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「どした?このたくさんの野菜たちは?」
「今朝の朝市で買ってきたんだ。もう欲しいものがいっぱいで困ったけどすごく楽しかった。さっき近所のおばあちゃんにおすそ分けしてこれは残りなんだけど、俺とリュートで食べるには十分な量だと思う。今から腹ペコリュートのために時短レシピってやつであっという間に作ってやる」
リュートは俺が朝市に行ったということ自体に懐疑的で、どうでもよいはずのなぜ早朝に起きることができたのかということをしつこく聞いてきた。だから仕方なく食べ物の夢を見たせいで涎がすごくてその気持ち悪さで目が覚めたことを伝えると、今度は爆笑しながらそれなら納得できるとあっさり俺の朝市初体験を認めた。
「それでこの野菜たちを使って一体何を作ろうとしているんだ?」
ようやく手料理の方に興味が向いたらしい彼はそう尋ねてきたが、俺は名前は覚えていないと答え、まずはキャベツを洗った。そしてまな板の上にのせてネットで見た記憶通りにカットしていった。
一通りカットし終えると、皿を持ってきてそれらを並べ、冷蔵庫から取り出したマヨネーズとバルサミコ酢と一緒にテーブルの上に置いた。
「‥‥‥シオン、一応聞くがこれで出来上がりではないよな?」
腹ペコリュートのための時短レシピだというのにおかしな質問が飛んできた。
「出来上がりだ。さあ、遠慮しないで食え!ディップもあるぞ!」
喜ぶというよりも、なぜか困惑しているように見える彼はカットされたキャベツをつまみ、そのまま口へと運んだ。
「うまい‥‥が、それは朝市で売られていた超新鮮なキャベツだからであって、ディップなんてこのキャベツには必要ないだろう?まあとにかく、シオンが俺のためにがんばって興味のないことでも何とかしようとしてくれたことだけは伝わってきた。ホント、ありがとな!」
俺はリュートがキャベツをかじっている間に皿に大量に盛られたカットキャベツを眺めていたが、どうも記憶にある出来上がり画像とはだいぶ違っているように見えてきた。
「あれ?よく見るとネットで見た出来上がりの画像と違っているような‥‥」
そんなことを呟く俺に、リュートは腕組みをしながら大きく息を吐いた。
「‥‥シオン、俺はもうなんかわかった気がする。お前、野菜のカットの仕方に集中しすぎて他のことはすっかり頭から抜け落ちて、時短っていう言葉だけが頭に残ったんだな?で、そのディップとやらも聞いたことのない名前が出てきてちょっと面白くなったんだろう?それで調べてみたらそれらしきものが家にあったから出してみた。まあそんなとこだろう」
「‥‥‥‥」
なんてこった。確かに普段はやらない正当な野菜のカットに集中していたので他に必要な食材や調味料、手順などすっかり忘れたただのカットキャベツになっているではないか?
