惨劇と愚行と絶望のドラム
ドラムの街に現れた地獄は、白い包帯に赤い血が滲む様に広がっていった。
あちこちで上がる、断末魔の悲鳴が、共鳴しながら、流れ出した血に溶けてゆく。
生きたまま、内臓を貪られた女の絶叫が恐怖を煽った。
逃げ惑う人々を、まだ御馳走に有り付いていないハデスゴブリンが追いかけている
が、足の遅い老人の集団が捕まっていた。
「ゲボッ」
「ヒッ…ギッ……ガッ」
「グッガァァッ」
ハデスゴブリンに捕まった老人達は、まともに悲鳴を上げる事も出来ず、首や頭に
噛みつかれ、絶命した。
((( ゲギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ )))
久々に空腹から解放されたハデスゴブリン達は歓喜の声を上げながら、肉片一つと
して残さぬ程、物言わぬ死体を貪った。
一方、食事に有り付けなかった連中は、新たな獲物を求め、猛り狂い踊った。
扉も窓も、壁さえも、気配を感じ、僅かな匂いも嗅ぎ取る、この捕食者にとっては
紙ほどの障壁にもならなかった。
特に裏町とも下町とも言われるこの場所の建物は脆弱で、ハデスゴブリンの行動を
一瞬も止められず、更に午前中は、誰も動き出さない土地柄のせいで、まともに逃
げ出す事も出来ず被害は甚大だった。
悲劇はあらゆる場所で、鮮血の花を咲かせた。
逃げきれないと思った母娘が、物置で息を殺して隠れたが、逆に匂いをたどられ、
複数のハデスゴブリンに群がられ、逃げ道が無くなった。
「いっ、いやあああああああああ―――――っ」
「うあああああああああん」
扉を引きちぎって、中を覗いたハデスゴブリンは、その新鮮な獲物を咀嚼出来る
幸運に歓喜し、涎をたらしながら、母親を納屋から引きずりだしたし、悲鳴を上
げて必死に抵抗する獲物の腹部を食い破った。
「ギャアァ―――――ッ…………………ッ」
たいした抵抗も無く、咬みちぎった腹の肉は柔らかく、一口で飲み込んだ。
溢れ出す血液が乾いた喉を潤し、腕の肉は絶妙な硬さで空腹を満たした。
おこぼれを狙っていたもう一匹のハデスゴブリンは、傍に蹲る小さな娘を見つける
と頭から喰い始めた。
「グッ………………」
ロクな悲鳴も上げられずに絶命した娘の手足が、筋肉の条件反射で跳ね、その振動
が口内に伝わったハデスゴブリンは、興奮を抑えきれなかった。
更に喰い進めて、内臓に辿り着くと、その温かい食感と味に喜びの声を上げた。
生まれてから、ずっと食べていた様々な動物や人間の死体とは、別物だった。
( ウギャウギャウギャ )
そして、多くのハデスゴブリンが己の食欲を満たし始めると、この狂乱の食卓に、
着き損ねた幼体が、数体バラバラに獲物を探して路地などを探し回った。
一瞬だが、この惨劇の空白時間が出来たのだ。
その間隙に、追い詰められた人々は、ハデスゴブリンに戦いを挑んだ。
住民「くそっ、くそっ、くそっ、化け物め!」
住民「このまま死んでたまるか!」
住民「今なら一匹だ!殺せ!」
住民「そうだ、殺せ、殺してしまえ!」
住民「うおおおおおおおおおおおおおお!」
男達は、単独行動をしているハデスゴブリンに、持っていた剣や槍を突き立てた。
中には、農具や大きな包丁までも有ったが、数人がかりで斬りつけまくった。
ハデスゴブリンは、顔こそかばっていたが、体には刺し傷や切り傷が無数に刻まれ
て行く。
苦痛からか、ハデスゴブリンは低い唸り声を上げながらも、そこから動こうとしな
かったのだが、その姿には違和感があった。
恐怖を紛らわせる為、休むことなく何度も何度も目の前の薄緑色の肉壁、を息が上
がるまで斬り付けたのだが、徐々に視界と精神の釣り合いが取れて来ると、有る事
に気が付いたのだ。
出血が少ない。
ハデスゴブリンの血は緑色で目立ちにくいが、それでも少ない。
住民「へへっ、これだけ切れば…………あれ?」
住民「おい、なんだ、なんだこれ、おかしいだろ………………」
住民「そんな………………」
住民「ふざけるな、ふざけるなよ、たのむよ」
住民「………無理………………………だ」
「「「「うあああああああああああああああああああああああああ」」」」
全員が、持っていた武器を取り落として、その場にへたり込んだ。
彼らの目に前で、百ヶ所以上付けたはずの傷が、もうほとんど残らず消え始めた。
痛みに強く、剣の刃が通りにくいのに、どれだけ深い傷でも、斬った先から直ぐに
