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18話 秩父観光1

 風呂から上がると、ギンコが配信をしているところだった。


「ということで、今回はこの辺りで失礼するのじゃ。ではな人の子らよ~。さらば!」


 いつもよりもダイブぶりっ子な声色で視聴者に別れを告げ、ギンコは椅子の背もたれにもたれかかった。俺は用心してギンコの配信画面が本当に閉じているのかを確認し、背もたれもたれかかったギンコがまだ映し出されているのを知る。


「あー……一仕事終わった。この後料理か……かったるいのう……」


 いつもの声色でぼやき始めるギンコに、コメント欄が『ギンちゃんの素出てて草』『配信閉じ忘れてますよ~』『ギンちゃんの料理俺も食べたい』と好き勝手言い始める。


「移動生活も良し悪しあるが、移動日はやはり疲れが取れぬのが良くないところよな……外食で済ませるか……? いやしかし、儂以上に疲れてるのがおるからな……」


 マズイ、と俺はギンコの独り言が俺への言及につながりそうな気配を感じて肩を跳ねさせる。コメ欄も『ん?』『ギンちゃんが旅してるのは知ってたけど、同行者がいるのか?』と怪しみ始める。


 俺は慌ててギンコに『配信切り忘れてるぞ!』と忠告しつつ、ハミングちゃんをカプセルから出してギンコに飛ばした。「なぬ?」と俺のメッセを見て眉根を寄せた瞬間に、ギンコの肩へとハミングちゃんが着地し「おわっ! ケージから出たのか」と声を上げた。


「お主、ここについたばかりの時は疲れておったように見えたのに、何じゃ随分元気そうではないか。ん? ふふ、愛い奴よ……あれ、何か表示おかしくない、か。―――ハッ! 配信を切り忘れておったか」


 ギンコは何事もなかったかのように何度か咳払いというか声のチューニングをして「これはうっかり! では改めて、人の子らよ、さらば~!」と今度こそちゃんと配信を切った。


 そして重い沈黙。ギンコは、震える声で言う。


「……コメオ、礼を言うぞ」


「礼には及ばねぇよ。俺だってギンコの稼ぐ金で飯を食ってるくらいだ。炎上したら俺も食いっぱぐれる」


 コメ欄を確認すると『文鳥連れて旅してるのか』『え、今の鳥可愛い~!』『文鳥じゃなくね?』『羽ばたきが高速でハチドリっぽかったけど、サイズが結構でかくなかった?』とすっかり話題が鳥にズレている。


「まぁ、そういう側面も無きにしも非ずではあるが、それでも助かった事には違いあるまい。というか、通知が来る寸前、風呂上がりのコメオに気付いて声を掛けるところであった」


「マジギリギリセーフ……」


 せー……、と二人してセーフのポーズをして、それから胸を撫でおろした。


「つーか、俺が風呂入って出てくるまでで配信始めて終わったのか短いな」


「いいや、小一時間たっぷり雑談配信したぞ? 途中飲み物を取ってくる、と席を外した時に様子を見たが、お前、寝ておったではないか」


 風呂で寝てたのか。危険だから起こせよ、と思ったが、よくよく考えると死に対して何の抵抗もない俺が危険もクソもないな、と思い直して何も言わなかった。


「さて……ではコメオ、一つ相談なんじゃが」


「何だねギンコさんや」


「夕飯を作るのが面倒ゆえ、飯を食いに行かぬか。奢りじゃ」


「行く」


 行くことになった。












 西部秩父駅から徒歩でボチボチ線路沿いに行くと、ちょっと奥まったところに蕎麦屋があった。


「ここ?」


「うむ、ここじゃ。うまいぞ。わらじかつが絶品じゃ」


「何だわらじかつって」


 わらじ……かつ? と思いながらついていく。ギンコは我先に、と店の中に入って、「二人じゃ」と店員さんに示した。おばあさん店員は「あいよ。じゃあそこの席」と不愛想と気さくの境目みたいな態度で席を示す。


「うむ。いや~、この店に来るのも久々じゃな。ウマイぞ、わらじかつは。とんかつを甘辛いたれに浸したものでな。切り分けられておらぬ故、そのままにかぶりつくのじゃ。ここは二枚頼んでもいい。儂は二枚食う」


