狂乱する絶望は神への供物
モントレイ「門を抜けようとする者が居れば、処分しろ」
部隊長「了解致しました」
モントレイ「………………天幕に戻る」
降り出した雨を嫌ったのか、若しくは、漏れ聞こえて来る断末魔の悲鳴を嫌ったの
か、モントレイは元帥専用の豪華な天幕の住人になった。
しかし、門を守る兵士達はそうはいかなかった。
戦場での怒号でも悲鳴でも無く、まったくの非戦闘員が、生きたまま魔獣に喰わ
れる絶叫は、兵士達の耳にこびり付き、その精神を侵食した。
中には遠目にその惨状を見てしまった兵士もいた。
兵士「うっ、ひっ、うああああああああああああああああああああああ」
兵士「おい!落ち着け!」
兵士「ぎいぃぃぃぃぃぃ………人でなし………っ」
兵士「落ち着け!何言ってやがる!」
部隊長「構わん、後方の補給部隊に送ってやれ………………」
兵士「はい、わかりました、おい、行くぞ」
兵士「ううぅぅぅぅ」
部隊長「…………暫く休め……」
門の脇で雨を避けながら、部隊長であるランスは、門を抜け、後方に送り出される
自分の部下を見ていた。
若い新兵には、特に今回の任務は厳しすぎた。
魔獣でも、盗賊でも無い、犯罪者でも無ければ、獣人でも亜人でも無い。
本来、守るべき何の罪も無い無垢の人間が、戦い排除するべき魔獣に襲われている
のを黙認しなければならない。
その矛盾と罪悪感に神経が保たなかったが、それは彼らだけでは無かった。
残った兵達にしても、何も考えず命令を聞くだけの機械に徹する事で、何とか精神
の均衡を保って居たに過ぎない。
手足の感覚は非常に曖昧になり、視界は見た物を認識するまで時間が掛かった。
聴覚は麻痺した様に遠くなり、頭は思考する事を放棄した。
だから、門に向かって冒険者と住民の集団が突っ込んで来るのを見ても、咄嗟には
反応する事が出来なかった。
冒険者「門はすぐ目の前だ!走れ!走れ!」
冒険者「まだ閉じられてない!急げ!」
住民「うおおおお」
住民「ハアハアハアハア」
冒険者「止まるな!何匹か追いかけて来てるぞ!」
住民「ひいいいい」
住民「も、もう、息が、」
冒険者「諦めるな!せっかく生き残ったんだろ!」
彼らは、大通りを裏門に向かって一直線に走り抜けてきた。
何よりそれが、一番早いからだ。
あちこち隠れながらだと、鼻の利くハデスゴブリン相手では、恐らく一人も通り抜
ける事は出来ない。
事実、七割近い犠牲者が出たが、逆に考えれば、三割も生き残ったのだ。
その三割、十五人が五十人近い兵士が守る裏門に殺到した。
冒険者「どけえ―――――っ」
部隊長「………………排除しろ」
兵士「…………了解しました………………」
冒険者「邪魔だ―――――!」
住民「うああああああああああああああああああ」
しかし、迎え撃つ筈の兵士達の動きは、余りにも遅く鈍かった。
通常なら、相手に幾ら冒険者が居るとしても、不意の一撃なら兎も角、二合、三合
と受けに回るなどあり得ない。
兵達は、明らかに、戦意を喪失し、戦いを躊躇しているのだ、
その結果、最初の衝突で、半分近くが死亡したが、残った半数が兵士の壁を突破し
て裏門に飛び込んだ。
その事態になっても、兵士達は積極的に追いかけようとはしなかった。
自分達は最低限の役目は果たした。
一方、彼らは死ぬ気で切り抜けたのだ、このまま逃げおおせて欲しい。
そう思ってしまったのだ。
冒険者「よし!抜けた!」
冒険者「よっしゃー!」
住民「ぜぇぜぇぜぇ………へへ」
冒険者「これで、助か」
パウロ「あ―――――っははは、残念!行き止まりだよ、塵芥のみなさん」
裏門の出口には、黒の魔導士が立っていた。
冷たく光る銀色の瞳に、薄く赤い唇、整った顔立ちが酷薄そうに歪む様は、見る者
の心に、受け入れがたい嫌悪感と背筋が凍る様な印象を与えた。
何より、その歪んだ口から零れ落ちる言葉は会話のできる相手とは到底思えない。