回復してしまう。
牙以外の特別な攻撃方法は無いが、ドラゴンに並の再生能力を持つ。
それが魔獣ランクB+を誇るゴブリンの最上種、ハデスゴブリンだ。
強さも防御力も、成体にはかなり劣るが、再生能力だけは幼体でも変わらない。
「うわあああああああああああ………あ…………が…………ぎ………ぐはっ…」
( ゲギャギャwww )
一番近くに居た男の頭を鷲掴みにしたハデスゴブリンは、やっと食事にありつけた
事に歓喜の声を上げると、逃すものかと、暴れる男の首に噛みついた。
頸動脈から噴出した血が、大量に喉を通る快感に酔いしれ、ひたすらその新鮮な肉
を貪った。
声も出せず、たった今、生きたまま食われる仲間を見て、男達は這いずる様にその
場から逃げ出した。
獲物を手に入れたハデスゴブリン達の咀嚼音だけが響く中、落ちて来そうな程、垂
れ込めていた黒く暗い雨雲は、その惨状に耐えられなかったとも言いたげに、細く
むせぶ様な雨粒を降らし始めた。
冒険者「こんな時にギルマスはどこだ!」
冒険者「馬鹿二人は一体何をしている!」
冒険者「寝てるなら叩き起こせ!」
冒険者「どうするんだ!魔獣が襲って来たんだぞ!」
職員「ふ、二人共いません!多分、昨夜から娼館か賭場です………………」
冒険者「何だと!この非情時にか!」
職員「はい………………」
冒険者「呆れたもんだ」
冒険者「いや、それよりも、娼館は………………」
冒険者「ああ、北地区だ」
冒険者「おい、それって………………」
冒険者「今頃は魔獣の腹の中だろうぜ」
職員「あの、それって、どういう意味ですか?」
冒険者「魔獣は、裏門から侵入したんだ」
冒険者「とんでもない数だがな」
冒険者「北地区は地獄だぞ」
娼館、賭場、酒場、一寸宿屋、闇金など、夜の店や違法な店が集まる歓楽街は、街
で最も地価の低い裏門周辺、一般に北地区と言われる所に集中していた。
ギルドマスター達は、まず助からないだろう。
冒険者「しかし、あのゴブリンは何であんなにデカいんだ?」
冒険者「始めて見るが、本当にゴブリンなのか?」
冒険者「薄緑色の肌をしていた、間違い無い」
職員「あ、あのう、多分、ゴブリンの最上位種かと………………」
冒険者「お前、魔獣に詳しそうだな」
職員「素材の査定係なので、それなりに………………」
冒険者「では、あれは?」
職員「たぶん、ハデスゴブリンの幼生体かと」
冒険者「ランクは?」
職員「成体でB+、幼体でC+です」
冒険者「冗談じゃねえぞ………………」
C+と言えば、フォレスト・サーペントと同じランク、五級冒険者が三人居れば、
討伐可能だろう。
だが、今ここには六級が数人と、後はそれ以下が二十人程。
百匹以上のC+など、相手に出来るはずが無い。
冒険者「絶対に無理だ………………」
冒険者「ああ、逃げるしか無い、だが」
冒険者「正門も小門も全て封鎖されている」
冒険者「力ずくで突破するしか無いだろう」
冒険者「聖王国の兵士はどうする?絶対ぶつかるぞ、後で懲罰が……」
冒険者「馬鹿か、お前!奴らが仕組んだんだよ!」
冒険者「奴等が門を封鎖してたんだ!わかるだろ!」
冒険者「でも、どうやって魔獣を………………」
冒険者「知るか!全員で門を開かせるぞ!」
冒険者「「「「おお!」」」」
正門の前には既に、多くの住民が集まっていたが、その目は絶望に染まっていた。
冒険者「うそ………………だろ………………」
冒険者「………………鉄板門が落ちてやがる」
冒険者「いったい誰が………………」
住民「来た時には、もう………………」
冒険者「聖王国の連中に決まっているだろ!」
住民「巻上室も壊されていて………………」
冒険者「なら城壁の上に登れば」
住民「無理です、階段は、随分前に壊れて、撤去したままです」
冒険者「三ヶ所ともか?」
住民「はい………………」
冒険者「何で修理しなかったんだよ!」
住民「必要もないし、予算が無いと………………」
商王国で最も旧い都市であるドラムの城壁は、かつて大型の魔獣の襲撃や大規模な
国同士の戦争いのせいで、非常に強固な作りの、籠城戦さえ想定して作られた要塞
と化していた。
その象徴が、門の中間に設置してある、木材に鉄板を打付け、それを何層も重ねて
破壊出来ない様にした、巨大な落とし門だ。
それが落とされれば、人間の力ではどうにもならない。