「ギンコが二枚食う感じなら俺は一枚で十分ってこったな」


「そうか、そうなるな。……二枚の方はコメオが頼んだ、という体で頼むぞ」


「いったい何を恥ずかしがってるんだお前は」


「あとそばも付けよう」


「恥ずかしがりどこ行ったよ。あ、でもそばは俺も食いたい。そのセットで行くか」


 すいませーん、と注文して、待ちの体勢に移行する。ギンコは早くもデザートのページを、目を皿のようにして眺めている。


「気が早くね?」


「バカモノ。こういうのは見ているだけで楽しいものじゃ。ところでコメオ、このはにとーを頼んだら半分食べてくれるか?」ギンコもすっかり食文化が洋風にかぶれたなぁ。


「え゛。デケェよこのサイズは。他のアイスとかで良くね? 女子がご飯代わりに食うサイズじゃん」


「コメオ~……後生だから、分け合っておくれよ~……」


「後生の意味知ってるか」


「来世で借りを返す」


「返ってくる保証はあるか」


「返してるではないか」


「えっ」


「えっ」


 どの「えっ」だよ。


「さっきも言ったけどアイスで良くね?」


「はちみつとあいすの甘ったるさを物量あるとーすとに染み込ませ、胃に大だめーじを与えたいのじゃ」


「大ダメージを与えたらどうなる」


「優勝できる」


「優勝か……ちょっとグラついてきたな」


「ぼでぃーに良いのが入ったようじゃな。優勢は逃さぬ。畳みかけるぞ」


「まだまだ負けんよ」


「はにとーはわらじかつの後に食べるとまさしくふーどふぁいとになる。故に、完食すると勝ったことになる」


「負けたわ。勝ちに行こうぜ。優勝だ」


「すまぬー! 食後にこのはにとーを追加してもらえるかー?」


「はーい!」と店員さん。


 追加で注文。ギンコは注文量に満足したと見えて、メニュー表を隅におき「明日はどこか出掛けるか?」と誘ってくる。


「あー……そうだなぁ。ちょっと心の傷を癒しておきたさもあるし、関係ないことするといい案が浮かぶこともあるしなぁ」


「では長瀞に行かぬか。川下りをしよう。場合によってはそこで分かれて、そのままコメオだけ迷宮に入ってもよい」


「ん、なるほど。ちょっと待ってくれ。調べる」


 ARディスプレイで明日開くダンジョンの入り口を調べる。明日はちょうど長瀞で入り口が開くらしい。


「了解、それで行こう」


「うむ。ああ、楽しみじゃの。川に続く道を挟むようにして店が立ち並んでいてな、食べ歩きにも良い」


「ギンコ、それがメインなんじゃねーの?」


「……バレたか?」


「もろバレ」


 そんなことを言い合っていると、料理が到着する。そのいい匂いにギンコは「おっほ~~~~~!」とバカみたいに喜び、俺は俺でちょっとテンションが上がってしまう。


「やはり疲れた日には肉よな。では、命に感謝して」


「何だそのノリ」


「いただきます」


「いただきます」


 まずカツが二枚乗ってる丼と一枚の丼をトレードしつつ、両手を合わせて一拝み。それから割り箸を口で割って、俺はわらじかつに取り掛かる。


 ギンコの語った通り、なるほどわらじかつは、揚げたカツをそのままたれに付け込んでいるようで、一枚まるまる丼の上に載っていた。普通のそれより色の濃いしっとりした見た目は、タレか染み込んでいる証拠か。


 かぶりつくと、じゅわっと味の付いた衣が俺の口内を刺激した。直後荒れ狂うは肉厚な豚肉の旨み。くぅう、と俺は唸ってから、白飯をかき込む。


 味の濃い料理は、実に白飯によく合う。これは日本人誰しもが頷いてくれる法則だろう。その中で、切り分けられていない、という点が、また豪快でいいのだ。かぶりつき、飯をかき込む。口端を汚しながら一心不乱に食べるこの喜びを、誰が否定できようか。


「うめぇ……」


「うまい……やはりわらじかつはうまい……」


 俺とギンコはお互いの吐息にうんうん頷き合いつつ、視線も交わさないまま食事を続けた。俺はわらじかつを半分食べたところで、ふと気になってそばに箸を伸ばす。


 薬味を入れ忘れていたのでツユに全部入れ、そばを浸してすする。そして俺は、この組み合わせの妙に目を開いた。なるほど。わらじかつ一辺倒だと脂っこくて飽きが来るから、そばに合わせて食べるとさっぱりリフレッシュできるのか。


「ほー……最高だ」


 俺は脂っこくなった口の中をざるそばのさっぱり加減で中和していく。途中漬物なども食べて、口内をデフォルト状態に戻す。そうしてからまたわらじかつに戻る。この肉厚な旨みの虜になっていく。


