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俺は今、やはり慣れないことなどするものではないとリュートに笑われていた。あれからモモは元気になるというよりは、俺の普段とは違う異様さに呆気にとられていた。そして俺はというと、声が枯れて話しづらくなってしまっていた。
だから面倒な筆談でリュートと会話中である。
「シオンは何でも思ったことは口にするけど元々おしゃべりではないからな。逆にもう二度とないであろう貴重なシオンのマシンガントークを経験できたモモが羨ましいぞ」
〔そんなわけあるか〕
「お前、筆談でも短いな。でもせっかく俺がオレンジと気合であっという間に風邪から回復したというのにつまらん。まあ話しづらいというだけで病気ではないから授業には出られるだろう?」
〔出る〕
そんなこんなできちんと授業には出て、相変わらずな学園生活を送っていた俺たちの元に、いや、リュートの元にオーディション合格のメールが届いた。
彼はそれは喜び、小等学舎で女の子から初めてラブレターをもらった時以来のはしゃぎようだった。
「シオン!俺はとうとうスターへの階段を昇り始めた!ついに夢を叶えた!」
「リュート、お前はただその夢のための手段のひとつを手に入れただけだ。今から叶えるために階段を昇ろうとしているところだろうが」
「‥‥お前のそのいつでも冷静なところは感心するんだけどさ、今日くらいはもうちょっと甘やかしてほしいと思う俺はシオンにおめでとうパーティーを開催してもらいたいんだが」
仕方ない。俺も実のところものすごくうれしいので夢に一歩近づいた記念パーティーを開催することに決めた。ホストの俺と主役でゲストのリュートの二人だけのパーティーだ。次の土曜はモモとの約束があるのでその翌日の日曜にリュートの好きなところで好きなものをご馳走することになった。
「そっか、モモとのデートねえ~‥朝から丸一日なんてモモもやるじゃないか!まあ楽しんで来い!」
なんだかいやらしい笑みを向けられたが、俺と彼女は親友であり、その域から出る気配すらない。それにこの関係性でいることが不快なわけではないし、むしろ毎日が楽しいと感じている。
リュートもミクに合格の知らせがあったことを今からメールするという。
自分のことではなくてもうれしい気持ちになるのはとても得した気分だ。
そんなことを思いながら夕食のため食堂に向かう準備をしていると携帯が鳴った。取り出してみるとメールが届いていた。メルからだ。
『次の土曜、もしよかったらまた一緒に出掛けませんか?』
携帯に表示されたそのメッセージを読み、俺はすぐに返信した。
『約束があるので行けない』
そして携帯をしまうとちょうど準備ができたリュートとともに部屋を後にした。
夕食を済ませ部屋に戻ってくるとミクから早速返信が入っていると言ってリュートは顔を綻ばせた。内容はもちろんお祝いのメッセージで彼は何度か読み返してはニヤニヤとしていた。俺も就寝前にメールが入り、確認すると先ほどと同様にメルからのものだった。
『わかりました。ではもし機会があれば、シオンの方から私を誘ってもらえるとうれしいです』
今度は俺にしては珍しく返信を迷っていた。
いつも通り単純に思ったことをそのまま返せばいいだけなのだが、その思っていることが単純ではなかったからだ。『そうする』と返すことにはどうしても躊躇してしまい、かといって『それはできない』と返すことにも躊躇してしまう。だからしばらく考えた後、ようやく指が画面の上の文字を追った。
『もし機会があれば声をかける』
それでもほんの僅かにモヤモヤとした感覚を残したまま眠りについたせいか、その夜は巨大な岩がゴロゴロと追いかけきて俺が逃げ回るというおかしな夢を見た。
そして翌日学園では寝不足のためフラつき「ちょっと体調が‥‥」と曖昧な表現を活用し、うまい具合に救護室のベッドで寝かせてもらえることになった。午前の授業がすべて終了すると同時にリュートが迎えにきて二人でそのまま食堂へと直行した。
「シオン、さすがにこんな救護室の利用法はまずい。もう今回だけにしておけ」
「そうか?でもあと三台ベッドが空いていたぞ」
そういう問題ではないと叱られながらハンバーグ定食をトレーの上に乗せ、空いている場所に向かって歩いていると「リュート、ここ空いてるよ」と叫ぶ声がした。その声の主はミクで、その隣にはメルもいた。俺たちはミクの手招きに従い彼女らと同じテーブルについた。
「お前が食堂でランチなんて珍しいじゃないか」
「だってやっぱり直接おめでとうを伝えたいじゃない。だからここなら絶対会えると思って待ち伏せしてました」
どうやら昨晩のメールでは満足できなかったらしい。
だが本人を目の前にして直に言葉を述べる方がより伝わる思いというものがあるのだろう。ミクが本心から喜んでいるのは十分に伝わったが、最後の最後で絞り出すように「でも‥‥」と言葉を漏らし、少しだけさみしいとつぶやき笑顔を作ろうとして失敗した今にも泣きだしそうな表情は痛々しかった。
それでもリュートの「俺は何も変わらない。さみしいとか言うな」の言葉とともに雑な頭わしゃわしゃ攻撃を受け、半泣き笑いで「髪が乱れるでしょ!もう!」と、頬を膨らませてパンチをお見舞いしていた。
その後昼休みの時間も終わりに近づきそろそろ戻ろうと立ち上がりかけた時、メルに声を掛けられた。
「昨日はメールの返信ありがとう。いつでも声をかけてね」
彼女は笑顔でそう一言告げるとミクとともに食堂を後にした。
「あれ⁉昨日のメール、モモじゃなかったんだ?へえ~そうか、メルだったのか。今度は二人っきりのデートの約束でもしたのか?なんだ、このモテ男が!お前、俺が思っていた以上に彼女のこと気に入っているみたいだな」
リュートにそう言われて本当にそうなのだろうかと考えていた。
確かにもし機会があれば声を掛けると返してはいるが、それは本当にそのままの意味であって逆に言えば機会がなければ声はかけないということだ。
これまでに経験したことがない妙な罪悪感を覚え、知らずため息を吐いていた。