子爵の欲望・男爵の覚悟
俺はいま自分の目を信じられなくなっていた。
驚愕とも呆然とも取れる感情が頭の中を駆けまわって、収集が着かない。
一旦視線を、頭上に向けてみる。
抜けるような青い空、日本の空よりも遥かに高い場所にたゆたう白い雲、
薄っすらと見えるのは、恐らく6番目の月だろう。
ああ、間違いなくこの世界に間違いない。
なら、どんなに奇妙に見えたとしても、それを受け入れるしか無いだろう。
もう一度、視線を正面に向ける。
クノッソス砦とその門前町クノ。
町はもうほとんどが焼け落ちたらしく、僅かに残る黒焦げの残骸が、以前
の姿を思わせる。
だが、問題はそこに布陣して、今にも砦に攻撃を掛けようしている、隊列
を組んだゴブリン共だ。
槍を持った者、盾を持った者、攻城兵器を押す者、剣を持っている者、
それが整然と並んでいる。
「あり得ねえ、もう完全な軍隊じゃねえか」
言わずもがな、ゴブリンは魔物であり、その性は本能に忠実だ。
一度起こった破壊衝動は、死ぬまで止まる事は無いし、逆に恐ろしければ
すぐに逃げる。
使役させたと聞いていたが、これは普通の使役とは、一線を画す。
いや、もう使役の範疇を逸脱して、洗脳かなにかの類いだろう。
しかもその数、恐らく500匹近くになるだろう集団だ。
どうやってコントロールしているのかが判らない。
ここから判るのは、ゴブリン40~50匹に1匹の割でかなり大型のゴブリン
が混じっている事ぐらいか。
明らかに新しい魔法が使用された結果だろうが、それが何かがわからない。
とにかく情報が無いのが一番問題だ。
今まで、闇雲に全部一人で殲滅して来たが、これからは、そうはいかない。
今の俺には、友人も守らなければならない小さな弟妹もいる。
依頼を出した冒険者達に解放した人々だって出来た。
日本に飛ばされる前、虚飾にまみれた耳障りだけは極上の薄っぺらい言葉
に振り回されていた俺は、結局、誰ともろくな繋がりは持てなかった。
彼らにとって若く、浅慮で、経験が浅い、自分の力を過信した馬鹿な男など、
どれ程、扱い易かったことだろう。
だが、あの日、あのずぶ濡れでになった日、無私の好意を与えらえた日から
少しづつ俺の世界は変わっていった。
いまの彩に満ちた世界をそう簡単に手放す訳にはいかない。
情報は可能な限り集めるべきだ。
サナ「アル様、あれは…」
「ああ、ゴブリンだ」
デクシス「ゴブリン……」
モルナ「あれが……」
「デクシス、気持ちは分かるが、しばらく様子を見る」
デクシス「はい…………」
「とにかく、あの矢が全部、こちらに射られたら厄介だ」
デクシスの父親はドラン国の兵士だったらしい。
父親がなぜ戦わなければならなかったかも、何と戦ったかも知っている。
だから、今にも飛び出しそうな顔で前を見つめているが、もし矢の雨を
振らされた場合は、物理障壁魔法陣が枯渇しかねない。
魔法陣の装備は30陣、弓矢が30本以上になったら、あとは馬車そのもの
の装甲よって防がなければならない。
御者席などは裸同然だ。
危険このうえない。
デクシス「そうか、矢を沢山使わせるんですね」
「そうだ。その後なら好きに暴れていいぞ」
デクシス「了解です!全部輪切りにしてやる…」
たったの数日でデクシスの剣は驚異的な進化を遂げた。
とにかく居合と獣人の相性は異常だ。
一瞬で最大速度を叩き出すその筋力は、まさに居合の為だと言っても
過言ではない。
技術はまだ拙いが、とにかく刀を抜いてから、相手を斬るまでの速度が
尋常でない程早い。
俺は、目で追う事を早々に諦めてしまった。
その見かけだけは、少年のままのデクシスは、じっと砦を見続けた。
その視線の先では、着実に戦いの気配が濃くなっている。
「やっと指揮官のお出ましだ」
サナ「何だか派手な鎧の人ですね」