「たまらぬのう……! 実にたまらぬ」


「うめぇー」


 俺たちは配信者のくせに語彙を完全になくして食に没頭した。食レポなんてする予定は全く無いが。いいんだ。今がこんなに幸せなんだから。


 そうやってわらじかつ丼とそばのセットを完食し、ギンコがまだ食べているのを見つめながら小休憩に入る。蕎麦湯を貰って、少しでも口の中をデフォルト状態に近づけて置く。


 何故なら、そう。俺たちの戦いはまだ終わっていないからだ。


「ん、嬢ちゃんも食べ終わったみたいだね。はいハニトー」


「おおお……! 来たな。はにとー!」


 ギンコがセットを完食した瞬間を見計らって、おばあさん店員はハニトーを机に置いた。目をキラキラさせているギンコに切り分けを一任し、俺は一歩引いて様子を眺める。


 ギンコは慣れた手つきでナイフとフォークを使いこなし、ハニトーを切り分けた。花開くように分割されるトーストの側面に上手いことアイスクリームを分け、ハチミツを掛ける。


「よし……完璧よ。さて食らおうぞ……!」


「さっきに比べて雰囲気に悪さが加わってるな」


「何を言っておるか。はにとーのかろりーは膨大ぞ。つまり罪じゃ。我らは罪を食ろうて咎人となるのじゃ。これが悪でなくて何になる」


「なるほどな(?)」


 俺は自分の分のナイフフォークを使って、一切れ切り取った。食らう。うおお甘い。マジで甘ったるい。トーストに染み込んだアイスの甘さとハチミツの甘さが、噛めば噛むほど出てくる。やば。


「どうじゃ」


「甘い。ウマイ。けど重い……」


「大だめーじか」


「これは足腰揺らぐわ」


「ならばそのまま敗北か?」


「あ? 負けないが?」


 舐めてんの? と睨みつけると、ギンコは満足げに頷く。


「それでこそコメオよ。儂も食べよっと。んー♡ 甘い! うまいのう!」


 ギンコは俺が負ったダメージを微塵も受けていないのか、ぺかー、と晴れやかな笑みを浮かべた。こいつの胃すげーな。こういうときそう思うわ。すげー。


 けど、だからこそ俺だけ沈むわけにはいかないのだ。


「ふー……行くぜ」


 俺もさらに切り分け、トーストを口に運ぶ。うわぁ甘い。まーじ甘い。なんだこれすげー。語彙がすげーしかなくなるくらい甘い。


 甘さに脳が溶かされている感じがある。俺が昼間に打ちのめされたあの悔しさは一体どこに消えたのだろう。俺が風呂場で流した涙はどこへ流れつくのだろう。ハニトーを口にしながら、俺は甘さと諸行無常の中に迷い込む。俺は、俺は……。


「甘ーい♡ いやぁ甘いのううまいのう! コメオもガツガツ食っておるし、やはりうまいものは分け合って食べねばな!」


 はむ。んー♡ と無限の胃袋の強さでただ食を楽しむギンコを見て、俺はハッとする。


「そうか……そうだったんだな」


「ん? なんじゃどうした? 瞳孔が開いておるぞコメオ」


 俺は悔しさとか妙なもので脚色していたが、違うのだ。楽しむ。それをこそ至上として事を為すべきなのだ。悔しさはスパイスでしかない。そうなのだ。俺はダンジョン攻略を、その困難と達成を、そして前人未到の世界最速を楽しむことだけを考えればいいのだ。


「コメオ? 大丈夫か? 焦点があっておらぬぞ? どこを見ておる?」


「ギンコ……俺分かったよ」


「何を分かったんじゃ。はにとーを食べて何を理解したというのじゃ」


「そうだよな。楽しむ。それが一番だよな。悔しさすら楽しめばよかったんだ。うじうじしても仕方ないよな」


「何に対する同意なのかも分からぬし、何ならお前は風呂上りに時点でうじうじしていなかったぞコメオ」


「だからさ……」


「う、うむ。なんじゃ」


「ハニトーは……任せた」


「コメオっ!?」


 ダウンした俺に、ギンコは叫んだ。俺はそのまま、死を迎えた時のように気が遠くなっていった。






 ……その十数分後、胃が諸々を消化してくれて俺は復活し目を開くと、結局八割以上ハニトーを一人で完食して満足げなギンコの姿がそこにあった。


 マジでこいつの胃袋すげーな、と思った夜だった。


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