10話 『旧雑司ヶ谷駅ダンジョン』 試行錯誤
旧雑司ヶ谷駅ダンジョン前にたどり着くと、どうやら先客がいたようだった。
「え、えっと、このデバイスを……、あれぇ、なんでぇ?」
何とも初心者臭い動きで、ダンジョン前の施錠扉を前に右往左往している。かなり年若い少女だ。中学生くらい? 中学生で死にダン挑戦とは強者だな。まるで俺みたいだ。
「どうしたんですか?」
辛うじて社会人を自称する俺は、子供相手でも初対面ならちゃんと敬語を使える大人だ。しかも腰を下げて目線を合わせる。これはギンコに「儂と話すときは目線を下げろバカモノ」と躾けられた賜物だ。これをするようになってから子供に懐かれるようになった。
「え、あ、あの。この先のダンジョンに入りたいんですけど、デバイスが……ぁっ!?」
「分かりました、ちょっと見せてくださいね。んー……あー、なるほど。これ死にダン、つまり危険度4以上のダンジョンに対応してないみたいですね。失礼ですが、お年はおいくつか聞いてもいいですか? ダンジョン用のメンタリティ検査って、子供相手には結構厳しくて」
「ファンです!」
「おおっと文脈今ぶっ壊れたな?」
デバイスから顔を挙げると、キラキラした目で少女は俺を見つめていた。なるほど、この年頃は無鉄砲になりがちだ。俺がそうだったから痛いほどよく分かる。
「あのっ、こっ、コメオさんですよね!? こずっ、コズミックメンタル男チャンネルの! あの、あのあの、ファンです! ファン……」
勢いが途中で死んで尻すぼみになってしまっている。
「ああ、うんうん。ありがとうございます。そっかそうだな。初日の攻略の時点で割れてたもんな場所。しかも市街地ダンジョンなら凸も楽だろうし。これが登録者数一万人の世界か……」
百人くらいで好き勝手してた時とは全く違うな、なんてことを思う。あのときは身バレもクソもなかった。しかも走ってたダンジョンも、フトダンを始めとした森の中のダンジョンだったから、凸るような体力のあるやつもいなかったのだろう。
「いや、ごめんね。俺もちょっとファンに凸られたことなくてさ、ちょっとビビってるというか。えっと、ひとまず握手でもする?」
「はっ、はい! 光栄です!」
少女は俺が差し伸べた手をぎゅっと握りしめて「わ、豆だらけ……」と感動している。こんな汚い手に感動してくれる人が居るんだから、人生分かんねーなーなんてことを思う。
「しゃっ、写真もいいですか! あとサイン! ちっ、チセちゃんへ、とか書いてくれたら嬉しいです!」
「おうおう。すげーなココまで求められると照れちゃうぜ。良いよどんと来い」
言われるがままにツーショットを撮り、それから用意してきたらしい色紙に『※コズミックメンタル男チャンネル』と今一瞬で考えたサインを記す。ついでにリップサービスで『ファン第一号のチセちゃんへ』と書き足すと「キャ――――――!」と黄色い悲鳴を上げた。ここまで嬉しがられるとこっちも嬉しくなってくるな。
「ありがとうございますありがとうございます! 大切にします! 家宝にします!」
「家宝かぁ……恐縮だなぁ。ありがとうね。初凸これだったからちょっと驚いたけど、こっちも嬉しかったよ」
「私こそ! 本当にありがとうございました! じかに接するコメオさんがこんなに優しいなんて思ってませんでした!」
それちょっと複雑ダナー。
「ありがとうございました! またお会いしましょう!」
「うん、またねー」
少女ことファン一号のチセちゃんは、何度も振り返って手を振りながら、立ち去っていった。俺はそれを見送りながら、「ん、また……?」と微妙に引っかかった言葉尻を反芻する。
「……ま、気にすることでもないだろ。おし、やるか」
俺はダンジョン前に振り返る。ARディスプレイから配信を立ち上げる。すでに予告ツイット済みの配信だ。内容は『これからガチ練するin旧雑司ヶ谷駅ダンジョン』。
『ツイットよし!』『練習配信っておもしれーの? 過去のアーカイブ残ってないんだけど』『コメオ毎回恥ずかしがって消すから分かりにくいと思うけど、一番面白いまである』『ズッコケコメオ失敗集だぞ』
「何か開幕ワイワイやってんなおい」
言いながらハミングちゃんをモンカプから解放して、俺はカメラ設置などの作業を済ませる。仮画面を外して「うーす。見えてっかー聞こえてっかー」と手を振ると『画面真っ暗だぞ』『ミュートだぞ』『BGM消せ』『BGM音も音声ボリュームも上げろ』と統一感のないコメントが返ってくる。
