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「はい!お待ちどおさま」
目の前に置かれた味噌と醤油ラーメンに俺たちは釘付けになっていた。
「お兄ちゃんたちもモモちゃんと同じ学園の生徒さんだね」
そういってニコニコと笑っていたおじさんだったが、近くのテーブルを片付けていたおばさんが「ちょっとあなた!」と叫ぶと、何かを思い出したかのようにはっとして、みるみる気まずげな表情に変化し、抑揚のない声で冷めないうちにどうぞと告げ、そそくさと去って行ってしまったのである。
俺たちは互いに顔を見合わせ現状把握に努めた。
「おじさんさ、俺たちとモモちゃんは同じ学園の生徒だとか言ってたよな?」
「確かに言ってた。でもなんか様子がおかしくなって逃げるように去っていったのは一体なんだったんだ?」
そう不思議に思っていたところに突然「おじさん御馳走様でした!今日もすーっごくおいしかったです!」と女の子の元気な明るい声が店内に響いた。俺たちがその声のする方へと視線を向けると例の端っこカウンター席にいた女の子が立ちあがり、器を手にして厨房の中へと入っていくところだった。
「‥‥‥シオン、あれはうちのクラスのモモ バレンシアではなかったか?」
「なんでフルネーム?‥‥でもまあ確かにモモだったな、あれは」
驚くことにクラスメイトの女の子が同じラーメン屋でラーメンを食していた。
街の中では同じ学園生を多く見かけるが、大体はおしゃれなカフェや雑貨店にいることが多く、ラーメン屋でラーメンをすすっている女子生徒はこれまで一度として見たことはなかった。
「もしかして彼女、厨房で働いているとか?」
「器を持って厨房へ入っていったからな。まだ出てくる気配もないし、ここでバイトしてる可能性は高いな」
「てかさ、彼女伯爵令嬢だろう?いくらもうほぼ名ばかりの貴族になったとはいえ、一応は貴族のお嬢様。それがなんでバイト?しかも年季の入ったラーメン屋?バレンシア伯爵家が困窮している噂なんて聞いたことないけどなんかあんのか?」
「バレンシア伯爵家は安泰だろう。あそこは昔から悪い話は聞かないと親父も言ってた。それにモモがここでバイトをしていたところで何の問題もないさ」
「シオン、お前何言ってんだ?学園の決まりでバイトは禁止!しかも伯爵家のお嬢がラーメン屋でバイトなんて問題しかないだろうが!」
俺たちはその後もラーメンをすすりながら討論を繰り広げていたが、さすがに食べ終えて居座るわけにもいかず店を後にした。
「結局あいつぜんぜん厨房から出てこなかったな。俺たちに気づいて隠れていたとか?まあどっちにしろ明日は話さないといけないよな」
俺たちは学園の寮までそのまま話しながら徒歩で帰っていった。
男子寮の2人部屋で運よく俺とリュートはルームメイトになったので、学園生活三年目の今、家族よりも長い時間一緒にいるのかもしれない。というより互いの実家も近く、小等学舎、中等学舎も一緒。王都の高等学園にも一緒に進学し、寮に入ればルームメイト。これはもう家族といってよいと思う。
ギリギリ夕食の時間に間に合い寮の食堂で出されたものもしっかり腹に収めた俺たちは部屋に戻った。
「あー腹いっぱい!でもラーメンうまかったな!やっぱあそこのラーメンが一番うまい。また行こうな、シオン」
「もちろん。ところで大手芸能事務所の面接とやらはいつなんだ?」
「あさっての土曜。すでに外出証も提出して承認済み。時間は午前になってるけど念のために一日の予定にしてある」
「そうか、楽しみだな。リュートはあまり緊張することはないと思うし、まあとにかく楽しんでくればいいさ」
俺たちはそれぞれシャワーを済ませベッドに入った。
その日の夜、俺はなぜかモモと初めて会った日の場面を夢で見ていた。
学園の入園式が終わり、リュートと二人寮に帰ろうと建物どうしをつないでいる一階の廊下を歩いていた。その大きく長い窓から偶々見えた裏庭の木に咲き誇っているピンクの花がとてもきれいで思わず立ち止まってしまい窓の傍に寄ったのだ。リュートも俺の傍に寄ってきてその視線の先を追った。
そよ風に乗ってフワフワと舞うそのピンクの花びらたちは、ずっとこのままいつまでも見続けていられると思うほどに美しかった。そしてふと視線を落とした先の木の根元あたりで膝を抱えて座る誰かに気がついた。降り注ぐ陽の光とその中を舞う花びらたちの中に混ざるその姿がまるでおとぎ話に出てくる妖精のようだと感じた俺は、気づくと踵を返し来た道を戻っていた。
突然方向転換し、来た道を戻っていく俺に驚きながらも後を追ってきたリュートと共に裏庭に出た。すぐにその木がある場所に向かい近づいていくと、座っていた女子生徒がこちらに気づきはっとして慌てて立ち上がった。そして会釈をして去っていこうとしたので思わず声を張り上げ「待って!」と呼び止めてしまった。
呼び止めたはいいが、そこから何を話せばいいのか思考を巡らせている間に横にいたリュートが先に話しかけた。
「君は俺らと同じ一年生だよね?君も寮に入っているの?」
「いえ、私は家から通うことになっています。私にはここを卒業した兄がいて、その兄からこの花のことを聞いていたので今日をすごく楽しみにしていたんです」
そういって本当にうれしそうにその木を見つめている彼女にようやく俺は口を開いた。
「この花、ものすごくきれいだよな。散ってしまうのが残念だ」
彼女はそうですねと返し微笑んだ。
そこで目が覚めた俺はなんで今、あの日の夢を見たのだろうと不思議に思った。
あの日俺たちは彼女の名前を聞き、王都近郊に領地を持つバレンシア伯爵家の令嬢だと知った。昔と違い今では貴族といえども名ばかりで、俺たち平民と言われているものたちと扱いの面ではほぼ同等である‥‥はずだ。領主として土地持ちであったり王城での勤務等、暗黙の了解的な貴族の名残は残っているが、まあ特に今更問題になることもないだろう。
一年も二年もクラスは違ったが、あの日の出会いから会えば挨拶や話もする友人関係となり、三年に進級すると同じクラスになっていた。彼女はとても明るい性格で友人も多く、見かける度に友人たちに囲まれ笑顔を見せている。
だがさすがに街中のラーメン屋でバイトをしていようとは知る由もなかった。