君を守る、と騎士は言った
今となっては神話に近い歴史だ。
魔王の懐刀、と呼ばれる大剣使いがいた。
帝国軍が破り、大剣を持ち帰ったとの記録がある。
大剣は時代を経るうちに失われたそうだ。
また、このような話がある。
少し昔、歴史に残らない庶民生活の一幕だ。
野原に縦長の鉄板が立っている。
緩やかな傾斜や岩や草に隠れた場所だ。
子供たちが度胸試しに使う。
大人にとってみれば何の変哲もない場所も、冒険心と想像力あふれる子どもには恐ろしい異界、魔の巣窟、冥界だった。
「君を守る。この、自動式君守り板で」
生活的で間の抜けた名前を与えられたものだ。
ある児童が鉄板に手を触れ、騎士の誓いを立てる。
天候や錆びの具合によって、触り心地が悪い。ときには熱く焼けたり冷たく張り付いたりと、単純に危険でもある。
子供たちの間で、鉄板に触れるのは、ふさわしい状況で勇気ある者だけができることだとされた。
大きくなった子供たちにとっては、鉄板をもはや聖なる像とも長の座とも考えなくなる。
鉄板は鉄板である。
あるとき、ある青年がこの場所へと走り来て、鉄板を抱えた。
青年は必死で叫ぶ。
「守らせてくれ。お前が自動式君守り板と言うのなら」
人間の集団生活に、外から危機が迫ることがある。
自然災害、食物を食い荒らす虫、暴力を振るう野獣、暴力を振るう人間、その他の恐ろしいことごとがある。
ものによっては、対処のしようがある。
大きくなった子供たちにとって、鉄板は鉄板である。
そしてただの鉄板は、概して、敵を防いだり殴ったりするのには有用である。
大切な人を守りたい青年にとって、その鉄板は、子供の頃と変わらず偉大に思えたか。
他の鉄板よりも際立って実用的だったという記録はない。
なお現在では、その場所がどこだったか分からなくなっているそうだ。
また、このような話がある。
恐ろしい道具があり、触れた者は絶命する。
選ばれた特別な人間だけが、死なずに道具を扱うことができる。
すると、その者が扱える技術を超えて勝手に動き、願いを叶える最大限の助けとなるのだ。
信じがたいことに、そのようなことがあるのだという。
当世の〈毒樹枝節経アーバスキュール〉は樹上積層都市である。
巨大な樹の上に人が都市を築いていた。
日が落ちてからも活気に満ち、迷宮という言葉がもたらす印象から程遠い。
ここは迷宮である。
栄えた都市であっても、〈アーバスキュール〉は迷宮である。
都市には都市の魔が潜む。
夜になればなおさらだ。
「お嬢ちゃん、お茶でもどう? ねえ無視しないでよ。ちッ、調子に乗るなよブス」
淫魔である。男の淫魔、淫起勃である。
「その顔引ッ掻いて、醜さを自覚させてやるよォ〜!」
淫起勃は、自分を無視した女に鉤爪の武器を向ける。
ここは迷宮である。
迷宮には魔物が潜むのだ。
迷宮都市の、探索者たちがいる中で潜伏して生存し続ける魔物は、それなりの力を持っている。
返り討ちにする力よりは、隠れ潜む力が要だ。
堂々と敵対することを選んだ魔物の大半はとっくに死んでいる。
また戦闘能力に欠けた魔物は、都市に活路を見出すことがあった。
打倒されるために迷宮をうろつくも同然の、陳腐なイメージを抱えた魔物などである。
「この爪で傷がつけば、淫魔を受け入れたってことになるよなァ〜! そしたら招待にあずかってやるぜェ〜ッ!」
陳腐なイメージに魔力はない。
弱い淫魔は、隠れ潜むことで生き延びてきた。
今、淫起勃を妨げる探索者はいない。
鉤爪を舐めて卑しく笑う淫起勃の前に、古びた甲冑を着た騎士が立ちふさがる。
「君を守る」
妨げる〝探索者は〟いない。
ここは迷宮である。
迷宮には魔物が潜む。
甲冑騎士は剣を振り、鉤爪を切り飛ばした。
「君を守る」
甲冑騎士は剣を振り、両足を断ち切った。
「ゲェーッ〈君守り人形〉! 『君を守る』とだけ喋り、人の危機を救って去る甲冑! 噂は真実だったのかッ!」
「君を守る」
「いやだ殺さないで」
甲冑騎士は淫起勃の腰を踏み砕いた。
短時間で腰から下を失えば、淫起勃の命は終わってしまう。
都市の魔物は、都市の強い魔物の餌食となるのだ。
「助けてくれてありがとう。〈君守り人形〉さん」
〈君守り人形〉は礼に答えを返さず、立ち去ろうとした。
去ろうとして、足を止めた。
見た目には普通の少女である。
想定よりも多少幼い。
甲冑騎士は、助けたその者の背後に、先の淫魔などよりもはるかに恐ろしいものを知覚した。
夜そのものが、彼女のあとを尾けている。
彼女自身の影も、とてつもなく大きな魔を宿している。
よほど厄介な何かに取り憑かれていよう。
二つ結びの髪型は、捻じ曲がった大きな角の影を落とす。
街灯と反対方向に伸びる影だけではない。顔の陰影も隈取りとして、愛らしさを悪鬼の化粧で上塗りする。
単なる光の加減ではない。単なる偶然ではない。
「君を守る」
〈君守り人形〉は、彼女を守らなければならないと判断し、剣を構えた。
〈君守り人形〉は誤認していた。
夜そのものを、少女はあとに従えている。
少女自身が、とてつもなく大きな魔である。
彼女を魔王と理解せよ。
見た目には普通の少女である。
ツインテールの癖っ毛が似合う、彼女は支配者だった。