「うんうん……。今日もさっぱり正解が分からんな。つーかBGMつけてねぇし。お前らは何を聞いてるんだ」
『音割れしてるぞ』『コメオの後ろにキッシーママいるぞ』『キッシー君が斬りかかってるぞ』『キッシー君が誘ってるぞ』キッシー君一夜にして人気者になったな。
「んー……多分大丈夫だろ。特にいじらずやるぞ」
『すいません、黙ってくれませんか?』
「丁寧に言ってくるから本当に何か調節必要だと思って聞いたらこれだよ」
読んで損したなぁ、と思ったらそのコメントアカウントが『Chise』という名前であることに気が付く。自然連想するのは、ほんの一分前に話したファン一号ちゃんだ。
「……同一人物だったら俺何も信じられなくなるな」
忘れよう。俺は自分に言い聞かせて、「おーし、じゃあ今日の配信の説明をします」と言う。
「今日は連日挑戦してる旧雑司ヶ谷駅ダンジョンの練習会だ。昨日ボス練してキッシー君もキッシーママもある程度掴んだから、今回はそれ以外を重点的に練習していきたいと思う」
『昨日のキッシー君不憫だったな……』『マジで可哀そうだった』『キッシー君が泣いてたりしたら炎上もの』『終始笑顔だったから辛うじて成り立ってた配信だった』
「……」
俺はデバイスで施錠扉を開きながら、確かに昨日はやりすぎたなぁと思わないでもなかった。興が乗って100連戦は流石に馬鹿だった。80回は俺が勝ったし。いやまぁ20回は殺されたからキッシー君側にも成長があったと思うけど。
一日でこんなに死ぬほど骨のある訓練を、ありがとうございます! と言われたときは、嫌味か一瞬疑ったほどだ。でも満面の笑みだったのでホントっぽかったんだよな。でもどっちが怖いかって言うと本当にありがたがってる方が怖い。
扉がやっと開いたので、俺とハミングちゃんはダンジョンに足を踏み入れた。今日は何度も死ぬ想定なので、入り口でリスポン登録してしまう。デバイスがほのかに輝き、俺とこの場と共鳴した。これで準備完了だ。あと配信者の意識が途切れたら終了の機能も停止。
さて、と道の先を見てみると、そこにあったのはエスカレーターだった。例の爆速即死系トラップである。乗ると回転速度が尋常でなく加速し、そのまま飲み込まれて死ぬ。
「じゃあまずはこれの攻略から行くか」
俺が装備を外しながら言うと、『ん? どゆこと?』『攻略も何も、ワナなのは最初から分かってたろ』『あっ、ふーん』『ストイック通り越して狂人だろ。あ、最初からだった』と反応が二分されている。
前者が最近の視聴者で、後半が古参なのだろう、と結構分かりやすい。俺は外した装備品を地面に整理して、エスカレーターに向かった。
「よし、じゃあ早速……行くぞ!」
俺はまっすぐエスカレーターに向けて走り出した。『は?』『いやいや待て待て』と言うコメントの動揺を置いてけぼりにして、エスカレーターに差し掛かる。
俺が足を付けた瞬間に、エスカレーターは恐ろしいほどの速度で回転を始めた。俺は注意していたにもかかわらず重心を崩し、こけ、そのまま階下へと運ばれてエスカレーターの収納される小さな隙間に巻き込まれて死んだ。
「テイク2」
『草』『朝からグロ画像見せんな』『頭おかしい』『ズッコケコメオ失敗集ってこういうことかwww』
コメント欄がまっすぐ進んでまっすぐ死んでまっすぐ復活した俺をして、爆速でドン引きしている。
『攻略ってまさか、回避するとかじゃなく利用してってこと?』
核心をついたコメントに、「ん、その通り」と俺はニヤリ笑う。
「だって爆速で進んでくれるんだぜ。つまりその勢いに乗って進めば爆速で攻略できるってことじゃん。利用しない手はない」
『バカだ』『こんなバカ初めて見た』『コメオって痛覚とか恐怖心とか死んでたりする? RDAプレイヤーってそういう疾患抱えてる人多いって聞くけど』『残念コメオは健常者です』『その方が異常なんだよなぁ……』
「おしじゃあ次行くぜ」
『マジかよ』『草』
俺はエスカレーターに向かって深呼吸。そして駆け出した。
先ほどは足を回転する地面に取られたのが痛かった。つまり、エスカレーターの爆速っぷりについていけなかったのが問題だ。だから今度はついて行く。そのために必要なのは、エネルギーの方向性だ。
『何だよその角度』『アレ、ハミングちゃんカメラの角度ミスってね?』
