揺れる聖王国
薄暗い、凡そ人間を扱う施設とも思えぬ地下牢に男が一人、拘束されていた。
手のひら程の大きさしか無い、明かり取りの窓から差し込む光が、冷え切った石作
りの床に僅かな温もりを与えていた。
その僅かな暖かさを貪るように、男はその僅かに差し込む光の中に居た。
男の名はヨアン。
アルがこの世界に帰還して、最初に遭遇した聖王国兵で、王女への伝言を持たせて
送り付けた男だが、持たされた城内通行証を偽造だと相手にされず、そのまま投獄
されていた挙句に、通行証も持っていた金も全て没収された。
ヨアン「どうせ、半年もたたずに大騒ぎになる」
ヨアンは捕まった時、抵抗らしい抵抗もせず、大人しく従った。
ここで騒ぎを起こしても、何一つ自分に得な事は無い。
それどころか、何処かの危険な任務や前線に送られる可能性もある。
貧乏農家の三男坊だったヨアンとは違い、王城に努めているのは、一介の門番から
厨房やメイド、果ては庭師までが、貴族か貴族の関係者だ。
何の伝手も無いヨアンなど、まともに取り合ってはくれない。
ヨアン「ここに居た方が安全だ、あの方に言い訳もできるし」
只の農家の子供が、長い事兵士を務めていても、死なずに五体満足でいられるには
それなりの理由があった。
この男は、とにかく、目端が利いた。
危険な任務は上官に媚びを売ったり、賄賂を使って、いつも回避していた。
子供の頃から、理不尽と暴力と死が、周りに満ち溢れていた。
力自慢だった隣の息子は、森でフォレストウルフに喰われ、いつもヨアンを馬鹿に
してアゴで使っていた村長の息子は、狩猟に来ていた貴族の邪魔をしたと、そんな
理由で斬り殺された。
体がさほど大きく無かったヨアンが、自分の頭に才覚と口先だけを頼りに、生きる
事を決意したのは自然な事だろう。
ヨアン「死んじまったら、そこで終わりだ」
しかし、近頃、牢番たちが、妙に浮き足立っている。
何かが起こっているのに、末端までその情報が降りて来ない感じだ。
恐らく、あの人が暴れ出したのだろう、だが出来ればこのままやり過ごしたい。
あの、門番が、自分の罪を隠す限り、その可能性は、十分にある。
暫くは、この牢獄生活を満喫するつもりだった。
牢番「おい、出ろ」
ヨアン「釈放ですか?」
牢番「いや、このまま、王宮へ連行だそうだが、お前何したんだ?」
ヨアン「聞きたいかい?刺激的な未来を手に入れられるぜ」
牢番「………遠慮しとくわ」
ヨアン「賢明な判断だと思うよ、それに比べて俺はなあ」
牢番「逃げるのは、無理だと思うぞ」
ヨアン「だよなあ~、手枷もしたままだし」
牢番「ま、まあ、がんばれ」
ヨアン「ありがとよ、はあぁ~」
王宮に連行なら最悪の未来は避けられたはずだ。
もし、騎士団の宿舎や王女の私室であれば、まず間違いなく、殺される。
だが、王宮だとすれば、まだ立ち廻れる隙が有る。
牢から出ると、中庭を右手に見ながら長い通路を、王宮に向かって歩いた。
後ろには司祭が数人、恐らく警備として着いてくる。
ここでヨアンは、自分を招聘したのが、恐らくリリアーナ第一王女では無く、弟の
エリック第一王子だと、予想した。
リリアーナ第一王女とエリック第一王子の不仲は、有名で、王女の後ろには騎士団
が、付いている、一方、王子の支持者は教会と文官たちだ。
そうなれば、おのずと方針は決まった様な物だが、問題はその方法だ。
そう、思いあぐねて居るまに、到着してしまった。
巨大な両開きの扉が開いて、中に連れて行かれた。
そして、その広さと、豪華さに目を見開いて見とれていた。
(もしかして、ここ、謁見の間じゃねえのか?俺じゃ場違いだろう)
そう思って、突っ立っていると、横の司祭から叱責が飛んできた。
司祭「聖王様の御前である、頭を垂れろ」
ヨアン「はあ」
正面の玉座に座っているのが聖王のランタス・F・グラム。
もう60歳近くのはずだが、まだ50歳前に見える。
右が第一王女と第二王女、左は第一王子。
他の王子、王女は幼過ぎて出席していない。
聖王「緊急時だ、そのままで構わん、ヨアンと言ったな」
ヨアン「はい」
聖王「お前に聞きたい事がある」
第一王子「連れて来い」
別室の扉が開いて、ヨアンから通行証と金を取り上げた門番が引きずられてきた。
恐らく拷問か何かをされたのだろう、虚ろな目に、服からは血が滲み出ている。
聖王「この男を知っているか?」
ヨアン「私から、金と城内通行証を奪って、俺を牢に放り込んだ男です」
王子「つまり、あの通行証は本来、お前の物だったと言う事か?」
ヨアン「はい、伝言に必要だろうと言われました」
王子「なら、お前は、この通行証に記載されている名前を知っているか?」
ヨアン「はい、本人から預かりましたから」
息を飲む音と、かすかなざわめきが、起こるが、聖王の一言で再びしずかになる。
