プロローグ:こうべを垂れよ、と少女は言った
舞踏衝動は動き出す。
「こうべを垂れよ」と少女は言った。
そして、都城は崩れ落ちた。
今となっては神話に近い、歴史の中の一幕だ。
彼女は見た目には普通の少女だった。
「魔王」として知られる前のことである。
見た目には普通の少女だった。
注意深く見なければ認めるのは難しい。その側頭部には削られた角の痕がある。
本来なら、ねじれた角が二本生えていたはずなのだ。
王権の証である角を、少女は奪われていた。
垂れ下がる二本角を失ってなお、彼女は支配者だった。
高度の魔法魔術を持ち、侵略の手を伸ばす帝国にとって、彼女の父は恐るべき王だった。
帝国の文明への服従を拒みながら、先進技術を取り入れるのにためらいがない。
帝国は一度大敗を喫し、大きな恐怖を刻まれた。
諸氏族をまとめ上げる構想を破壊し、王を討つことはできた。
それでも恐怖は醒めない。王の血を引く子供たちが、かの王を想起させる角を持っているのを、帝国人は不穏に思った。時同じくして凶作や洪水が何度かあったのも、不安を掻き立てた。
破った周辺氏族の公子などを帝国であずかるのは当時よくあることだった。帝国が侵略の拠点とした都市で、故郷と大きく変わらない気候のもと、貴種としても貧しくない生活を送り、帝国流の教育を受けることになる。
かの王の娘であるその少女を引き受けて数年がすぎ、諸事情を考慮して帝国人たちは彼女の角を落とすことに決めた。帝国に恨みを抱き、かつそれを晴らす力を持つことはない、と判断したのだ。彼女はその間、「あれが食べたい」「この花がほしい」などと要求することは多いものの、敵意を見せることはなかった。角を落とすことも、抵抗なく受け入れた。
諸氏族は受け入れなかった。
かつて敵対した王、絶やすべき血統とはいえ、そこまでやることはない。
角を王の証とするのは彼女の氏族だけではない。それら王権すべてを帝国は侮辱したのだ。
各々代表者を集めて、姫のもとでの結束を図った。水面下では、誰が彼女を傀儡として操るかをめぐって互いに牽制していた。
帝国側もこのことを見越した上で、足の引っ張り合いを煽り、他ならぬ帝国が彼女に最大の影響力を持つための工作を用意していた。
そのとき誰も、分かっていなかった。
「しかるべき礼をわきまえたか」
砂礫に還ってゆく城壁や楼閣を都城のわきの丘から眺め、彼女は言う。
諸氏族の計画で、また帝国の思惑もあって、各氏族の代表たちと少女とは一箇所に集まっていた。
代表とその従者たちは、そろってひれ伏していた。
臣下としての最敬礼である。
代表はどれも、形式の面で相手を軽んじない程度に、高い地位の者たちである。彼らにここで最敬礼をとる必要はない。事前の取り決めでは、他氏族の公子公女にとる儀礼を丁寧に行なう、としていた。
初歩の下級魔法、〈威圧〉の行使である。
王族としての「形」と、力ある者の面前と規定する「言葉」が魔力となって、それを限られた者だけが発動できる特殊魔法〈王威〉にまで高めていた。
彼らは〈王威〉を受け、平伏させられた。その姿勢が、偶然にも、臣下の最敬礼と一致していたのだ。
「偶然だと言いたい者がいるか? 老朽化した建物が崩れ落ちるとき、たまたま私が思わせぶりなことを呟いていたのか。どうだ?」
問いかける少女に、みなが揃って答える。
「否」
都城が崩れ落ちたのは魔法によるものなどではない。このとき彼女は何もしていない。そして偶然でもない。
ただ彼女は知っていた。
どういった草が土地を劣化させるか。ある作物を育てるときそばに置くべき花は何か。置くと病気を招く花は何か。そのまことの名はどういったものか。川の氾濫時期はいつか。どこのどういう土の状態が規模にどう影響するか。
たとえば周辺氏族への態度について、住民のうちどのような人がどのような考えを持つか。誰が何にどのような不満を持つか。その魔力は何か。何に矛先を向けるか。
進んだ学問を父からも帝国人たちからも学び取っており、土地に固有の事情には彼女の方が詳しかった。
このような知識は水が低きに流れるように当然のことだった。それを破壊に使うのも、砂をいじって水を流す砂場遊びに等しいものだった。結果が出るのに数年というのは上出来だ。
「首を洗って待っておれ。帝国よ。王の角を二本削りとって、石積みの塊一つで済むとは言うまい?」
今となっては神話に近い、歴史の中の一幕だ。
彼女はいつしか魔王と呼ばれるようになり、帝国の威を大きく削ぐ。その戦いは土地の荒廃を伴った。帝国の侵略を退けた英雄は、戦を続け民を飢えさせた暗君でもあった。
この魔王を外敵が滅ぼし、その外敵も滅び、帝国も衰退しいくつにも分裂する。
当時の物品は砂に埋もれ、当時の記録は埃に埋もれてゆく。
掘り出された記憶が語る日々は、物語に彩られる。
かつてそうだったように、そして今そうであるように、物語は絶えず綴られ続ける。
そういう話である。