオッサンと呼んでいる。本名は忘れた。
「ああ、情報は確かだっただろう?後金の半分も払え」
とある案件の報酬の話をする前に、オッサンが先に払えと言ってきた。
情報は確かだったとはいえ、法外の金額だ。無論、この街に法など存在しないに等しいが。
「てめぇ、それは一昨日の案件でチャラになるだろ。そうすりゃ俺にお釣りが返ってくるくらいになる…
「食事中に仕事の話をしないっっっっ!!!!!」
マンマの野太い声が響く。話を遮られた。外でカラスが飛んで行った。
「はいすみませんハニー」
オッサンがそれに答える。いい年してハニーなんて…うげぇ、吐きそうだ。
チャカチャカと食器の音が鳴る。
オッサンと俺は飯を食い終えると、マンマに見送られながら階段を上っていき、屋上から垂れている縄梯子を伝って中層1階へと出ると、仕事へ向かった。
「で、金の件だが」
道中、俺はオッサンの顔を見て聞いてみる。
オッサンは答える。
「わかったよ…例のブツ、一日分でどうだ?」
「そりゃぼってるぜぇ。二日分だ」
「一日分に4錠プラス」
「…6錠」
「5錠だな。後は自分で仕入れろ」
「ったく。俺のことも考えやがれ」
オッサンはそのブツを俺に手渡した。小包に入れられたそれはジャラジャラと音を立てている。大きさの割に軽い。
「文句言いなさんな。地下街じゃ皆苦労してる」
「…その腰痛でも拗らせて野垂れ死にやがれ…くそったれぇ」
「年には逆らえんのだよ。特に尿漏れはな…とにかく、今日の仕事は…
「いや、今日は用事がある」
「んん?そうか。ならまた今度だな。先方には言っておこう」
「あいよ」
「もうヘマするなよ…」
「あいよ」
「あいよあいよ…またな。ムメイ君」
日照は地下では逆になる。
各層の壁面は光沢のある素材が使われている。
それにより、少しでも、光を取り入れようとしている訳だ。
それも整備不足で輝きを失っているが。
とはいえ、日光が遮られる南端は住むのには適していない。
だから、必然的に商店街や夜の娯楽街になる。
治安も悪い。
とはいえ、北側だって夏は暑すぎる。
全人類を存続させるために、大多数の人類は住めない場所に住んでいる。
そういう辺境に住むのは、金銭に余裕のない人間か、物好きな人間か、違法な人間だけだ。
オッサンやマンマは、多分三番目の人種だ。
だって、ホテルの一階と二階のフロア全部貸し切って住んでる。
貸し切るだけじゃなくて、壁をぶち抜いて、居間やキッチンや階段を付けている。
三階や、それより上も全部貸し切って、倉庫にしている。
その中身は見たことないが。
それだけじゃない。
層の天井をぶち抜いて、階層を行き来している。
普通の人間は、層ごとの移動には階層エレベーターというのを使うらしいのに。
オッサンはもう遠くへ行っている。
腰が痛くてヨボヨボなのに体幹はピチピチだ。
真っ当な仕事で付くものじゃない。
そんなジジィはいない。
まあ、仕事をくれるならなんだっていい。
マンマの作る飯はうまいし。
大豆でさえなければもっとよかったけど。
これから東の区にあるバーへ行く。
オッサンから買った情報は高くついたが、やはり確かだった。
ナカバ・シロン。元警察官。
なのに、正義漢。
やめる前、要人警護で失態を犯したそうだ。
上の要人なんて死んで当然だから、他の奴らも同じように職を失えば、もっと大切なものを失わなくていい。
空は青いが、ここは薄暗い。
この世の中は全部クソだ。
全部、全部、全部、全部。
政府も、このシステムも、それを作った奴らも、
こんな身体にしたゴミカス共も。
全部全部ぶち壊してもっと上に送ってやる。
いや…ここより下に。
この手で。
あの人の為なら…俺は天国でも地獄でも、どっちだっていい。
だからまずは、一緒に出てきた奴らを捜す。
捜し出して、ツケを払わせてやる。
登場人物
ムメイ…脱獄犯の一人。なぜかナカバを知っている
”オッサン”…職業不詳の老人
フーリン…職業不詳の老人の妻。同じく職業不詳
ナカバ・シロン…自警団 警備一課所属。元警察官
※この作品は全てフィクションであり、実在する人物・団体・事件とは一切関係がありません。
また、この作品には不適切な表現が含まれていますが、あくまで登場人物の発言・行為であり、作者はいかなる政治的思想・差別・犯罪その他違法行為・倫理的問題に関し、それらを肯定・助長する意図は一切ありません。