閑話・歓喜の公爵家
【 ジェフ*ダーナドール公爵家門番】
この国で、俺ほど幸運と面倒事に恵まれた人間も少ないだろう。
あの戦いにおいて、ダーナドール公爵家唯一の生き残りで、門番で、戦力だ。
俺より強い連中は戦いで居なくなり、残ったのは、料理人や馬屋番などの非戦闘員
だけ、今なら3人組の強盗でも、公爵家を占拠出来るだろう。
こんな笑える貴族家が一体、何処に有ると言うのか。
全部あの老害倹約病当主のせいである。
あの、守銭奴でしみったれな強欲公爵のせいで、一体どれだけ人間が死んだのか、
どれだけ周囲に不幸をばら撒けば、気が済むのか。
だが、失うばかりのこの戦いで、公爵が得たただ一つの功績が、自分自身が死んで
くれた事だ。
この状況でもし、公爵だけが生き残りでもしたらと、考えるだけで、絶望感が押し
寄せてくる。
とにかく、あの爺は間違いなく死んだ、その吉報を手に俺は公爵家の門を潜った。
案の定と言うか、想定内と言うか、従軍した者達の身内や知人が悲しみに涙する中
公爵の死は、歓喜を持って、受け入れられた。
それこそ、家族から、出入りの肉屋の小僧にまで、一人の例外も無くだ、どれだけ
嫌われていたんだ、あの爺。
とにかくまずは公爵家の体裁を整えるのが先決だ。
そうしないと、コム・ハライの妖怪爺からの提案を話す事も出来ない。
まず最初にしなければならない事が、死んだ強欲爺の私室にある巨大な金庫室の
鍵をぶち壊す事だなんて、情けなくて膝から崩れ落ちた。
なぜなら、公爵家のどこをどうひっくり返しても、現金が小銀貨3枚(約3000円)
しか無かったのだ。
現金は無駄遣いの元だと?あり得ないだろう、何してくれてんだあの爺!
とっとと現金を取り出して、生活水準を上げなければならない、其れにっもう我慢
する必要も無いのだ。
そして、やや時間が掛かったものの、鍵は簡単に開いた。
どこの世界に金庫の鍵までも倹約する馬鹿がいるのか、本当に呆れたよ。
だが、金庫の中を見て、もう一度、呆れた。
そこに有ったのは、大量の金貨と銀貨だったが、それよりも目を引いたのが、うず
高く積み上げられた、大量の銅貨と鉄貨の山と、ポツンと置かれた椅子が一つ。
もう、領地の貨幣不足の原因は間違いなく、これだと思う。
どれだけ、小銭が好きなんだか、恐らく一人、椅子に座って一人で悦に溺れていた
のだろう。
とりあえず、奥様と4人の令嬢には、金貨を10枚(約1000万円)を握らせて、服屋
に送り出すと、付き添いの侍女に使い切るまで、帰って来るなと、言いつけた。
なぜなら、奥様に服を買う様に促すと、銀貨1枚(約1万円)だけ、つまんで部屋
を、出て行こうとしたのだ。
家宰と二人で頭を抱えたよ。
まずは、この家族から公爵の毒を抜く事から始めなければ、そう思わされた。
余談だが、金額を公爵家総出で数えたが、鉄貨が2.274.638枚(約2千300万円)
銅貨が864.194枚(約8千650万円)も有った。
いったい何日かかったのやら、もうね、馬鹿かと。
金貨と銀貨だけで900億マト(約900億円)以上も有るのだ、銅貨と鉄貨を集める
意味が、どこに有る。
言っておくが、この金額は公爵家の個人資産であって、領地の運用資金では無い。
つまり、母と娘が自由に使える、おこずかい、が900億以上有るのだ、間違いなく
公国一のお財布だ、公王も裸足で逃げ出すだろう。
そして我々は、頑張った、全力で頑張った、ええ、頑張りましたとも。
何とか、一般的男爵家のレベル程度には、生活水準を引き上げるのに成功した。
………これが、限界だった…………。
