二話
短め
ヒロインがデレる
その後、色々と話を聞かされ、彼らはこの地域でよく悪さをする連中であることを知った。
ただ、警察の人と話をしている間、神崎さんはずっと、僕の隣で手を握っていた。
不思議なことに、今朝のように気持ち悪くなることは無く、むしろ気持ち悪いくらいに落ち着いていた。
「書類も書いていただいたので、後は保護者が来てくれるまで待っていてくださいね」
優しそうな、実際優しかった女性警察官がそう言ってその場を後にする。
保護者、と聞いて体が強張るのを感じたが、直ぐに神崎さんが手を強く握って落ち着かせてくれる。
「ねぇ、いっくん」
「…ん」
神崎さんに呼ばれて、ぎこちない返事をする。
前まで、どんな感じで話していたのか、全く思い出せない。そのため、ただ曖昧に返事するしか出来なかった。
「さっき私さ、いっくんのこと、す…、好きって、言ったじゃん…」
花山さんに反論した際、神崎さんは堂々と胸を張って、面と向かって言い放っていた。
「…いっくんはどう?」
「どう、って」
「――しのことは、まだ、すき……?」
先程とは打って変わって、神崎さんは弱々しく自信なさげに言葉を紡いだ。
僕は…、どうなんだろう。
ここで、好きだと言ったら、きっと間違いなく彼女は喜んでくれる。けど、僕は人の好意が怖い。神崎さんから送られてくる好意は、心地良いから、好きだ。
だけど、僕は、今まで向けられてきた好意が全て嘘になることも知っている。
だから、僕の気持ちも、彼女の気持ちも、いつか変わることがある。ましてやそれが、敵意に変わることだって、あるんだ…。
彼女に、神崎さんには…、…みっちゃんに嫌われるのは、嫌だ。避けられたりするかもしれないのは、絶対に…。
「美琴!」「美琴っ!」
「っ!」
答えに躊躇っていると、神崎さんのご両親が心配そうに駆け寄ってくる。
「お母さん!」
繋いでいた手が離れて、神崎さんは彼女の母親の元へ向かう。お母様は、「きちんと連絡しなさい」と泣きつく娘を叱りながらも、慈愛に満ちた表情で娘の頭を撫でる。
「郁人君」
声かけられてビクリと体が跳ねる。
神崎さんのご家族とは、仲違いしたままである。一度謝罪に向かったが、娘を傷付けられた怒りは、その程度では鎮まるはずもなかった。
そのはずだが、お父様は粛々と僕に向かって頭を下げた。
「警察から話を聞いたよ。娘を、庇ってくれたんだってね。ありがとう」
「い、いぇ…、僕は…」
本来ならば非難されるべき立場の僕が、傷つけた相手から謝辞を頂くなんて、いたたまれない。
するとそこへ、先程の女性警察官が近付いてくる。
微妙な面持ちで僕にだけ聞こえる声で、話し始めた。
「鷺宮くんのご両親、お仕事忙しいんだって。行けないって言ってるけど、どうする?」
やはりか。
僕はホッとしている事をおくびにも出さないで荷物をまとめる。
「大丈夫です、一人で帰れます」
「そう、気を付けて帰ってね」
「ありがとうございます、お世話になりました」
そう言って立ち上がると、神崎さん(この場合は美琴)が声をかけてくる。
「いっくんは…」
「一人で帰れるから、大丈夫」
彼女が言い終わる前に、僕は食い気味に遠慮する。一緒に帰る事になんてなって、途中で気持ち悪くなったらどうするんだ。
「今日は車だからね、遠慮しないで送って行くよ」
予防線を張っておいたのだが、お父様は僕の肩を叩く。今日何度目かも分からない吐き気が僕を襲う。
「す、すみません…、お手洗いに…。先に、帰っててください…!」
「あっ、いっくん!!」
その場から逃げ出して、トイレに駆け込む。
駆け込んだはいいが、途中で吐き気は無くなっていた。何もせずに、ただ洗面台に視線を落とす。
「なんで…」
あの時、花山さんに触られた瞬間は酷くおぞましいモノに触れられたかのような気分になったが、お父様に触られた時は、そこまで激しいものではなかった。
それに、神崎さんに手を掴まれた時も。パニックが先行していたからなのかと考えるが、さっきまで手を繋いでいても変わらなかった。
「うぅ…」
手を繋いでいたことを思い出すと、顔が火照るのを感じるが、直ぐに昔を思い出す。
『貴様らの娘が、誑かしたからだろうが! この悪女めが!』
『これ以上娘を貶すならば、今後一切我々と関わらんでくれ!! 警察を呼ぶぞっ!』
「うぉぇ…」
そう言えば、あの時からだった。あの時から、人の機微を感じると吐き気を催したのは。
それから、親が、妹が僕を無視し始めた。
「どうすれば良いんだよ…」
すこしばかりダウナーになりながら、そろそろ帰っただろうと思い荷物を取りに戻る。
「いっくん、帰ろ」
声に反応して顔を上げると、壁に寄りかかって僕の分まで荷物を持った神崎さんがいた。
僕がキョロキョロ辺りを見ていると、心でも読んだのかと思うくらい的確に言い当てられた。
「お父さんとお母さんにはね、先に帰ってもらったよ。二人で帰るから、大丈夫って。いっくん、居心地悪そうだったしね」
クスクス笑いながら言う神崎さんから荷物を受け取りながら、警察署を後にした。
「ねぇいっくん」
人並みの減った街灯が照らす住宅街を歩いていると、神崎さんが僕を呼ぶ。