冒険者「何だ………………ありゃぁ」
パウロ「おや、助かったと思った?思っちゃったんだぁ?哀れだねぇ」
冒険者「そん………………な………………」
パウロ「頑張ったのに何もかも台無しになったねぇ」
住民「あぁぁ………………」
パウロ「ねえ、無駄骨って、どんな気持ち?ねえ?ねえ?どんな気持ち?」
冒険者「てめぇ………………」
パウロ「まだ反抗するの?虫けらが?脳みそついてるの?」
冒険者「………ひとでなしめ………」
パウロ「害虫が五月蠅い!お前らは此処で喰われながら死んでゆくんだよ!」
冒険者「くそっ」
パウロ「恐怖しろ!絶望しろ!嘆け!喚け!泣き叫べ!」
住民「ひいっ」
パウロ「喰い尽くせ!ハデスゴブリン!」
住民「うああああああああああああああああああああ」
嘲笑うパウロの脇を抜け、三匹の巨大なハデスゴブリンの成体が前に出て来た。
今迄、空腹を命令で抑え込まれていたハデスゴブリンの肌は、食欲を解放出来る事
に興奮して、薄緑色の肌がやや透明感のある牡丹色に変わり始めた。
兵士「な、なんだ、あれは」
兵士「まさか………………本物じゃ………………無いよな………………」
兵士「誰か………………見間違いだと言ってくれ」
兵士「気持ち悪い………………」
部隊長「ああ………………神よ」
兵士達は、その悍ましさに気が付くと一斉に目を逸らした。
薄い透明な膜の内側には、殆んど取り込まれた、獣人の女の姿があった。
体の全てが溶けて融合してしまっていたが、辛うじて残っていた頭部と胸の一部が
体色が変化した事で露わになったのだ。
見間違いではと疑った者も居たが、偶に蠢く苦しそうに歪む口と、狂った様に何か
を探す目がそれを否定した
全員が、それこそパウロ以外が恐怖と嫌悪で動けなくなった中、ハデスゴブリンは
自分達の獲物を残らず確保した。
ある者は首ごと握られ、ある者は足に押しつぶされ、残った数人は、あっと言う間
に捕まったのだ。
((( グギャグギャグギャグギャグギャグギャ )))
歓喜の声を上げるハデスゴブリンの咆哮が、兵士達の鼓膜を汚し、生きながらに喰
われる人々の断末魔が、神経を汚染した。
多くの兵士は、正気を保つので精一杯になり、その場で嘔吐する者まで居た。
結局、裏門を目指した者は一人残らず、死を押し付けられる事になった。
神はその無慈悲な本性を、存分に見せつけたのだ。
そして、その無慈悲な神の先兵は、一人、ほくそ笑んでいた。
パウロ「ははは、目の前で害虫を駆除するのは、何度見ても快感だねぇ」
部隊長「………………害虫だと?」
パウロ「何だ、文句が有るのかい?虫けらの分際で」
部隊長「何だと、貴様…………」
パウロ「何、反抗するの?そうかそうか、死にたいんだ、全員、殺してやるよ」
部隊長「ち、違う、待ってくれ」
パウロ「へえぇ、それが人に物を頼む態度なんだ、へえぇ」
部隊長「済まない、申し訳なかった」
パウロ「なあんだ、立ったまま謝るんだ、それに済まない?上から目線だよねぇ」
部隊長「くっ……」
ランスは屈辱に顔を歪めながらも、地面に両膝を着けて頭を下げたが、パウロは、
それでも満足できずに、更に追い打ちをかけた。
パウロ「謝罪って頭を下げるんですよ知ってます?」
部隊長「わ、わかった」
言われるがまま、ランスは地面に額をつけた。
いわゆる、土下座と言われる物だが、パウロは更にランスの精神を削りにきた。
パウロ「ただ頭を下げれば良いと思ってない?」
部隊長「いえ、決して………………」
パウロ「恰好だけで、誠意がみえないんだよねぇ、誠意が」
部隊長「申し訳ございません」
ランスは土下座したまま、絞り出すように謝罪の言葉を口にした。
軍人であり、パンダーム侯爵家の家臣である彼にとって屈辱以外の何物でも無いが
今は、部下達の命がかかっている。
どんなに不本意でも、どんなに腹立たしくても、頭を下げるしか選択肢が無い。