長年、体に染みついた倹約癖が抜けるのは、まだまだ先の事だろう。
ここでようやく、モデムドール公爵家からの提案を婦人に伝えたが、即座に了承
を得られた。
ダーナドール公爵家がモデムドール公爵家の庇護下に入る事は、婦人にとっても
渡りに船だったようで、実際、自分から持ち掛けるつもっりだったそうだ。
今の自分達が如何に危険な立場に居るのかを十分理解し、即座に解決案を引き出し
たあたり、教養の高さがうかがえた。
そして、この時、お嬢は自分が、人質になる事を提案し、婦人もそれを躊躇なく、
了承した姿を見て、生粋の貴族とは、こうも恐ろしい物かと、戦慄した。
だが、あのモデムドール公爵家の面々を知っている俺は、どう転んでも、今よりも
生活が悪くなる事も、ひどい扱いをされる事も無いと知っていたので、心配はして
いなかった。
あんな事になるまでは。
「お嬢さん、俺と結婚してほしい」
どうやら、この家族から、僅かな幸福さえ吸い取っていた運命とやらが、高い利子
を付けて、払い戻しをはじめたらしい。
【 エリザベス・ダーナドール公爵令嬢】
母と共に訪れた私は、モデムドール公爵家の大広間に通された。
今は、母とジェフが、家宰だと言う老人と話しているが、この会話に私が口を挟む
余地も必要も無い事がわかったので、私は飾られた調度品の優美さを堪能していた
花瓶の美しく深い藍色の優雅さに驚嘆し、壁に掛けられたタペストリーの緻密さに
心を奪われていると、広間にあの人が入ってきた。
高い身長、それを支える鍛えられた体、そして強固で決意を宿した目は、全て私が
始めて見るものだった。
祖父とはすべてが真逆の人間だったし、死んだ父とは身長しか共通点が無かった。
同じ公爵家の人間でなぜ、こんなにも違う目をしているのだろうか。
祖父は、いつも家中を、なめ回すように見ていた。
何処かに無駄が無いか?何処かに節約できる物は無いか?
家族の誰かが無駄遣いをしていないかないか?
使用人達の給金を減らす口実が何処かに無いか?
そんな欲望まみれの濁った目が、私は死ぬほど嫌いだった。
父は、いつも祖父の病死や事故死を願っていた。
父には祖父に逆らう気概は無かった。
私達を連れて逃げる勇気も無かった。
自分で公爵家とは別の収入を得ようとする発想も無かった。
私達母娘を守ると言う愛情さえ無かった。
そんな、ただ祖父の死を待つだけの卑屈な父の目を、私は嫌悪した。
そして私は今、モデムドール公爵家の当主だと言う、この若い男の目を、驚きを持
って見ていた。
この人の目はなぜ、こんなにも、生命力に満ちている?
この人の目はなぜ、こんなにも、自信に満ち溢れている?
この人の目はなぜ、こんなにも、力強さに満ちている?
この人の目はなぜ、こんなにも、輝きに満ちている?
こんな綺麗な目をした男性を私は今まで見た事がない。
私を見る、この碧い瞳から目を逸らしたくない。
そして、彼の口から飛び出した、予想もしなかった言葉に、頭が一瞬で沸騰した。
顔が、体中が、熱くてたまらない。
体と心が泡立ってまるで現実とは思えない。
幸福感が歓喜の波に飲み込まれて、意識を保つ事が出来そうに無い。
私には一生縁の無い、物語と妄想の中にだけ、存在する言葉だと思っていた。
この年齢まで、婚約者どころか、縁談の一つもない、哀れな女だと思って居た。
自分は一生、結婚など出来ないと思っていた。
だから、私は、みずから人質になる事を選んだと言うのに。
「お嬢さん、俺と結婚してほしい」
私は、この言葉を死ぬまで忘れる事は無いだろう。




