剣劇と鉱脈と
イメージが魔法を動かす。
陳腐なイメージに魔力はない。
亜竜人ヴィクロム・インヴィットには今、歩きながら喋る相手がいた。
「『奪い取ることができない武器とは何か』、か。よくある話だな。古典的には知識とか知恵とかなんだろうが」
「経験による知はともかく、知識を外部に蓄えるための書籍は奪うことができる。過去の知の蓄積を利用できる状況を奪うこともできる。その者だけが知っているという優位性を奪うこともできる。そのとき利用に十分な知識を自分で再構成する能力は知恵と呼ばれる」
壁に置かれたかすかな灯りが通路を照らす。
ここは迷宮である。
ツインテールの少女が話を続ける。
「無から出発して一人で作っているんじゃあない。それができるなら知の蓄積は必要ないものね。いろいろな知識を互いに関連付けるようなやり方を身につけることで、網目の一部が欠けても補うことができる。状況により役に立たなくなった、奪われた知識を、他のもので代用しうるということ」
歩いてゆく先の方向から、痩せた小鬼たちが走ってくる。
倒した。
迷宮の魔物や宝物は、駆除したり持ち出したりしても減ることがない。どこからか湧いて出ているらしい。
「俺が過去の経験と知識から推論するところを言っていいか。この方向は浅い層に向かう。今しがた倒した小鬼たちは採取の行きがけではない。帰りがけでもない。何かから逃げていたのだと思う」
亜竜人ヴィクロムがそう言うと、重い足音が聞こえてきた。
音の間隔が長いわりに、それが姿を見せるのには時間がかからなかった。
「超自然の怪物って、体のサイズ、身体部位の増減、合いの子、といった自然の動物でも多様な特徴が極端に強調されがちよね」
巨大な身体だった。
大柄な人間が収まるほどの棍棒を手に持っている。
二足で立って手に棒を持てるぐらいには人間の形をしている。
角度がつく上に暗くて判然としない顔は、明らかに人のシルエットでない。歩くごとに灯火を受けて角が光っていた。
顔の中央に一つだけ、丸く大きな目を開いている。
「それでいくとこいつは全部盛りらしいな」
倒した。
陳腐なイメージに魔力はない。
ありきたりな迷宮の怪物は弱敵だった。
「こいつも何かから逃げていたのかな。この先が魔王だって出るような危ない領域なのは、小鬼にとっても今の巨人にとっても同じだものね。わたし魔王だけど」
壁に置かれたかすかな灯りが通路を照らす。
ここは迷宮である。
「迷宮で、基本的に怪物たちは秩序立って動き回る。それが乱れるのは、たとえば探索者が徘徊しているとき」
「探索者か。このあたりに俺以外の誰かがいるというのか」
「私だよ」
探索者が現れた。
ヴィクロムと同じく探索者らしい装いで、ヴィクロムと違って特徴的なヘルメットをかぶっている。
「おお、ビク君ではないか」
「ヴィクだ。ヴ、ヴ、ヴィ。おいガキ、こちらは亜竜人で探索者のガノッスス。ちょっと威張る気質があるし好戦的だけど付き合いがいい」
「誰がガキか、下僕」
魔王はローキックを入れた。問題なく歩ける程度に手加減してのものだ。
ガノッススは魔王の方へ腰をかがめ、手を差し出して話しかけた。
「お嬢さん、名前を聞いてもよろしゅうございますか」
紹介に反して丁寧な問いかけに応える。
「さて、どれを名告ったものでしょう。いっぱいあるのだもの。その前に刃物を置いてくださらない?」
ガノッススの両手は見える状態にある。どちらにも刃物は握られていない。
魔王は、刃物を手に持っていると断定した。
「よくぞ見破ったね」
差し出した右手をわずかにひねると、剣が現れた。正確には、最初から持っていたのが見えるようになった。
「仮構金属器・三型〈散忍虎〉」
「鉱脈の亜竜人と言いたいの。似た形のが左手用にありそうね」
ガノッススは対となる剣を左手に出現させる。双剣である。
「名告りを潰さないでほしいなあ。五型〈武竜哭〉だ」
戦闘の前の緊張が高まる。ヴィクロムが邪魔にならないように引き下がる。
「君の手札は煤けている。予告する。この暗い迷宮で、戦いの場は鉱脈になる。鉱脈の亜竜人である私が得意とするフィールドに変える。そのとき勝負は決するのだ」
「なら私も、順に、『御託は十分だ』『何だ、それは』『これほどの魔法があったのか』」
「御託は十分だッ」
そして両者が地面を蹴る。
当世の分類によれば、魔法の原理に四つがある。
状況と人とによる多様な魔法を分類するとなると何をやっても無理が出る、という前提で、比較的便利なものとして受け入れられている。
約詞は、イメージの焦点が当たらない過程を飛ばすものである。
例えば、特に強く意識することなく石を積み上げることができるとき、石垣を出現させる魔法がある。
換喩は、近接性に基づくものである。この位置付けについては議論が多い。