おまけに、門を再び引き上げる、巻き上げ機も破壊されている。
冒険者「どうすりゃ良いんだ………」
冒険者「どうもこうも、直すしか無いだろう」
冒険者「直すって、ここまで破壊された物を、どうやって?」
冒険者「大工なら、誰か直せるだろう?」
住民「出来ません………………」
住民「無理だ、こんなに粉々にされたら………………」
冒険者「なら替えの部品はどこだ!」
住民「知りません、でも、もし有るなら街長の屋敷ぐらいです」
住民「高価な魔道具ですから、多分」
冒険者「………………街長の所に行くぞ」
街長の館は今、多くの住民でごった返していた。
魔獣に追われた人々だけで無く、遠くから見た者、噂を聞きつけた者、とにかく皆
が何が起こっているのか詳しい情報を求めて集まった。
正確に言えば、何かが起こっている事だけは知っていた。
それも聖王国の手で。
それでも人々は、そう遠く無い内に事態は好転すると、何の根拠も無くそう思って
いた、思い込もうとした、だが、それは盛大な妄想に過ぎなかった。
誰かが何とかしてくれる、問題を解決してくれる、そう他人に任せた。
自分で責任など負いたく無かったから、先頭で責任を負う人間を待った。
そして、手遅れになった。
最初に門を兵士に封鎖された頃なら、何とかなったかも知れない。
聖王国の兵士が増えた頃なら、幾らかの犠牲を出すだけだったかもしれない。
だが、ハデスゴブリンが解き放たれた今は、どうにもならない。
なのに、それでも誰かに責任を取らせなければ気が済まない人々は、状況が変わら
ないと知りながら、街長を糾弾した。
住民「どうなるんだ、これから!」
住民「なぜ、魔獣がいるんだ!」
住民「どうして、こんな事になったんだ!」
住民「きちんと、説明しろ!」
住民「どう責任を取るつもりだ!」
街長「儂だって、何も聞かされておらん!」
住民「ふざけるな!」
住民「聞いて無いで済むか!」
街長「じゃあどうしろと言うんだ!」
はっきり言って、責任の追及など、命の危険が無くなってから、勝手に暇な連中で
幾らでもやれば良いが、この追い詰められた場面で、状況打開以外の口論や糾弾等
馬鹿のする事だ。
誰かに責任を取らせたとしても、問題は何一つ解決しないからだ。
そして愚かな民衆が引き起こす常の例なのか、興奮した数人の男達が、街長の館に
火を放った。
旧い木造家屋は、あっと言う間に炎に包まれたが、折しも降り出した、細かく濃密
な雨が、周りへの延焼を防いだ。
しかし、この下らない不安の解消は、最後に残った希望を文字通り、消し炭に変え
てしまっていた。
冒険者「………………なんて事だ」
冒険者「馬鹿どもが………………」
冒険者「こいつら、癇癪を起した子供と同じだ」
雨に頭を冷やされながらも、未だ街長に詰め寄って罵倒し続けている民衆を遠巻き
に眺めながら、まるで竈の様に燃える屋敷の炎で、巻き上げ機の部品が失われた事
を悟った。
冒険者「どうする、このままだと、いずれ奴らの腹の中だ」
冒険者「他に逃げ道を探すしかないが………………」
冒険者「こうなると、頑丈な城壁が逆に障害だな」
冒険者「どこにも隙間が無いからな」
冒険者「………………隙間…………………そうだ……………一ヶ所だけあるじゃないか!」
冒険者「どこだ、それは!」
冒険者「裏門だよ」
冒険者「はああ?」
冒険者「全員で一気に押し通る、運が良ければ何人かは抜けられるだろう」
その答えを聞いて、全員が絶句した。
裏門は、聖王国の兵士によって、封鎖されている。
そこに飛び込むなど、正気の沙汰とは思えない。
だが、確かに通れるのは裏門だけなのも確かだ。
住民「あ、あのまだ小門が………」
冒険者「人一人しか通れない門だ、塞がれてるだろう」
冒険者「おまけに兵士が見張っている、一人づつ、順番に殺されるだけだ」
冒険者「………………やはり強行突破、一択か」
住民「そんな、それじゃあ俺達は………………」
住民「見捨てるんですか?」
冒険者「条件は俺達も、たいして変わらんよ、ほぼ運任せだ」
冒険者「集団で突っ込む、死ぬ気で走れ」
住民「そんなぁ………………」
冒険者「後は神任せ、祈るだけだ」
総勢五十数人の集団が、無謀ともいえる生き残り手段を取る事を決めた。
それは、小魚の群れが、大型の捕食者に対抗する姿に似ていた。
数頼みの運任せ、神任せだ。
その頼られた神はと言えば、今回も存分にその力を発揮した。




