第三漢 処刑台の旋律
「──して、今に至る訳であるか」
儂は今、処刑台の上にいた。
群がる民はその散りゆく花が舞うのを、今か今かと待ちわびている。
人の命が軽かった時代……処刑はある種娯楽の一つであったとか。
処刑台から見える群衆は、想望の眼差しで儂の死を待ちわびる。
最早、過程など関係無いのであろうな。
うら若き女子の死が間近で見れるのならばそれで良いと……救い難し。
「このアリリスが如何様な罪を重ねたかは知らぬ。だが書物を読む限り、死を以て償うべき罪ではない。時代の齟齬があろうが、この死生観の概念は理解出来ぬ!」
これが世に蔓延っているとは不届き千万。
真に正すは人の心──儂は決めたぞ。
「む、オイ。勝手に動くな!」
「聞けい民よ! 幼子の罪は大人の無知と狂気によるものである! この処刑を待ち望む者共! 己が心に問いかけ、何を思うかを考えよ! 命を軽んずる事なかれ。連鎖は狂気の血を流し、それはまた悲劇の涙となる! 幼子の命を奪うことが、どれほど愚かな行いかを理解せよ!」
処刑人が儂の首に縄を掛け、落下レバーに手を添える。
処刑台の下では、近衛兵が記憶にない罪状を読み上げる。
「黒薔薇姫──いや、アリリス・ドンゲブラ・ローズウェル! 執政貴族の息女の身分でありながら、公爵の御子息を籠絡し傀儡として操り、その富と権力を簒奪せしは万死に値する。何か言い残す事はあるか!」
民衆が固唾を呑んで見守る中、儂は笑みを浮かべる。
「儂は──この世を正し、弱きを導く組織を作ってみせる! 絵空事ではない。綺麗事だけでは事が回らないのは100も承知……如何なる誹りを受けようが、如何なる罪を重ねようが、儂は成し遂げてみせる!」
大衆は困惑する。処刑される人間は誰もが激しく抵抗し、悶え、そして無様に死にゆくものではないのか? と。
だが、儂から迸る闘志に大衆は気圧されていた。
儂に眠る情熱の炎が燃え盛って止まない。
「フンッ!」
儂はしゃがみ込むと、己が筋肉のみで縄を吹き飛ばす。
その出来事に、民衆は声を合わせて叫び散らす。
「「ええええぇぇー!?」」
「ふむ。どうやら肉体の強さはそのままのようだ。ここで無様に打首獄門の骸なる訳にはいかん……儂には大望がある!」
「と、逃亡だ! 逃がすな捕まえろーッ!」
「おぉ……この湧き出るパワーはまるで若かりし頃よ。フハハハ! 小童共、この儂の健脚に追いつけるかな!」
近衛兵達は儂を捕縛しようと試みるが、全盛期の力が蘇った儂のダッシュには及ばず、馬でさえも追いつけない程であった。
近衛兵達との距離は開いていき、やがて姿は完全に見えなくなっていく。
フン。中世期の馬は鎧武者を乗せれば人より遅いと聞くが、本当だったようだな。
「もうこの街にはおれんな……宮殿の者共は名残惜しいが、儂の覇道はこの国より始まる! まずは軍備を整え、それから国を出るとしよう。この昂揚感、野望夢見た若き日々を思い出すわ。よし、では行くぞ!」
新天地を目指してひた駆ける。
儂の旅路はここより始まるのだ。
────
──
未だ混乱収まらぬフローレンス公国、中央区画の広場。
それを見下ろす位置に存在する、荘厳な白き聖堂テラス。
2つの影がその様子を眺めていた。
「おやおや。逃げられてしまったようだね」
「まあ、アリリスを助ける計画が台無しですわね」
「縄が緩んでいたんだろうね。逃げられるのは想定外だが……フフフ。この次期公爵──ルイン・ローメイザ・フローレンスから逃げられると思うなよ黒薔薇姫」
「フフフ、悪い御方だこと」
女は口角を歪めると、男の胸に指を這わせる。
「いやいや、君の奸計には負けるよ白薔薇姫──アーデントよ。元より評判悪きアリリスを貶め、その悪評を利用し処刑に追いやる。それを救出し世間の賛美を集めた後、正式にローズウェルの富を頂戴する……フフフ、恐れ入るというものさ」
「まあ嫌ですわルイン様。これは奸計では無く政でしてよ。ウフフ、これからが楽しみですわ」
「そうだね。この公国は美しき青海に囲まれた絶海の孤島……港には既に封鎖指示を出している。まあ、ゆっくり追い詰めてやろうじゃないか。ゆっくりと、ね──」
────
──
儂は道で拾ったボロのフードを深く被り、公国を漫遊していた。
「ほう……ここは島のようだな。しかも中々に美しい。十数年前に取引の為に寄ったベネチアを思い出す」
青海に囲まれた断崖絶壁の島──フローレンス公国。
島固有の美しい花々が名物であり、その稀有な造船技術で築いた海洋貿易で財政を成す、貴族政治の公国である──そう、書物には書いておった。
街には運河が敷かれており、装飾の施された船がその水の都の景観を彩っている。
「しかし……もう情報が出回っているみたいだな」
儂はフードを深く被り直す。
道行く人々に紛れて、武器を携えた兵達が辺りを警戒していた。
「フハハ。ま、日陰者である事には慣れている。まあ、奴らは日本警察のようには行かぬだろう。だが警戒するに越したことはない。注意を払って行動するとしよう」
そう頷いた瞬間、儂の腹がクルクルと可愛らしい音を奏でる。
「そういえば飯を食い忘れていた。食い盛りの女子に空腹は毒か。ふむ、とりあえずは腹拵えといこうか」
人通りの多い地域を避け、小一時間掛けて海岸沿いの平民外へと足を運ぶ。
さざ波の音が遠くに聞こえる静謐の区域……都心部の喧騒からは離れた平民街。
儂はそんな下街の酒場に入る。
「おや、いらっしゃいませ」
海沿いの酒場──酔いどれの船出。
店内は海の家のような至って普通の木造家屋。
「海の男達の憩いの場……といった所か」
客の見えない店内で、物腰柔らかそうな片眼鏡を掛けた初老の男が、パイプを蒸しながら儂を出迎える。
「人がいないのは好都合……この男に色々聞くとしよう。すまぬ店主よ。とりあえず炙った鮭とばと温燗を貰おうか」
「……なんだいそりゃ。サケトバ? ヌルカン?」
「ぬ、しまった。ここが異国だと失念しておったわ。じゃあなんでもいい。酒をくれ」
男は困ったように苦笑を浮かべる。
「お嬢ちゃん……酒場は夜からだよ。それに、君のような子供に出す酒は無いよ。ほら、果実の飲み物でも飲んでな」
こう見えてまもなく還暦なのだが。
全く、不便な身体よ。
「お嬢ちゃん1人かい。気を付けた方が良いよ。なんでも今朝、処刑を免れた大罪人が辺りを彷徨いてるって話だ」
「……大罪人か。クク、それもまた愉悦」
はちみつ付きのパンを果実ジュースで流し込む。
甘い……胸焼けがしそうだ。
そんな時だった。
店の扉が勢いよく開かれ、数人のガタイの良い色黒の男達が押し入ってきた。
「邪魔するぜェ」