俺はエスカレーターに足を掛けるなり、体を思い切り前に。地面に対して水平どころではない。頭が足よりも下に来るような角度に倒して駆け出した。
予想通り、超回転をするエスカレーターの横方向のGは尋常ではなく、その速度たるや走らずとも壁立ち体勢を維持できるほど。これならいける! そう思って俺はずんずんと下りエスカレーターの側面を“駆け上がり”、勢いを止められず壁に激突して死んだ。
「テイク3」
『いやマジで頭おかしい』『イカレてる』『アレ、現実世界の死ってこんな軽かったっけ?』『普通ダンジョンで一度でも死んだら、数週間は立ち直れないよ』『これがコズミックメンタル君ですか』
「いくぞー」
『コメント欄に心の準備をさせろ』
俺はまっすぐ走り出し、間違えて上りエスカレーターに足を踏み入れてしまい、自分からコケて上側の隙間に巻き込まれて死んだ。
「テイク4」
『ガバ』『こいつマジ?』
死んでも、ダンジョンから出ない間はローグライク型ダンジョンでも内装は変化しない、というのが通例だ。
だから俺はある程度エスカレーターにめどを付けて先に進むと、横からゾンビが襲い掛かってきた。
「ほらよっ」
俺はそれをサクッとパリィしてロンソで首を刎ねた。「ふー」と息を吐くと、背後から気配。反転。
「あれ、キッシーママじゃない」
そこから現れたのは、ゾンビの大群だった。コメント欄で『あ、俺の時と同じじゃん。やっぱ相手の力量によって対応が変わるんだな』との情報を発見する。
「ってことは、これがデフォか」
大群かぁ。と考える。この手の奴は基本的に走り抜けが定番だが、道が狭いためちょっと突っかかりそうだ。
俺はとりあえず試してみようの精神で、クラウチングスタートの体勢を取る。そして一直線に走り出した。
『この迷いのなさは何なんだ』『コメオのメンタルは今日もコズミック』
体勢低く、俺はゾンビの群れに突入した。狭い道だがすり抜けて走るくらいのことはできそうだ。そう考えするするとゾンビの合間を抜けていくと、一匹が俺の手を掴んだ。
「ぐっ、離せッ!」
拘束を振り払って進もうとすると、次のゾンビが俺の服を掴む。それを払うとさらに他のゾンビたちが。そうやってだるま式に増えていくゾンビたちの大群の手にもみくちゃにされ、身動きが出来なくなる。
「く、くるし……」
呼吸が出来ない。ゾンビたちの密集具合が、おしくらまんじゅうでは聞かないほどの密度と化している。俺は押しつぶされる気持ちの悪さと高まる熱、腐臭で意識を落とした。多分その後死んだ。
「テイク2」
『もう驚かなくなってきたわ』『クソほどグロイしバカだけどなんか癖になってくるな』『コメオのメインコンテンツやぞ』
「俺のメインコンテンツはRDAだよバカ野郎」
好き勝手言うコメ欄に突っ込みつつ、俺はゾンビたちの対処に思考を割く。どうするのが適切なのだろう。
一番いいのは素通りだ。最速クリアを目指す以上、時間を取られない、というのが何よりも尊ばれる。その意味で、素通りとは「存在しないのと何も変わらない」のと同義という事だ。
次にいいのは簡単に一掃できること。倒す手間は発生するが、時短が出来ているということになる。まぁ悪くない選択肢だ。何より一掃するのは楽しいし、RDA中のモチベになるだろう。
最悪なのは一体一体丹念につぶしていくこと。この方法は基本的に、RDA開始初期のダンジョンにしか許されない手法だ。いずれもっといいやり方が出てきて、淘汰される宿命にある。俺はポリシーとして、そんな方法は認めない。
「……一掃は難しくないよな」
俺は無詠唱で用意した土、毒魔法の合成で、油をゾンビたちに撒いた。それから火魔法を射出。着弾。一気にゾンビたちが火の海に包まれる。
『おお、ええやん』『一掃はスカッとするな』『もーえろよもえろーよー』
「んー……」
俺は時間を計測する。火の海が発生してからもうすぐ10秒だ。11、12……ゾンビが倒れ伏し、火の海が消えるまでに、結局20秒近い時間がかかってしまった。
「この方法はなしだな。時間がかかりすぎる」
『ダメか』『火の海殺法は都心には向いてないな』『森とかだとダンジョン全体が焼け野原になるから、時間かかっても収支プラスだったりするんだけど』『環境破壊は楽しいゾイ!』
「となると別の方法が必要だな……お前ら何か無い?」
