第二層 2 菓子折りと面会者
「よぉ、昨日の自警さん方ぁ」
その男は笑った。
前歯があった。
バキンに聞いた、その男だった。
「下の売店で会ったんすよ。『怪我してる自警さんのお見舞いがしたい』って!あと、これ全部買ってもらったっす!」
センツはその男を見る。
その男はナカバが渡した金銭分以上の様々な菓子類とジュースが入った大きな紙袋を体の前に両手で抱えて持っていた。
ナカバたちは銃を構えていた。
「どうしたんすか…みなさん」
「離れろセンツ。お見舞いに来ていただいた所申し訳ないが、あなたは指名手配犯の容疑がかけられている。保安法に則り、あなたを逮捕する。従わなければ同法及び指名手配書に則り…射殺する。」
ナカバの声は普段より一層低く病室に響いた。
センツはただただ混乱していた。
「いや、俺ぁただ会いに来ただけだぜぇ」
男が言う。
男はただ屈託のない笑顔を浮かべている。
「半グレがここに復讐しに来ることはよくあるが…こりゃとんでもない大物が釣れちまいましたね…ナカバさん…!」
バキンが言う。
「センツ君、その男を拘束しなさい」
「は、はい!そのまま絶対に動かないでください…!!」
センツの額から汗が滴り落ちる。
センツは訓練の通りに体を動かす。
銃を抜かれないようにホルスターのロックをかけ、手錠を手に取る。
男はセンツの手に握られた手錠を見て言った。
「待て待て。それだけは無理なお願いだぁ」
男は両手で持っている紙袋左手に持ち替えた。
ナカバはそれを見逃さなかった。
右手を空けた。
危険。
パァァン。
甲高い銃声が病院中に響く。
ナカバの銃のトリガーが引かれていた。
反撃の危険性を考慮してのことだったが、ナカバはそれとは別のある予想から男の胴体に向けて一発撃った。
自警団が発砲を許可されるのは、都市連合市民保安法という国際法に準拠した状況下においてだ。
病室内の状況で当てはまるのは、1 市民の生命に危険が及ぶ場合、2 警察及びそれに準ずる組織が安全保障上の理由に基づく命令に背いた場合の二つだ。
個人的暴力として行使されない限り、自警団の発砲は基本的に許可されている。
赤い液体が男から滴る。
男はため息を吐いた。
空いた右手は、ただ人差し指を立てていて、それをセンツに向けていた。
「NO」といった意味のジェスチャーだった。
安全だった、のだろうか。
センツは急な銃声に、思わず耳を塞いで身を屈めてしまった。
男がナカバを呆れた目で見る。
「…あんたさぁ…ここ病院だぜぇ。後先短い人生の先輩方のこととか考えねぇのぉ?それに指名手配たぁいえ、いきなり撃つこたぁなくねぇかぁ?」
「動くならまた撃つ。幸い、ここは病院だしな」
ナカバが言う。
「それにさぁ…」
男は持っていた紙袋を床に置き、中からトマトジュースのパックを取り出す。
「高いんだぜ?これぇ…せっかく体にいいもん買ってきたのによぉ」
赤い液体は「300% Tomato !!」と書かれた馬鹿みたいなトマトジュースのパックから流れ出ていた。
「あ!服にも穴が!これ気に入ってたのになぁ…」
男にもちゃんと命中していた。
脇腹のあたりからドロドロと血が噴き出している。
ナカバの予想は当たってしまった。
バキンから聞いた、抜けた前歯と左太腿への発砲。
そして車との即死級の衝突事故。
目の前にいるのは、確かにその男で間違いなかった。
笑った時、一本だけやけに白い前歯があった。
左太腿のジーンズの下の皮膚には確かに弾痕があった。
首の辺りにわずかに残る内出血は、恐らく轢かれた時にできたものだ。
この男は、大抵のことでは死なない。
そして何より、紙袋を持っている時、タートルネックが下に引き伸ばされて見えた、「00 01」という数字の上半分…
センツが後退る。
センツはこの病室に入るまでは談笑していた、今では銃撃された男を見て、混乱していた。
男は何やら脇腹に指をぐりぐりと突っ込んでいる。
弾頭を取り出そうとしているようだった。
「このやろう、腸出ちまったらどうしてくれんだよぉ」
「ひ、ひぇ…」
センツはまだこういう状況に慣れていなかった。
「グロいもん見せやがって…読みは当たってるとみて間違いなさそうだな。お前、例の脱獄犯だろう。次は容赦なく頭を撃つぞ。大人しくすれば、殺しはしない」
ナカバが言った。
男はまだぽっかりと空いた穴をほじっている。
「…撃てよ。俺はその脱獄犯って奴だからな」
男は下を俯いて、指を腹に突っ込みながら呟く。
「…あ?」
ナカバは戸惑った。
バキンの話には間違いがある。
この男は掴み所がないだけじゃない。
そもそも、生きることに執着がない。
バキンとジャックは銃を構えたままだった。
二人の視線は男に向けられているものの、意識は半分ナカバを向いていた。
「撃てって。正義のヒーロー」
ナカバは迷っていた。
先ほどの発砲には何の問題もなかった。
病室の外には、もう逃げてしまったが、何人かの患者が目撃者になりうる。
そして、ついさっきまでその実在すら疑っていた人間が目の前にいる。
やっと捕まえられる。
三か月前の集団脱獄。
その指名手配書。
それは『脱獄犯は生死を問わずその身柄を確保せよ』という内容だった。
ーーー正義のヒーローーーー
悪が正義を語るなら、その時、悪は何を正義とするのだろうか。
自分を正義とするのだろうか。それとも、悪とするのだろうか。
目の前の男は本当に悪なのだろうか。
追われる身であるなら、顔を知られた相手には近付かない。
追われる身であるなら、自分の身を守るために反撃をする。
そもそも追われる身であるなら、お見舞いなんてしない。
そもそも口封じをしたかったなら、センツを囮にすればよかった。
お見舞いが偽装なら、紙袋いっぱいに買う必要なんてなかった。
いいや。
目の前の男は悪である。
自分は自警団であり、相手の素性が知れない以上、警戒しなければならない。
相手は仮にも脱獄犯だと認めており、そうである以上、身柄を拘束しなければならない。
自分は自警団であり、相手は犯罪者である。
秩序は保たれなければならない。
『脱獄犯は生死を問わずその身柄を確保せよ』
…脱獄?