「いっくんが気分悪くなるのって、私のせい、だよね…?」
「そんっ…なこと、は…ない…」
すぐに「違う」と言いたかったが、何故か口が勝手に動いた気がした。
「うん、そうなんだよ。いっくんは優しいから…。そこに、色んなことが重なったんだよね? …ごめんね」
「っ…!」
違う。神崎さんは悪くない。むしろ、僕を責めて良い立場の人間だ。悪いのは、僕なんだから。僕が、弱いから…。
そう思っても、喉が開かないし、声が出せない。
「だけど!」
神崎さんは、立ち止まって勢い良く声を上げた。
「さっきも言ったけど、私はいっくんが好き。ずっと好き、大好き。前のいっくんも好きだけど、今のいっくんも好き。だけど、いっくんを傷付けた人達を私は許さない。……いっくんの、力になりたい」
いたって真剣な目で僕を見つめてそう話す。
それに対して、僕は首から上を茹でダコのように真っ赤にして頭を抱えていた。
「ぃや、その…、そんなに、好き好き言われると…」
「んふふ。いっくん、好きだよ」
普段ならとっくに吐いているような甘ったるい気持ちを告げられても、今は何故か、羞恥に悶える。
それに、神崎さんは僕の反応を楽しむかのように耳元で囁いてきたりする。
「で、でも、神崎さんのご両親は、その…、僕のこと許して無い、でしょ?」
そう、僕が傷付けたのは彼女だけじゃない。彼女のルーツまでも、僕の親は貶した。なのに、謝罪はしていない。だから、彼女達は僕を恨みこそすれ、好きになる道理は無いのに、彼女は真っ直ぐに好意を伝えてくる。
「私達が許さないのは、いっくんの家族。いっくんの事は、とっくの昔、一人で家に謝りに来た時に許してたよ」
「え……?」
思いがけない情報に僕は唖然とする。
「お父さんなんて、もしいっくんが望んだら、一緒に暮らしてもいい、って言ってるよ」
「うっ、うぅ…!」
自然と、涙が零れた。
神崎さんが、優しく包み込むように抱いてくれる。
「いっくんは一人じゃないの。私がいる。私の家族がいるよ。ね、もう一人で抱え込まないで。私は、いっくんとずっと一緒に居たいよ」
僕は、年甲斐もなく、好きな子の胸の中で盛大に泣いた。
その後、近くの公園のベンチで、辛かった事、嫌だった事を全部話した。
神崎さん…、みっちゃんは時々頷いたり、怒ったりしながら聞いてくれた。僕のために感情を顕にしてくれる存在が、どれだけ有難いのかを知った。
そして、しばらく話し込んだ後、みっちゃんのスマホが鳴ったかと思うと、僕に対してお父様からの電話だったらしく「気兼ねなく、いつでも家に頼って欲しい。君の貰い手が娘なら、嬉しいだろう?」とわざわざ告げられた。
婿養子なら、僕も心配事が無くなるとの算段だろうか。
それなら、と僕は押し切られる形で、家を出る事を決めた。
僕は、荷物をまとめるために、最後に一回だけ家に戻る事にする。みっちゃんは「私が話をつける」と言って聞かなかったが、家の外で待って貰っている。
家に帰ると、ちょうど食事の時間なのか、リビングから雑談が聞こえる。仕事で忙しかったのでは無かったのか。
自分の部屋で手早く必要最低限の荷物をまとめたが、小さなリュックに余裕がある程度しか、入らなかった。もう、この家には、楽しかった記憶は残っていない。それも全部、あの時に捨てられたから。
渡されたクレジットカードと、「今までありがとうございました」と書いた紙を玄関に置いて、僕はもう一度外に出る。結局、月に一万弱しか使わなかったクレジットカード。どうせならもっと使ってやればよかった、と余裕が出た今、そんなことを考える。
「お待たせ」
「もういいの?」
「うん。必要な物は、後から揃えられるしね」
「一緒に買いに行こうね」
嬉しそうに手を繋ぐみっちゃんは笑う。
お世話になる神崎家まで一駅。その間、僕達はずっと相手の手の感触を確かめるように、二度と離さないように何度も何度も握りあった。
神崎家の前に着くと、玄関の明るさが迎え入れてくれるかのように明るく感じる。手を引くみっちゃんをキュッ、と引き止めると、みっちゃんは少し不安そうな顔になる。
けど、これは、これだけは言っておきたかった。
「ありがとう、みっちゃん。僕も…、だい、すきだから…」
「うん…、うん、私も、好きだよ」
言葉で確かめ合うように二人で見つめ合う。
「今度落ち着いたら、さ、あの丘に二人で行こう。そこで、もう一回、…告白するから…っ!」
「うんっ!」
みっちゃんは目じりに涙を浮かべながら、僕の首元に抱きつく。そんなみっちゃんを見て、一生一緒に居たい、なんて思ってしまう。
二人で抱き合っていると、玄関のドアがおもむろに開いて、ご両親が顔を出した。
「玄関先でイチャつかないの。中入ってからにしなさい」
「郁人君の事は全部美琴から聞いたよ。僕達も精一杯フォローするからね」
「はい、これから、お世話になります。よろしくお願いします」
そう言って、僕は神崎家の門をくぐった。
これから、鷺宮家と神崎家の警察を交えた第二次大戦が始まったり、学校で様々なトラブルが起こったりするが、それはまた、別の話である。
[完]