例えば、繋がっている領域に傷を侵食させる魔法がある。
見立は、形の類似に基づくものである。
例えば、対象に似た人形を用いて呪詛をかける魔法がある。
掛詞は、言葉の類似に基づくものである。
例えば、カツレツを食べて勝つ魔法がある。
そして、陳腐なイメージに魔力はない。
人や状況に依存しない定石はすぐに陳腐化し、効果を失ってゆく。
掛詞はとりわけ陳腐化しやすい。
武器の銘に掛詞を用いるガノッススには、一回言ってそれきりとしないための工夫でもあるのか。
魔王は身軽に双剣を躱し続ける。
ガノッススは彼女の動きに隙を作り出そうとする。
手数でも攻撃範囲でも大きな差があるのだ。攻め方はいくらでもある。
少女は身体を翻す。可憐に優雅にはねて回る。
武闘にしては無駄な動作が、それを舞踏と意味づける。
戦う少女は踊っていた。
奇妙にも、それは剣舞だった。
彼女は剣を握っていない。空の手のひらを隠しもしない。
双剣使いの動きさえ、剣舞の相方を強いられる。
彼女は大きな動きをとり、剣を掲げない。
研ぎ澄まされた刃が輝かない。
全体に彫り込まれた文様が古代を想起させない。
柄にまじないの宝玉があしらわれていない。
明らかな隙に対して、双剣が振り下ろされる。
存在しない剣が、双剣を押しとどめた。
「何だ、それは」
「剣を扱う体系から網目の一部が欠けたとしても、補うことができるというわけだ」
動作と剣舞の類似から、剣を出現させる。
分類するならば見立にあたる魔法である。
戦いは局面を変えてゆく。
壁に置かれたかすかな灯りと、剣の火花が通路を照らす。
ここは迷宮である。
「仮構金属器・四型〈軽銀傑兎〉!」
破城鎚ほどの大槍を出現させる。
少女の上方にである。
ステップの流れを保ちつつ避ける間に、亜竜人はそばの壁を削り取って小部屋に逃れた。
追いかけ、モノに溢れた小部屋に舞台を移す。
双剣の方が取り回しがよい。
また足元を含めた空間的な制限により、剣舞を続けるのが難しくなる。
剣舞こそが存在しないはずの剣を維持している。これを止めれば戦闘の流れは変わる。
ガノッススが鏡台による視界を利用し、魔王が鏡面を破る。
魔王が燭台の足をもぎ振り回し、ガノッススが火をかき消す。
ガノッススは考えていた。自分は「御託は十分だ」「何だ、それは」と言った。戦闘開始時の少女の言は、予告に対抗しての予告だ。この二つは大したものではなく、三番目の「これほどの魔法があったのか」こそが本命であろう。
魔力の流れを常に確かめる。おそらくこの予告は、ほかならぬ予告に対する対処によって実現する類のものだ。予兆を認めたとしても、それを潰すことはしない。ともかく今の所、この剣舞のほかに何かを用意している様子はない。
そして、鉱脈の亜竜人としての予告はまもなく成就する。
「仕込みは順調だと言いたげね。あなたは手足で触れた部分に鉱脈竜の魔力を注いでいる」
「理解したか。だがもう遅い」
戦いの場は鉱脈になろうとしている。すでに十分有利なフィールドであり、常に剣舞を続ける少女に対しガノッススは優勢になるばかりだ。
ここにきて少女に魔法を使う様子はない。今から何をしようとも、この状況を覆すなど、かの魔王ですら不可能だろう。
ふと、ガノッススは自身の思考に疑念を覚える。
なぜ、今、魔王を引き合いに出したのか。
ものの喩えにはありきたりだとしても、ここでかの人物を思い出したのには理由がある気がした。
すぐに思い当たる。
「破損した鏡台」や「もぎ取られた燭台の足」は魔王にまつわる品として有名だ。ここにある鏡台も燭台もより後の時代のものだ。ただ、戦いの成り行きで、似た形が生じていた。
それだけではない。連想が進む。
先からの戦いで見た、机の破壊とてこの原理も、丸い椅子の背で踊る曲芸も、より新しい時代の品で演じられたものの、伝承によく知られている。
さらにそもそも剣舞の様式は、極めて古式のものではなかったか。
この少女は、誰なのか。
「理解したか」
それが、魔法の完成だった。
予兆がないのも当然だ。事後的な解釈を受けるまで、それらは確かにただのモノだった。
彼女を中心とするイメージの網目の中に位置付けてはじめて意味をなす。
「これほどの魔法があったのか」
「再約神話、わたし型。〈魔王〉」
予告は成った。鉱脈の亜竜人ガノッススは敗れた。
部屋の床を鉱石で埋めるなど、本物の魔王を相手には、あまりにもつまらない芸である。
陳腐なイメージに魔力はない。
魔王という使い古された称号は、彼の前に劇的なイメージで現れた。
壁に置かれたかすかな灯りが迷宮を照らす。
鉱石さえも霞むほどの輝きは、古いつまらない品々の中にあった。
「予告の通りになったな」
ここは、鉱脈である。