「ごめん‥‥リュートの言う通りでいろいろと忘れてよく言えばキャベツサラダだけど、どう見てもただのカットキャベツだな。それにディップのこともなんでわかった?初めて聞いた言葉でなんかワクワクして響きがおしゃれな感じだったから調べてちょうど家にあったマヨネーズとバルサミコ酢がそれっぽかったから出してみたんだ」
涙を流しながら笑いの止まらない彼は放置し、一旦俺はPCを開け、時短レシピを再度確認してみた。やはり自分でいうのもなんだがもういろいろと省きすぎていてあまりにもおバカ過ぎたので即諦めPCを閉じた。するとなんとか立ち直ったらしいリュートが鍋に合う野菜たちが揃っているのだから鍋にしようと言ってキノコ類をカットしたり冷蔵庫の中も捜索してあっという間においしい鍋を作ってくれた。
おもてなしをするはずだった俺がリュートにおもてなしされ、とてもおいしい鍋を堪能するだけの時間になってしまい、俺のサプライズ手料理大作戦は失敗に終わった。それでも普段は茶系、ラーメンや肉類を好んで食べている俺が喜んで食べているのを見て元気が出たと言ったリュートの特大の笑顔が見られたのでよかったのかもしれない。
「シオン、話は変わるがようやく事務所の社長が折れてくれたよ。グループデビュー一周年記念ライブを最後に俺はグループから脱退することが決まった。それでその後は個人で活動していくつもりだったんだが、エイダンが自分も脱退して個人活動しようと思っていたから二人で一緒にやってみないかって‥‥俺は彼のことは好きだし二人でやっても楽しそうだから前向きに考えてはいるんだけど‥‥シオンはどう思う?」
夕食を済ませ、菓子類をつまみながらビールを飲んでいると彼は突然そう切り出した。
「ついに社長も認めてくれたんだな?よかったじゃないか!それでエイダン?お前と同じオーディションで合格してメンバーになったやつだよな?その彼も辞めることにしたのか?俺はお前が好きにやればよいとしか思わないが、二人でやるとなるとグループ活動同様、どうしても意見の食い違いとかそういう合わない部分が出てくる。だからしっかりと話し合って互いに我慢しない環境でやっていけそうならよいのではないか?」
「だよな?俺も結局また誰かと組むとかそれじゃあ辞める意味があまりないとは思ったんだ。でもエイダンはこれまでのグループ活動の中でも一番仲良くしていたし、性格も穏やかで本当に良い奴だからこれからも友人関係は続けていきたいと思っていた。だからとにかく一度二人でじっくりしっかり話し合ってどうするか決めようと思う」
彼は現状毎日働きづめで体力的にも精神的にも余裕のない生活だ。
最初の頃はそれが楽しくやりがいを感じていたが、それは長く続かず段々と休みたいとそればかりを考えるようになってしまった。
仕事内容も彼自身が望んでいたものとはどんどんズレていき、そのうちまるで自分が望むものへの対価として働かされているような気になった。そしてもうこのままいっても絶対に自分が望むようにはなっていかないのだと気づき、その世界から抜け出すことを決意したのだ。
「それがいい。リュートもエイダンもまずは自分のことを一番に考えないと。その上で互いに相手のことも尊重できる環境を維持できそうなら大丈夫だろう。とにかく我慢だけは絶対によくない。まあ最終的にはお前のやりたいようにすればいいさ」
「了解。それじゃあ次はモモのことだが勉強は一年で終わるのか?それとも来年も教室に通うのか?」
彼はまた急に話を変えてきた。
「今度はモモ?えっと、確か教室に通うのは一年だったはず。来年からはその師匠?について実務を経験していくと言ってたぞ」
「そうか‥‥で、お前たちの結婚の話はどうなっている?」
「は⁉なぜいきなりそんな話を?‥‥まあ俺たちではなく、モモが王子との婚約の可能性があるっていう話は昨日ここに来たミクたちから聞かされた」
「それでお前はどうするつもりなんだ?」
「どうするもこうするもないだろう?俺はモモとずっと一緒にいたいがまだ結婚のタイミングではないと思っている。それはモモも同じだ。それにその王子の話はまだモモからは何も聞いていないから正直何も言えない」
だが俺はもしモモが本当に王子との結婚を望むのなら喜べはしないが彼女の幸せくらいは祈れると言ってミクにここを追い出されそうになったことも伝えた。
「なんか蹴りを入れられてそんな普通になり下がった俺の顔は見たくない!とか言ってそこの引違戸を開けられた」
「あ~その光景なら目に浮かぶ‥‥でもそこはいつも通り、モモは俺のものだ!王子なんて知らん!モモと結婚するのはこの俺だ!って宣言すべきだったな」
いや、さすがに王子のことを知らんとは言えないだろう。
それにいつも通りってなんだ?
俺はそんなくっさい俺様セリフを吐くような奴だと思われている?
よくわからん俺を彼は揶揄い続け、深夜過ぎになってからいやいや寮へと帰って行った。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
続きは明日21日投稿予定です。