モルナ「悪趣味……」
デクシス「ぼく、出来れば、あれは切りたくない…気持ち悪い…」
一目みて嫌悪感を抱かせた男は天幕から出て用意してあった馬にまたがり、
数名の騎士と共に、隊列の中心からやや後方に陣取った。
子爵「昨日、補充のゴブリンも到着した‼」
西の街道は俺達が進んで来た。
おそらく南の戦場から持ってきたのだろう。
幸い、俺達は連中よりも高い位置にある森の中に隠れているため、声も
何とか聞き取る事が出来る。
子爵「これで兵力は2倍!今日こそあの砦を落とさねばならん‼」
確かに砦はかなり古い物で、大軍を防げるとは思えない程、小さい。
おまけにあちこち崩れて補修が追いついていないのが見て取れる。
それでも、今まで持ちこたえているのは、砦の兵士達がいかに奮戦したか
いかに勇敢であるかが伺えるが、言い換えればそれだけだ。
だからこそ、あの男は数を頼みに落とすと宣言しているのだろう。
子爵「皆聞け!我々こそが神兵である!」
ゴブリンが神兵だとは知らなかった。
ゴブリンはいったい何処で神の祝福を受けたのだろうか。
何処の教会で洗礼を受けたのだろうか。
寝言にしては、余りに出来が悪い。
子爵「これは聖戦である!人以外は全て家畜である!奴隷である!」
此処まで来ると、妄言を通り越してただの精神異常者の発言だ。
普通の宗教の教義なら、もう少し自分達の欲望を隠している物だが、これ
程、あからさまで愚かしい物は、ちょっと類を見ない。
子爵「神の名の元に、敵を撃ち滅ぼせ!全軍突撃用意!」
真っ白な金属鎧に赤と金の装飾が派手で下品な印象を振りまいていた。
この自意識過剰な男の名は、ヨハン・グリムドール子爵。
元は、ただの男爵で領地を持たない法衣貴族だったが、その盲目的な狂信者
ぶりと、多額の上納金を使って一年前に子爵の位を手に入れ、勢いそのまま
に、この戦場に乗り込ん出来た。
総大将であるトラディス公爵にとっても自分の派閥であり、直情的で名誉欲
に飢えていたこの子爵は使い勝手の良い手駒だった。
それにどれだけ暴走しようとも、子爵の娘も戦場に付いて来ており、普段は
参謀補佐付きの見習い騎士として、本陣に常駐していた。
人質になっている事も知らずに名誉な事だと、本当に間抜けな父娘である。
そして、その子爵が今、砦に向けて動き出そうとしていた。
騎士A「左翼盾兵、準備完了です」
騎士B「後衛弓兵、準備完了です」
騎士C「右翼槍兵、準備完了です」
騎士D「前衛攻城兵、準備完了です」
砦は作りこそ石作りだが、高さは無いく、せいぜい二階家の窓程しかない。
元々が、魔獣や盗賊の撃退ぐらいしか想定していない物で本来の目的はバゼ
大河の源流を守る為に作られた物だ。
子爵「弓!撃てぇ!」
騎士B「目標、城壁の上部、放て!」
20名程の弓兵が一斉に砦に向かって、矢を射かけるが、砦側に損害は無い
そんな事は、両者とも判りきった事で、本番は城壁での攻防である。
子爵「攻城隊!突撃」
騎士D「梯子隊、前進せよ!」
騎士A「左翼盾隊、前進!」
騎士C「右翼槍隊、続け!」
命令が下るとゴブリンたちが一斉に城壁に突撃を始めた。
城壁に取りついたゴブリンは次々に梯子をかけるが、端から公国軍に外さ
れたが、そこを狙って矢が射かけられ、徐々に兵力が削られるが、これな
ら梯子が尽きる方が早い。
今回も何とか守り切れそうだが、兵士が補充されない限り、次は持ち堪え
られないだろう。
だが、ここに来て公国兵の一人が有る事に気が付いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇ アルギス公国・クノッソス砦 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇
兵士「大変だ!誰か親父を呼んでこい!一大事だ‼」
兵士「げえっ、なんだこりゃあ!」
兵士「くそどもが!これが狙いか!」
走って来た砦の指揮官(ガルム・ファンブッシュ男爵、41歳、狼人種)は、
城壁の下を覗き込むと息を飲んだと同時に死と敗戦を覚悟した。
ガルム「やられた、こりゃあ腹くくるしかねえな、兵が足らん」
兵士「どうするんですか、親父!」
ガルム「親父じゃねえって何回言わせんだ!とにかくお前らは逃げろ!」
兵士「親父は残る気だろ、なら、やなこった」
兵士「親父を残して逃げる奴なんて、此処にはいねーよ」
兵士「いい加減、気が付けよ、ほんと」
兵士「誰が逃げるか!バーカ、バーカ!」
ガルム「このクソガキどもが……」
今、城壁の下には、ゴブリンの階段が出来つつあった。
死体を抱えたゴブリンが一番低いであろう3か所に殺到して折り重なって
死んでいく。
ゴブリンは、その背に滑り止めを施した大盾を着けて道を作っているのだ。
あと、暫くすれば、無傷のゴブリン共が城壁に苦も無く登って来るだろう。
当初、砦門を突破しようとした聖王国に対して、公国の要塞守備隊は痛烈
な反撃で答えた。
何度も聖王国側を敗走させ、時には砦から出て逆撃を加え、子爵を打取る
寸前まで行った事もある。
だが、これが自分達の首を絞める事になった。
〝こちらも兵士が不足しているんだ”
〝そちらに回す余力は無い”
〝連戦連勝なら、まだ大丈夫だろう”
いくら要求しても、兵士の補充は却下された。
戦えば、戦う程、死人もケガ人も増えるのが当たり前なのに、公都の連中
は、見て見ぬふりをした。
その理由の一つが、盲信。
ガルムの率いるこの部隊が、公国の最強部隊だった為に、現場の報告を無視
して、勝手に安心した。
何があってもガルムなら砦を守り通すだろうと、根拠の無い自信を振りかざ
して、人事を自分達の利益の為に行使した。
新たに兵士を動かせば当然、補給だ武器だと金がかかるが、その資金は大幅
に目減りしていた。
つまり自分達が、軍事物資を横流しした事が露見し兼ねないからだ。
そして、もう一つが、手柄争い。
ガルムの人気は公国では一番高く民衆が寄せる賞賛も独り占めだ。
更にここで武勲など立てられると、自分達の無能が更に際立つ事になる。
爵位と階級が高いだけの役立たずと言われてきた、自分達の息子や親戚
には、何としても此処で手柄を上げてもらわねば、立つ瀬がない。
当然、宮廷内の力関係にも影響する。
だからガルムに武勲を上げさせない為に、何やかやと理由をつけては、
兵士の補充を断り続けた。
その恩恵を最も受けたのが敵国である聖王国なのだから、笑えない。
良く言われる〝無能な味方は敵より始末が悪い”の典型だ。
ガルム「さあ、最後は派手に散ってやるか」
兵士「「「「「「「おう‼」」」」」」」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇ グラム聖王国・子爵軍 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇
子爵「よし、勝った!今度こそ勝った!砦の連中は皆殺しだ!」
子爵はこの勝利を手土産に伯爵への昇爵を夢想していた。
更には自分の娘たちを侯爵家や公爵家、あわよくば王家に嫁がせて更なる
地位をも渇望し、その為には手段を選ぶつもりは無かった。
彼はトラディス公爵の暗殺さえ請け負っていたのだ。
上手く事を成せば、とある公爵家と姻戚関係を結ぶ事を条件に、だがその
密約が履行される事は、永遠に無くなった。
子爵「ゴブリン共を全て残らず突撃させろ!」
騎士B「全軍総攻撃、突入せ」
ドゴオオオォォ―――――――――ン
突然、軍の後方で爆風と火柱が上がった。