聖王「静まれ、なら答えてみよ」
ヨアン「私が伝言を頼まれたのは、アルセニオス・ファンビューレン本人です」
第一王女「嘘よっ!あり得ないわ!」
王子「判断は、全てを聞いてからしましょう、姉上」
王女の叫びと、悲鳴に近いざわめきが、謁見の間を満たしてゆく。
その混乱ぶりは、酷い物だった。
落ち着くまでは聖王の言葉も聞こえないだろう。
そんな中、予想したのか、知っていたのか、冷静に周りを見ていたのは第一王子と
公国との戦争から、逃げ帰ってきたトラディス公爵と数人の貴族だけだ。
公爵は、このまま帰城などすれば、間違いなく王女や宰相から、敗戦の責任を取ら
される事は明白だった。
しかし有効な対応策も何も見いだせ無いまま、帰国の引き延ばしも限界で、ついに
帰都まで数日に迫った時に、公爵の子飼いの王宮職員から、手紙が届いた。
第一王子が、後継者争いに向けて動き出したようだ、と。
ここで、公爵は賭けに出た。
内密に、支持を確約した書状を持たせた使者を送った。
だから、寂寞の名が出ても左程、動揺しなかった。
(そうか、主導権は第一王子が握っているのか、なら俺もそれに倣えばいい)
ヨアンはそう決めてしまうと、この騒ぎが収まるのを待った。
考えていたのは、あの魔導士の伝言を如何に誇張して伝えるか、それも第一王女と
その横で真っ青になって震えている夫のモントレイ元帥を、非難する形でだ。
まあ、考える時間は、ここの大騒ぎしている、貴族連中が与えてくれた。
聖王「静まれ!」
暫くして、幾らかその興奮が収まりかけた頃、聖王が彼らの口を塞いだ。
そして、聖王から促された第一王子が、ヨアンに質問を始めた。
そこから、王子との一問一答が始まった。
王子「まず、いったい何処で会った」
ヨアン「ナール山脈の第一ミスリル鉱山です、そこに転移してきました」
王子「転移して来たのか?」
ヨアン「はい、あんな物凄い魔法陣を見たのは初めてです」
王子「どんなものだ、詳しく話せ」
この時だけは、恐らく王子の頭の中は、魔法陣への興味で満ち溢れていただろうが
辛うじて、体裁だけは保った問いかけにする事が出来ていた。
なにせ、この王子の本質は魔法馬鹿なのだ。
ヨアン「緻密な魔法陣の中にさらに緻密な魔法陣が幾つも描かれていて、それが
何層にも重なって、まるで銀色の巨大な卵の様でした」
子爵「そんな馬鹿な!魔法陣を積み重ねるなんて、出来るはずが無い!」
王子「騒ぐなエレンダニア子爵、詳細は又、後で聞けばいい」
子爵「はっ、申し訳ありません」
第一王子と数名の貴族は、自分達で魔法省なる物を立ち上げていた。
聖王も王子が荒事を好まない性格である事と、多少なりとも国益になるだろうと、
数年前に許可を出した。
だが、その組織の構成員が、名前を登録している数名の上位貴族と、表に名前の出
ない数百人の下級貴族や平民である事など、知らないし、知ろうともしなかった。
そして、エレンダニア子爵もその省の一人だ。
王子「お前以外の兵士達はどうした?」
ヨアン「全身を拘束された後、生きたまま地面に飲み込まれて死にました」
王子「拘束魔法に土魔法か………さすが寂寞と言った所か」
ヨアン「はい、剣を抜く暇も有りませんでした」
もう謁見の間で声を上げる人間も少なくなってきた。
これは、もう、事実として受け入れ始めた証拠だ。
王子「それで、伝言は何と言っていた?」
ヨアン「ここで言っても宜しいのでしょうか」
聖王「構わん、許す」
ヨアンはここで、わざと第一王女と聖王の間を見ながら、許可を求めた。
こうすれば、さも王女に許可を貰おうとしたと聖王や他の者は思うだろう。
そして王女は、ヨアンが聖王に許可を求めたと思い、許した聖王に対して敵愾心を
向けた。
これによって、ヨアンへと、理不尽な怒りが向かう確率が大幅に減少した。
ヨアン「ええと、リリアーナ王女とモントレイ元帥に受けた仕打は絶対に忘れない
必ず何が有っても許さない、地獄を手土産に必ず会いに行く、と」
聖王「何と言う事だ」
王子「対処を間違えば、我々も甚大な被害を受けるでしょう」
王女「何かの間違いよ!あいつは死んだのよ!」
元帥「そうだ!あんな座標に飛んで、生きてる訳が無い!」
王女「通行証だって、きっと偽造よ!」
元帥「その男の見間違いだ!」
王女にしても、ここで全てを認める訳にはいかない。
せっかく未来の玉座をその手に掴みかけたのに、このままでは全て台無しになる。
幸い、宰相と上級貴族の大半は私の支持者だし、軍を掌握しているのは、我が夫だ
男の言葉を否定して言い包めれば、この場さえ凌げばどうとでもなる。
だが、王女の思惑は、早くも綻び始めた。
控えていた、一人の公爵が声を上げた。
「いえ、あれは間違いなく黒の魔導士、アルセニオス・ファンビューレンでした」




