第五漢 宴は潮風に乗って
「鍛えるか……申し出はありがたいが、俺らは腐っても海賊。華奢な嬢ちゃんに黙って従うような優男はいねえぞ?」
「一理あるな。よかろう。ではまず主従関係を叩き込むとしようか。船長、戦闘員を集めるがいい」
闇嵐は儂の言葉に頷くと、貝の音で招集をかける。
洞窟アジトの広場に、無法者達が集められた。
この場所に似つかわしくないであろう儂に、男達の視線が向けられる。
「誰だ? さっっきも通ってたが、闇風が連れ帰った奴隷か?」
「闇風も呑気だな……存続の危機だってのに」
ざわざわと騒ぐ海賊達に、儂は大きく息を吸い込んで喝破する。
「儂の名はアリリス! 今よりお前達を鍛える事となった! 儂が一月で、お前達を誰にも負けぬ最強の漢にしてやろう!」
広場は一瞬で静まり返る。
誰一人して言葉は発さず、ただ儂を睨むだけ。
「……ほう。大爆笑の渦が巻き起こるかと思ったが、そんな余裕も持ち合わせておらぬようだな」
鋭い眼差しで儂を睨んでいた船員達だったが、やがてしびれを切らした一際屈強な男が立ち上がり、儂を見下ろす。
「俺達は遊びじゃねえんだ。冗談を交わしてる余裕なんてのもねえんだよクソガキ」
「──逃れられぬ命の危機故、か。貴様、中々いい面構えをしておるわ」
「……闇風、こりゃどういう事だ? アンタはこんなガキ連れ帰って何がしてえ? 俺等は全滅するかもしれないんだぞ!! 今回はいくらアンタでも──」
男は儂の腕を乱暴に掴んで闇風に迫る。
男が儂の細い腕を持ち上げた瞬間、その男の手首を握り返す。
そしてそのまま、自らの何倍もある男の巨体を片腕で掴み上げ、肘を曲げて高速で弧を描く。
すると男は、蹴られたボールのように宙で高速回転し、地面へと叩き付けられる。
「……は?」
その一連の光景に、あり得ないといった表情を見せる一同。
刹那、闇風を除いた全員が絶叫し、驚きの声を上げる。
「「えええぇぇーっ!?」」
「お前達には、直接見せてやった方が納得するであろうと思ってな」
「う、嘘だろ……!? アイツは闇風に勝るとも劣らない戦士だぞ!」
儂は男を助け起こし、再び男達に向き直る。
「柔は剛を制す。しかし、極致たる剛は理をも制す。お前達に教えるのはその剛よ。お前達の面構えで分かる……一月も稽古を積めば、お前達は無敵の戦闘集団に成りうる」
「……」
男達は黙して儂の言葉に耳を傾けていた。
ふむ、戦いに身を置くだけの事はある。
儂の力量は一目で理解したようだな。
「女子に武を教わるは男が廃ると、己が道を通すもよし。だが儂には覚悟がある! 此度の海戦、敗北せし時は儂も腹を切る! 生き残りたいもの、また覚悟ある者のみが残るといい!」
男達は誰一人して立ち上がる気配はない。
儂は腕を組み、男達を睨む。
「……血汗無くして得る武無し。この三十夜は死者も出る苛烈な稽古となろう。想像を絶する地獄を見るぞ。それでもよいのだな?」
「……」
先程までの覇気なき顔とは違い、面々に決死の覚悟が感じられる。
男達の瞳には、決意の炎が燃え盛っていた。
「俺達ならやれる……! もう馬鹿にされるのはごめんだ! 無様に生き恥晒すなら死んだ方がマシだぜ!」
「こうなりゃヤケだ……他の船団を見返すぞ! その為なら赤子や女子供にだって、頭を下げて縋ってやる!」
「嬢ちゃんは戦力を見せてくれた。本当にそんな風に強くなれるなら……お嬢、いや姐御! 俺はアンタについていくぜ!」
節々でそうだそうだと声が上がり、それはやがて洞窟を揺るがす大歓声となる。
「……よかろう! お前達の覚悟、然と受け取ったぞ! では明日より稽古を始める! 明朝、全員海辺に集合せよ! 解散!」
男達は各々大声で返事をすると、部屋へと戻り駆けて行った。
そんな男達の様子に、闇風は啞然としていた。
すると通路の脇から、船長である闇嵐が顔を出す。
「……すごいな嬢ちゃんは」
「む、船長。聞いていたのか」
「目の前で力を示し檄を飛ばす。俺でもまとめきれねえ野郎共を、その形で従えたんだからな」
彼奴らは窮地に追い込まれ、正常な判断が出来ておらぬ。
藁にも縋る思いであったに違いない……故に儂の言葉も真っ直ぐ入ったのだろう。
