表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見習い女主人の奮闘記  作者: 柳沢 哲
9/13

犬になっても父は父

 祖父との話を終えた頃、ジュードが迎えに来た。その瞬間に数人の子供たちがびしっと背筋を伸ばし、何か恐ろしいものでも来たように、怯えて硬直していた。クレアはジュードを押し出すように、子供たちと別れて家に帰った。

 馬車は来た道をそれて、どこか別の方向へ行く。静かな街並みにクレアはどこに連れて行かれるのだろうかと緊張していると、一軒の館の前で停まった。

「お前に会わせたい人が居る。」

 ジュードに手を取られて、クレアは馬車から降りた。

「叔父様の知り合い、ですか? 」

「お前が子供のころ会ったきりの人だ。」

 屋敷の中は華やかなレストランだった。水槽の中には赤い花のような尾ひれをした魚が泳いでいる。上流階級の紳士淑女が多く、クレアよりも若い子供はいなかった。

 ジュードは二階席に行く。そこは一階よりも席が少なく、座っているのもいっそう落ち着いて貴品を感じる人達だった。

「ニージェス少佐。姪のクレアだ。」

 ジュードはカーテンで仕切られた個室にいる人物にクレアを紹介した。

 座っていたのは白髪の混じったダークブラウンの髪をした紳士だった。彼の背後には護衛らしく、屈強な男たちが控えている。

「クレア、見違えるように美人になったな。」

 髭を揺らしてニージェス少佐が笑った。その顔にクレアはどことなく覚えがあった。

「お久しぶりです。少佐。」

 クレアは恭しくお辞儀をした。

「気を使わなくていい。クレアはまだ名前も言えないくらいだった。」

 優しそうな男性だったので、ほっとした。

「マリアは大丈夫か? まだ伏せていると。」

「義父のそばにいる限りは心配ない。」

 席に着くと食事が運ばれてきた。上品に盛り付けられた食事を見ながら、自分の店でもこんど真似しようと、一皿一皿クレアは見る。

「東国人か。厄介なことをしてくれたものだ。」

 ニージェス少佐はワイングラスを持ってクレアを見た。

「クレアは、自分の出自を知っているのだったな。」

「はい。先日叔父から。」

 ニージェス少佐も知っているようだ。

「我が国の要は貿易。東国の海産物や鉱脈、人材はなかなかに惜しい。ジハンは銀鉱脈も多く、海産物も質が良い。ここで反乱組織にかき回されたくはないのだが。」

 ちらりとジュードに目を向ける。

「穏便に片付けられそうか? 」

「当たり前だ。国が出るまでもない。ゲイシーで片付ける。」

 その答えに満足そうにニージェス少佐は笑った。

「お前も我が国の魔術師なのだがな。」

 ジュードは素知らぬ顔をした。

「ならば良い。王も安心なさるだろう。」

 ニージェス少佐の言葉に、クレアは緊張した。今の母の状態は外交問題に発展する。改めてクレアは自分の立場を知った気がした。

「ところでクレア。込み入っている今する話ではないのだが、考えて欲しいことがある。」

「は、はい。」

 話を振られてクレアははっと顔をあげた。

「我が国の第五王子生誕祭の晩餐会が再来月あるのだが、出てみないか? 」

「……はい? 」

 ぽかんとしたクレアは、意味がわからなかった。

「年頃の貴族の娘が多く訪れるのでな。クレアも来てくれると場が華やぐ。」

「そ、そんな。恐れ多いです。ゲイシー家は伯爵家といえども、私は母と共に酒場を営んでいるだけの娘です。」

 クレアはついジュードを見た。

「そのようなことは気にするな。爵位などあってもなくとも良い。」

こそりとあまり声を潜めずにニージェス少佐は言う。

「王は若い娘が大勢着飾って王子の誕生日にやってくるのが見たいだけなのだ。美しく若い娘であれば、出自はなんであっても良い。」

「ダーキ大佐はツグド街一番の歌姫を連れてくるらしいしな。」

 ジュードが言った。

 ツグド街は内地にある街で、大きな舞台がいくつもある。特に美女の集まる場所だ。

「ニージェス少佐。あんたがドヤ顔したいだけなら、他の娘を探してくれ。」

「そう言うな。あのハゲだけには負けたくな……いやいや、クレアほどの器量の娘がくれば王も喜ぶ。お前もこれほど美しい姪が街の者にしか知られずにいるのは歯がゆくないか? 」