『ゾンビだろ? 焼くのが定番だったけど、ダメだったとなると……』『真反対のアプローチとして、凍らせるのはどうだ』『風魔法で吹っ飛ばすとかは? ゾンビたちが全員体勢崩すし、走りやすくなりそう』『コメオの魔法性能に関わってくるなこの辺りは』
「俺の属性魔法ゴミだからなぁ……。火とか風はそこそこだけど、水系は本当にダメ。河童系の亜人、俺の顔見たら唾吐くもん」
『嫌われ過ぎだろ草』『まぁコメオ、分類的には陽キャだしな』『ガラ悪いし闇魔法とか親和性高いんじゃね?』『光と闇が合わさって最強に見える』
「俺光も闇もクソ雑魚だぞ。だから概念抽出魔法とか過去再現魔法みたいな親和性ガン無視の最新魔法ばっか使ってんだ」
『ピーキーだなぁとは思ってた』『そういうことだったのね』
コメント欄としばらくやり取りをしながら、色々とゾンビ軍団の対処について模索する。ダンジョン内を散策すると、意外にゾンビの大群と頻繁に遭遇することが分かってくる。
「こりゃ対策必須だな。まだ意見ある奴いるー?」
『こんなのどうよ。ほら、普通属性魔法って無詠唱だけど――――』『道具使うやり方なら、例えば最後の音節って――――――――』
長文コメがいくつか流れてくる。それを一つ一つ試してみながら、俺はダンジョンを進んでいく。
「さて、こまごました検証も済ませたし、これで最後だ。この無限に続くホームくんだな」
『出たわねグロ巨人』『こいつ電車に轢かせるのが最速では?』『あれ以上って難しいよな』
んー、と俺は考えに唸る。唸りながら、とりあえずホームをロンソでグサッとやっとく。巨人が唸り声を上げて立ち上がり、俺は地面へと投げ出された。わー。
『緊張感を持て』『コメオの練習配信マジで死にダンだとは思えないんだよな』『海外キッズ向けグロアニメみたいなノリを感じる』
やってることまんまそれだから仕方ないね。
俺は『着地』でくるっと回転しつつ、巨人へと向き直った。殴ってくるのでとりあえずパリィを決める。拳は砕け、巨人はのけぞっている。隙だらけだなぁと俺は眺める。
「まぁこれが最速かぁ……? 他に何かねーかな」
『過去の最速記録ってどうなのよ』『あ、それ調べた。Dの記録だろ』『あーアイツね。RDA芸人の』
「あー、Dさんね。あの人何やってたん?」
『罠仕掛けてハメてた』『そもこいつって倒す必要のない中ボスポジだから』
「ふーん……。そうか、何となくわかった。つまり無限ホームがあるから擬態を解く必要はあるけど、その後相手にする必要まではないわけだ」
んじゃ楽だな。と俺は独り言ちる。そして、「よし」と決めた。
「了解。お前らサンキューな。これでチャートもある程度固まったわ。明日RDAやるから、見てろよ」
『おお、楽しみにしてるわ』『何時開始? 明日も休日だし見に行くぜ』『時間指定すると現地凸する面倒なファンとか出てこねーか』それもう居た。
「まぁ面倒なファンっつっても俺のことストーカーは無理だろ。物理的にも金銭的にも」
『アドレスホッパーの強みだな』『俺も各地自由に飛び回りてーなー仕事捨ててなー』『やった事あるけど結構しんどいぞ。宿の確保とかで苦労すると心が折れる』『経験者いるじゃん』
「ま、一応安全対策として、ダンジョン入場時間と配信開始時間はズラしとくかな。何時間も張ってるほど熱心なファンは居ないだろ」
『そんくらいすれば十分かね』『まぁストーカーに刺されてもコメオだし』『刺されてもケロッとしてそう』『果たし状送られたら警察いけよ』『そうだぞ。自己解決を図って殺すなよ。コメオが捕まるぞ』
「どういう心配だよ」
俺は少し笑って、それから「んじゃ、今日の配信は終わりだな。後はサクッとキッシー親子捌いて寝るわ」と配信を切った。配信後コメントで『キッシー親子の人権よね』と流れるのを見て、「それはその通り」と呟く。
それから、俺は気ままにダンジョンを歩くのだ。巨人を殺し、キッシー君を相手にし、キッシーママをからかい、ダンジョンを出る。
そして拠点に帰るその道で、空を見上げた。
夕焼け空だった。世界の終わりが来てるんじゃないかってくらい、キレイな空だった。赤々とした光は鮮烈に街角を彩る。
それはさながら、蹂躙のそれだ。
赤は血の色。赤は炎の色。夕焼けはそういう不吉なもののメタファーだ。だから俺は夕焼けが好きで嫌いだった。だって俺は夕焼けのように侵略したり蹂躙したりするのが好きで、そしてそうされるのが大嫌いだから。
それで俺は、自らに言って聞かせるのだ。
「さぁ、世界一位を取りに行こう」
俺は、獰猛に笑う。