「無法者を不思議と惹きつけるそのカリスマ性は、一朝一夕で身に付くものじゃないだろう。嬢ちゃん、アンタは一体……」
「……細かな事は気にするな。いずれ話そう。今は時間が惜しいからな」
「そうかい。ま、ゆっくりと見物させてもらうよ」
「そうはいかぬ。闇風、闇嵐。お前達は今から儂と会議だ。伝えるべき事がある」
────
──
翌朝。儂は海辺に男達を集めた。
夜を明かしても男達の決意は固い。
彼らは覚悟の面持ちで、今か今かと命令を待ち侘びている。
「まず始めにお前達にやってもらう事だが……」
男達は生唾を飲み込む。
一体どのような訓練が始まるというのかと、緊張した様子で儂をじっと見つめる。
「──宴をしよう」
「「……え?」」
全員が一斉にあんぐりと口を開く。
聞き間違えか? と、ヒソヒソと困惑の声が漏れる。
「宴だ。お前達に必要なのは休息だからな。まずはその張り詰めたものを解きほぐすのだ。酒を呷れば、氣も幾分か回復するであろう」
「け、けどよ姐御……そんな酒や食料がどこにある? 今日食う飯もままならねえんだぞ」
「……後ろを見よ」
男達は後ろを振り返る。
岩のテーブルに並べた肉や果物、そして大量の酒。
その食材の数々を目にした男達は、驚嘆の声を上げる。
「えええぇぇー!? な、なんで食料が!?」
「本物の肉だぁ……スパイスまで用意されてる!」
「夢にまで見た酒が……酒が目の前に!」
丑三つ刻の際、儂が貴族の食料倉庫より盗んできたものだ。
日々の飢えを洞窟の壁に生える海藻や貝で凌ぎ、たまの贅沢は味のしない魚を食べて過ごしてきた海賊達にとって、それはまさに天からの贈り物に等しいだろう。
「肉なんて貴族しか食えねえ高級品なのに、それに加えてスパイスまであるなんて……!」
「酒も、目に写る事すら叶わなかったワインばかり……! ほ、本当にいいのか……?」
涎を垂らしながら、恐る恐ると儂にそう問う男達。
愛い奴らだ。
「税を食らう肥えた貴族共の肥やしだ。遠慮は不要よ。まずは存分に喰らい精を付けるべし!」
「「う、うおおぉぉーっ!!」」
男達は我先にと酒や肉を取り、必死にそれに食らいつく。
まるで何日も食べていない獣かのような食いつき。
柔らかな肉を口に放り込み、酒でそれを流し、たまに新鮮な果実を摘む。
「う、うめぇ……! 肉なんてガキの頃の収穫祭以来だ……!」
「胡椒のかかった分厚い肉は、噛めば噛むほど味がする……頬が落ちそうだ!」
海水でキンキンに冷えた瓶酒は、肉との相性は抜群。
彼らは喉を鳴らして乾きを潤す。
「ワインも最高だ! 口に残る深い味わいのくせして、清流のような喉越し! 程よい果実の酸味が肉に合いすぎる! まるで神の飲み物だぜ……ははは!」
「う、うめぇ、旨すぎる……! うぅ……っ」
ある者は大笑いし、ある者は涙を流して歓喜する。海賊達の酒宴は、昼下がりまで続いた。
闇風と闇嵐も宴に参加し、海賊達が肩を組んで紡ぐ唄は、潮風と共に母なる海へと響き渡った。
「それでよい。心身の休息が無くては、何事も最高の成果は得られん。飴と鞭は使いようよな……しかしこうも感嘆されるとは新鮮よ。クク、分かりやすい奴らよ」
全員が満腹になった所で、夕刻まで昼寝をさせる。
久々の満腹に、幸せの寝顔を浮かべていた。
「さぁ起きよ! 今より稽古を始める!」
男達は目を覚まし、生気溢れる顔で我が前に並び立つ。
心地よい満足感と共に、男達は覚悟を決めた顔をしていた。
「……決意を抱けよ海賊共。一月後の己に思いを馳せよ。お前達は必ず強くなれる。休息は十分に与えた……後は鍛錬のみ! 腹が空けばマメと爪を食え! 喉乾けば血反吐を飲み込め! 死する覚悟を胸に刻めよ!」
「「おおぉぉーっ!!」」
大地を揺らすような怒号が響く。
休息を終えた男達は、文字通り地獄を見る事になる。
しかし血は吐けど、誰一人して弱音を吐く者はおらんかった。
それは偏に儂の期待に応え、その恩義に報い、例え死しても最後まで戦うという覚悟の賜物であった。
そんな海賊魂とも言える決意のお陰か、男達は死者を出さずに儂の稽古を見事耐えきったのだった。
そして時は進み──いよいよ常闇の宴当日となる。