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火の側に敷かれた毛布にあぐらをかいて、余分な布地は、足が空気に触れないよう巻きつける。オリヴィアも、天敵を前にした小動物のように怯えながら、腰を下ろした。
火の温もりを感じることで、自分の身体がすっかり冷えきっていたことにイザベルは気づいた。
(シャノンを遠ざけるためとはいえ、オリヴィアには悪いことをしたな)
そもそもイザベルたちのほうが無理に押しかけているのだから、あまりに不当な扱いだ。イザベルは申し訳なく思った。
用意されていたのは、鹿肉と野草を茹でたスープと、以前訪ねた集落でもらったパンだった。パンは朝に食べた時点で固くなっていたから、味の乏しいスープに浸しながら食べる。
イザベルは多弁ではないし、シャノンはあの調子だ。和やかな食事、とはいかない。必要な話をした後は、スプーンが食器に当たる音と焚火が時折爆ぜる音だけが響いた。
しばらくして、沈黙に耐えかねたのか、オリヴィアが口を開いた。
「お二人が探してるのって、どんな方ですか」
人相書きがある、とイザベルは立ち上がって、部屋の隅に置かれた荷から一枚の紙を引っ張り出して元の場所に座りなおした。
「この男だ。なにか心当たりがあれば、些細なことでもいいから教えてほしい」
イザベルが差し出したセピア色の紙には、強面の男の顔が描かれていた。
短髪で、眼つきは鋭い。左下の余白に、牙をむき出しにして笑う蛇のデザインが描かれている。
「うーん、見覚えがないですね。そもそも、教えを広めに行くのもよく知った南の集落だけで、他にはあまり人の関わりがないんです」
オリヴィアは、申し訳無さそうに微笑んだ。シャノンは、黙々と食事を続けている。
「その方とは、どういうご関係なんですか?」
「ちょっと縁があってな。返さなければいけないものがある」
そうなんですか、とオリヴィアが相槌を打つ。それ以上は踏み込まれなかったので、イザベルは内心安堵した。
それからは他愛もない世間話をしたが、シャノンが会話に混ざることはなかった。
§
翌日から、三人がかりの冬支度が始まった。
二人きりじゃないことに癇癪を起こしたシャノンも、昼夜を問わずイザベルにべったりと引っついて七日ほど経つと、なんとか落ち着いた。引っつかれている間、イザベルは鬱陶しそうにしながらも作業を進めた。
さらに十日が過ぎ、夕食。初日と同じく、三人は教会の奥で火を囲んでいた。
日中の進捗報告を終えると、シャノンがオリヴィアに訊ねた。
「オリヴィアは、結婚式について何か知ってる?」
「結婚式、ですか? うーん……すみません、分からないです」
「そっかあ。新しい情報があればと思ったんだけどなー」
シャノンは、いつの間にかオリヴィアと打ち解けていた。今では、イザベルよりシャノンのほうがオリヴィアと話すことが多い。
イザベルはスープを飲み干すと、木の器を地べたに置いた。
「結婚は宗教とも関わりがあったらしいから、もしかしたらと思ったんだが」
「そ、そうなんですか? うーん……」
オリヴィアは眉根を寄せて、こめかみを指でグリグリと揉んでいる。
しばらく寝食を共にして分かったのは、シャノンは信仰に篤いものの、教義や聖職者の職務に詳しいわけではないということだ。両親も早くに亡くしているようだし、旧文明の文字を読めないなら無理もないだろう。
「あまり熱心に読んだわけじゃないから不確かなんだが、結婚式は神の前で愛を誓う儀式だったと思う」
「なるほど。勉強になります」
「ね? イザベルって、とーっても賢いの!」
何故か自慢気なシャノンに、オリヴィアはこめかみに指を当てたまま、「ええ」と微笑んだ。
「イザベルさんは、そのような知識をどこで覚えたんですか?」
「道中、運良く無事な図書館を見つけて、そこで冬を越したんだ。そのとき、暇潰しに本を読みあさった。結婚式については、たしか童話に挿絵つきで描写があった」
「本が読める状態だったということは、管理してた方がいらっしゃったんですか?」
人の住まない建物がすぐ劣化するように、適切に管理されなかった本も劣化する。今となっては、本――特に旧文明の書物は、非常に貴重な遺産だ。文字を読める人も珍しく、シャノンもオリヴィアも文字を読めない。
「いたが、私が着いたときには会話できる状態ではなかったな」
淡々と告げるイザベルだったが、オリヴィアは身体をビクッと震わせて、まずい話題に触れたとばかりに焦り始めた。
(人が死んでたぐらいで気を使う必要なんてないのに)
「な、なるほど……。ちなみに、イザベルさんが本を読んでる間、シャノンさんは何を?」
シャノンは、豪快に頬張っていた肉を飲み込むと、誇らしげに胸を張った。
「たぶん、遠くの地で運命に出会う日を待ってた!」
首を傾げたオリヴィアと目が合う。今の言葉をイザベルに翻訳してほしいという表情だ。
「……そうだな。今のは、シャノンと旅を始める前の話だ」
「えっ、そうなんですか。てっきり、お二人は旧知の間柄かと思っていました」
驚いた様子のオリヴィアに、芝居がかった口調でシャノンが説く。
「大事なのは、過ごした時間の長さじゃなくて愛の深さなのだよ、オリヴィアくん」
「ラブラブですねぇ」
「ふっふっふ。我らを祝福したまえ」
「やかましい」
呆れてツッコんだイザベルだが、少し考え直す。
「あー、実際アリかもしれないな。なあオリヴィア、私たちの結婚式に協力してくれないか?」
二人きりは嫌なのかと言いたげな視線を向けるシャノンに気づいて、イザベルは言葉を足した。
「旧文明でも、結婚する二人のほかに、式の進行役がいたんだよ。あとは、家族や友人なんかも呼んでたみたいだけど、私らにはいないから。でも、シャノンが嫌なら依頼は取り下げる」
シャノンは唸って、しばらくすると、にんまりと笑った。
「旧文明のやり方でいこう! 私たちの愛をオリヴィアに見せつけちゃおーよ」
「見せつけるかはともかく……オリヴィア、どうだ」
返答を促そうとオリヴィアを見ると、その瞳は輝いていた。
「やります! やりたいです! やらせてください!!」
素直で、真っすぐで、善良。
(この性格で、よく死なずにいたもんだ)
「ああ、頼りにしている」
外では甲高い音を立てて風が吹き、窓と扉をガタガタと強く揺らす。屋外で活動できる時間も限られてきた。冬は、もう間近に迫っていた。