だが、パウロは反抗出来ない事を十分理解した上で、更に詰り、追い込んでゆく。
パウロ「まだ駄目だねぇ、そんな上辺だけの謝罪じゃ」
部隊長「誠に申し訳ございません」
パウロ「だ・か・ら、心がこもって無いんだよ、心が、分かんないかなあ」
部隊長「くっ………………」
パウロ「何?不満なの?へえ、部下がどうなっても良いんだ、薄情だねえ」
部隊長「………大変………申し訳………………ございません………でした」
パウロ「何で、そう引っ掛かるのかなぁ、面倒だし、やっぱり殺そう」
部隊長「お待ちください!謝りますから!」
パウロ「もう良いよ、謝罪は飽きちゃったし……」
部隊長「お願いします!お願いします!」
パウロ「そう?じゃあぁ、裸踊りでもして貰おうか」
部隊長「なっ!」
実際、パウロは謝罪など、どうでも良い事だった。
彼の望みは、ランスを激昂させ、それを口実に兵士達をハデスゴブリンの餌にする
事だった。
つまり、ランスの我慢が限界を迎えるまで、延々と侮辱し続けるつもりなのだ。
不必要に甚振るのはパウロの嗜好であって、彼は生きとし生けるもの、全てを憎み
嫌悪し、その滅びを望んでいた。
パウロ「ほらほら、どうした、嫌なのかぁ?」
部隊長「………………わかった」
ランスはすぐに自らの甲冑を外しにかかったが、直ぐにその必要は無くなった。
モントレイ「そこまでにして貰おうか」
部隊長「元帥………………」
パウロ「チッ…………」
モントレイ「これ以上やるなら」
パウロ「わかったよ」
実はランスが土下座した辺りから、遠くで見ていた兵士が天幕に駆け込んだのだ。
部隊長「申し訳ございません、ありがとうございます」
モントレイ「よく我慢してくれた、全員、天幕に引き上げさせてくれ」
部隊長「よ、宜しいですか?」
モントレイ「別に、ここに居なくても構わないでしょう?魔導士殿」
パウロ「ふん!好きにすれば良いさ」
モントレイ「そうさせて頂く」
その後、裏門は三匹のハデスゴブリンと一人の魔導士を残して後方に移動した。
つまり、警戒も巡回も放棄したのだ。
そしてこの事は、ごく少数の人間に恩恵をもたらした。
グース「やっぱり、俺、このまま逃げる事は出来ません」
キリア「馬鹿か、お前!死にたいのか?」
グース「知り合いが居るんです」
キリア「………家族か………」
グース「いいえ、俺に家族は居ません」
キリア「なら」
グース「それでも、この街で生まれて、見捨てられない人も居るんです」
キリア「自分の命を危険に晒してもか?」
グース「見捨てるには、世話になりすぎました」
グースは若くして両親を病で亡くしたが、それでも何とか今まで生きて来れたのは
隣人の助けがあったからだ。
このまま見捨てて生き残っても、この先、死ぬまで後悔し続ける事になる。
そんな未来など耐えられる気がしなかった。
キリア「そうか………………なら今から言う事を絶対に守れ」
グース「は、はい」」
キリア「必ず少しづつ、、誰にも気づかれない様に連れて来い」
グース「何でそんな手間を………………」
キリア「もし、この通路がバレたら、みんなが殺到して収拾がつかなくなる」
グース「そんな………………」
キリア「冷たい様だが、優先順位を付けろ」
グース「俺が、選ぶ………………のか」
キリア「そうしないと、共倒れになって、誰も助からないぞ」
グース「………………わかった」
キリア「理解したなら早く行け、俺は出口を確保しておく」
グース「ああ、頑張る」
そして、急いで穴に潜ろうとするグースに声をかけた。
キリア「後、もう一つ、二足歩行の魔獣は足が遅い、見つかっても諦めるな」
グース「ありがとう、じゃあ、行ってくる」
若いギルド職員にとって、生まれて初めて自分の命を、賭けの盤上に乗せたのだ。
酷薄で嫉妬深い女神か、それとも穏やかで情け深い悪魔か、どちらが彼に微笑む
のか、白か黒か、結果は直ぐに出る事になるだろう。