身柄を拘束した後はまた刑務所なりに送還されるのではないか?
仮に死刑囚であったとしても、法の下裁かれるべきである。
なぜ、生死を問わないんだ?
指名手配書の文言に対して今まで何も思わなかった訳ではなかった。
しかし、この男を見てその違和感ははっきりと疑念に変わった。
警察は確実に何かを隠している。
永久歯が生え変わったり、衝突事故で死ななかったりする人間が存在するなど、ありえない。
それこそ人体実験でもしない限り…
もしそうなら首の数字は…
この男や他の脱獄犯はそういう不都合な事実であって、警察はそれを隠そうとしているのではないだろうか…
「お、取れた」
男はつい先ほど撃たれた弾頭を摘まんでいた。
どろっとした血の塊のついた手で。
そして、何事もなかったかのように立っていた。
「なんだ。撃たないのか」
ナカバは黙っていた。
「やっぱあんた、頭良さそうだな。会って正解だった」
ナカバは銃を下した。
この男を判断するには、紙切れ一枚では足りないと思ったからだった。
バキンとジャックは、ナカバの様子に多少困惑しながらも何かを悟り、銃を下した。
センツは緊張が一気に弛み、腰を抜かして倒れた。
結局は後に振り返ってみても、この時のナカバの考えは正しかったと言える。
「あんた、元警察官のナカバだろぉ」
「なぜそれを知っている」
「へへ、まぁいいじゃねぇか。実はちょいと頼みがあってなぁ」
「聞くと思うのか?」
「ああ。俺ぁあんたを信用してる。現に腹割って話してる。ほら見ろぉ」
男は腹筋に力を入れて、腹にできた新しい穴から血を噴き出す。
ジャックは吹き出した。
「…笑えんよ」
ナカバは真顔で言った。
しかし、どこか安堵や清々しさが漏れ出していた。
「そうかぁ?長い間ここよりかぁ太陽に近い所にいたからなぁ。紫外線やらなんやらに脳を焼かれてんだろうなぁ」
「…もっと笑えんよ。フン、まあいいさ。話くらいは聞こう」
ナカバは少し笑った。
「よし!じゃあ明日9時、あんたの行きつけのランチバーで会おうぜぇ」
この際、行きつけの店を知られていることはどうでもいいと感じたナカバはただ「わかった」とだけ言った。
「じゃあなぁ。後ろから撃つなよ。俺はどこにも逃げやしねぇからよぉ」
男は背を向けて歩き出したが、「あ、そうだ」と、思い出したかのように振り返ってナカバを見て言った。
「あんたの家は知らねぇから安心しろぉ。この世の全ての神に誓ったっていい。神は信じてねぇけどなぁ」
「危うく撃ち殺すところだったよ」
「はっはっはっはっは!笑えるぜぇ。やれるもんならやってみなぁ」
ナカバも笑った。他の三人は二人を見守っていた。
「お前、名前は何て言うんだ」
ナカバが男を見て言った。
男はひとしきり笑ったあと、少し考えてこう言った。
「俺の名前はムメイだ」
そう言い残すと、男は病室を出た後、廊下の窓から飛び降りて病院を出ていった。
「…いいんですか?色々と」
バキンが口を開く。
「ああ。奴は何か知ってる。うまくいけば、警察の下部組織じゃなくともやっていけるようになるかもしれない。そうすれば、アイツも口は出さないだろう」
ナカバが言う。
「…団長ですか?」
「ああ。アイツだっていつまでも警察に手綱を握られている気はないさ。無論俺もな。ジャック、他の患者や警備員にうまい具合に話をしておいてくれ。俺にいくつか借りがあるだろ」
いつの間にか寝ていたジャックは手で返事をする。
「センツ、今日はよくやった。」
「いや…俺、何もできなかったっす…動けなかった…」
「最初は誰でもそんなものさ。バキンだって最初の頃…」
「ちょっと待ってくださいナカバさん!それは言わないって約束したじゃないですか!ーーー」
そんな会話が夜の地下街の中層に小さく灯っていた。
アパートに帰ったナカバは、部屋の電気をつけ、装備を外して壁にかけた。
指にはリボルバーの引き金の重さが残っていた。
冷めて硬くなったハンバーガーをポーチから取り出し、電子レンジで温めると、包みを開けて食べ始めた。
上層の歓楽街のネオンが地表と地下両方に向かって孔から漏れ出す。
その下の層で一つのアパートの小さな部屋の灯りが消えた。
登場人物
ナカバ…自警団 警備一課所属。元警察
バツキ…警備一課所属
ジャック…警備一課所属。行動が早い。ほとんど未来に生きている。
センツ…警備一課所属
ムメイ…脱獄犯の一人。なぜかナカバを知っている
※この作品は全てフィクションであり、実在する人物・団体・事件とは一切関係がありません。
また、この作品には不適切な表現が含まれていますが、あくまで登場人物の発言・行為であり、作者はいかなる政治的思想・差別・犯罪その他違法行為・倫理的問題に関し、それらを肯定・助長する意図は一切ありません。