樹上都市・迷宮〈毒樹枝節経アーバスキュール〉
迷宮を抜け出ると、迷宮だった。
「〈毒樹枝節経アーバスキュール〉よね。ここに出たのはいつぶりだか」
〈アーバスキュール〉は樹上積層都市である。巨大な樹の上に人が都市を築いていた。
太陽の光が木の葉の間から優しくそそぐ。いくつかの隣接した迷宮から幹を通って資源が運び込まれる。市場に並ぶのだ。
活気に満ち、迷宮という言葉がもたらす印象から程遠い。
亜竜人ヴィクロム・インヴィットが、都市に隣接する迷宮の一つ、〈幽玄歴詞根ペルペトゥア〉で少女の姿の魔王を拾った。
魔王は亜竜人に拾われて、地上に出た。
「太陽の下に出てみれば、そんな顔していたのね。爽やかにしていれば童顔の美青年と言えなくもないんじゃない」
「迷宮の中で思ったとおり、ふてぶてしい面のガキだな。せっかくの愛嬌を持て余している」
二人は〈ペルペトゥア〉を抜け出た。
栄えた都市であっても、〈アーバスキュール〉もまた迷宮である。
都市には都市の魔が潜む。
迷宮を抜け出ると、また迷宮があるのだ。
「幹に入るのには手続きがあり、何もなければお前は弾かれる。どうする魔王、お得意の魔法で切り抜けるのか。伏して頼むなら何とかしてやれるが」
「今わたし魔王はオフなの。魔力だってほとんど空ッ穴よ」
魔王にもオフというのがあるらしい。
少女の魔王は迷宮の中で、えらく手の込んだ魔法を使った。
「魔王だぞ控えろーの演出に、剣があるフリで剣を出す演技だな。どちらも劇場っぽい環境ありきだ。迷宮でこそ本領発揮ということか。魔力だって消費したことだろう」
「空ッ穴はずいぶん前からのことだよ。あれはわたしの魔力なんて使わないの。匂わせ使いなら、ちゃんと分かりなさい」
魔法は強固なイメージで発動する。
亜竜人が得意とする匂わせとは、共通の了解に基づいてイメージを共有することで相手の魔力をも利用する魔法発動法である。
亜竜人の場合、その共通の了解を「竜」というパッケージで捉えることになる。
「俺が、自分で自分に魔法をかけたわけか。目の前にいるガキは魔王に他ならないのだと」
「正体を暴かれる危険を自己強化の機会に変えられるのも利点ね」
魔法は強固なイメージで発動する。陳腐なイメージに魔力はない。
出自や霊的な性質を暴く「暴露殺法」は古典的な魔法破りである。
古くから使われる強力な手法ゆえに、対抗手段も考えられてきた。
「当世で魔法を戦闘に使うなら、基本の前提だったな。それでどうするんだ。魔力がないのは分かった。尻尾巻いて引き返すのか。それともこの亜竜人ヴィクロム・インヴィットを頼みとするか」
「認識阻害を使う。この道具で」
少女は先端が三つに分かれた槍を左手に持ち、右手で古めかしい硬貨を転がして見せた。
「なんだそれ。農具か?」
「仮構金属器・十一型〈三和音〉、ね。農具なんて言ったら、お友達の〈鉱脈の亜竜人〉ガノッススくんも悲しむと思うよ」
鉱脈の竜を引く亜竜人であるガノッススは、仮構金属器と称した武器をいくつか使える。それを掠め取ったというのか。
「何パクってんだよ。返してきなさい」
「認識阻害と一口に言っても異なる魔法がいくつかある。そのうちでも呪文を唱えて呪符を消費するものはよく知られるよね。魔法によらず、『認識阻害にかかってください』と言って貨幣を支払うことで検問を抜けるという人間の行動がある。より力ある言葉と、より力ある道具と、魔力を使えば、魔法になるというわけよ」
「その槍はスルーしてもらうには目立ちすぎるだろ。返してきなさい。ってガノッスス野郎の居場所なんて分からないな」
少女の体格に対して槍は大きすぎる。彼女は槍を引きずり、硬貨をいじりながら、〈毒樹枝節経アーバスキュール〉の入り口へ向かう。亜竜人ヴィクロムも追いかける。
「この槍は何かな。ただならぬ武器のようだ」
案の定、担当者に呼び止められる。
「言わんこっちゃない。返してこよう」
ヴィクロムは少女の腕を掴み、言って聞かせようとした。
少女は、そこにいなかった。
掴んだのは例の槍である。
「君に言っているんだ。幹に入れないというわけではないから安心したまえ」
探せば、少女は幹に入って上昇流に乗ったところだった。こちらに手を振って、投げキッスの仕草を演じる。
「あのガキ」
認識阻害と一口に言っても異なる魔法がいくつかある。
注意を引く部分を用意して、ほかの部分を目立たせないのも一つの手である。
見世物のたぐいの常套手段だ。これも魔力を込めれば、魔法になる。
魔王は迷宮でこそ本領発揮か、と亜竜人は言った。
迷宮から太陽の下に出たとはいえ、そこはまた迷宮なのだった。