 ジュードはグラスを口に近づけながらクレアを見た。

 どきっとして、クレアは握っていたフォークを落としそうだった。

「そうだな。姉さんに似た白い肌に、小さな顎。義兄に似た艶のある黒髪。」

 ジュードの指がグラスの淵をなぞった。

「二人の良さを混ぜたような、異国情緒ある目元。」

 お世辞なのか、からかっているのか、どちらにしろ聞いているクレアはそれどころではない。

「だから変な男が近づかないように両親祖父周辺全員が近づいたやつを葬っているんだよ。最近一人てのひらを焼いてやったばかりだ。」

 ぐいっとグラスの中を飲み干してジュードは言った。

「晩餐会なんか出してみろ。死人が出るぞ。」

 その言葉でクレアは、周りにいる常連客の顔がよぎった。

「クレア、招待状を送るから、気が変わったら教えておくれ。ドレスも用意するので。」

 ニージェス少佐は残念そうに言った。

 お礼を言い、食事を終えて帰る中、クレアはジュードを見た。

「叔父様は、私が晩餐会に出るのはお嫌ですか? 」

 ジュードがせき込んだ。

「……出たかったか? 」

「いえ、その……でも、私もきちんとした社交場に出る歳だと思いましたので。それに、顔が広いというのは役に立つかと。」

 ジュードは手を組んだ。

「そうだな。姉さんに相談するといい。」

「はい。もちろん。」

 聞きたかったのはそういうことではない。けれど、自分の身を案じてくれる以上の気持ちがあるのかと、想像するだけでドキドキする。

「俺が男だからかもしれんが、姪のお前が他の男にちょっかい出されると腹が立つ。」

 ジュードはなんとも言えない、複雑そうな表情だった。

「子ども扱いしているつもりはないんだが、お前には嫌だろう。」

「そん……なことも、なくもないですけど……。」

 クレアは膝の上でスカートを掴んだ。

「そうじゃなくて、その、なんというか。」

 一人の女性として見て欲しい。

 それをどう伝えていいのか分からず言葉に迷っていると、ふいに馬車の中の空気が変わった気がした。

 顔をあげると、ジュードの首の回りに細長い白い蛇がいた。金色の目には知性を感じる。

「クレア、義兄さんと連絡が取れた。ザックがいる。」

「本当ですか? 」

 ほっとした。

「通信できる。家に帰ったらつなげる。」

 もどかしいなどと思っている場合ではない。今は父と現状の確認をしあわなくてはいけない。

 家に帰るとジュードの部屋に言った。ジュードが壁の上を指でなぞると、壁一面が消え、底から先は外になっていた。

 森なのか山なのか、壁があった場所はぽっかり穴が開き、外が見える。

 暗いのに、人の顔がはっきり見えた。

「お父様。」

 父と同行していた魔法使い、ホランドのそばに黒い毛並みの犬がいた。犬はクレアの声に耳をぴんと立てて、声のする方を見る。

「ジュードか? 」

 クレアが駆け寄ろうとしたが、ジュードが手を取った。

「クレア、そこは壁だ。」

 魔術で投影しているだけで、そこには壁がある。そんなことすら忘れてしまうほど、ジュードの術は優れている。

 ホランドとザック、一緒に旅立った仲間は他にもいるが怪我をしている。彼らの前には縛られた東国人が居た。

「クレアもそこにいるのか? 」

「はい。叔父様といます。」

 ホランドはうなづいて、右手で大きく輪を描いた。今度は相手にもクレア達が見えるらしい。

「クレア。すまない、俺がミスしてヨシユキがこんな姿に。」

 犬はクレアに近づく。クレアもそっと手を伸ばすが、触れ合うことができない。それでも、その目は父そっくりだと思った。

「お父様。なんだかとっても、可愛らしい姿に。」

 アルファやベータと比べて身体が小さい。毛並みもさらさらしている。

 困ったような顔をした犬をホランドが撫でた。

「呪いの解除はできなかったんだが、あと数日でとけることがわかった。でも、下手に家に近づくとクレアもマリアも犬になってしまうので、もう少し待っててくれ。」

 そんなことになったら、いよいよ店が開けられなくなる。

「ありがとうございますホランドさん。父のことをよろしくお願いします。」

挨拶がすんだところで、ザックが捕まえた男に何か言った。男は顔をあげる。ジュードが言っていた反乱組織のメンバーだった。

 男は、眼を大きく見開いた。何か言ったが声がしわがれていて聞き取れない。

 男の声が徐々に大きくなった。

「貴方が生きていて下さったら、スオウは滅びなかった。」

 聞き取れる声ではっきりと男は言った。

「クレアが、亡きスオウの王に似ているので間違えているんだ。ヨシユキの父親にあたる。」

 皺だらけの男の顔は、長い年月を生きた樹木のように浅黒かった。その眼には憎しみとも、悔しさともいえない、強い感情がこもっていた。

「私の祖父……。」

 ぽつりとクレアは呟いた。

「ジュード先生の予想通り、こいつらはクレアを誘拐する隊と先生をさらう隊に別れている。何故か知らないが、先生が犬になっていることも知っていた。」

 ザックが説明するのを聞いて、クレアは顔をあげた。

「ザックさん、その方をひっぱたいていただけますか? 」

 ザックがクレアを見た。

「ひ? え……叩くのか? 」

「はい。お願いします。」

 静かに言うとザックは訳が分からないながらも、男の顔を強めに叩いた。叩かれた男の顔を見て、クレア叫んだ。

「情けない。それでも王に仕えた者ですか。」

 東国の言葉ではないが、怒鳴られていることは伝わるだろう。

「私がいればスオウが滅びなかったというなら、生き残った貴方が何故私の意思を継がない。このような辺境の国まで来て、することは犬や婦女子のかどわかしとは。恥を知りなさい。」

 肩が震えて、眼に涙がにじむ。怒りのせいか、大声をだしたせいか、立ち眩んだクレアの肩をジュードが掴んだ。

「ザック、拷問してでもこっちに来た奴らの居場所を吐かせろ。ホランド、ザックが殺さないように見張っておけ。」

 肩を掴まれた手、背中をささえるジュードの身体から熱が伝わる。

「ジュード、ちょっと待て。」

 ホランドが言うと、父がわんっと叫んだ。

「クレア、頼もしくなったな。安心してマリアを任せられる。」

 父の声が聞こえた気がして顔をあげると、ほんの一瞬だけ、真っ黒な犬がいる場所に、父がいたように見えた。

「……そんなこと、まだまだです。」

 クレアは袖で涙を拭いた。

「お父様、早く帰ってきてくださいませ。お母様はお父様がいないと安心できませんもの。」

 無理やり笑って見せたが、長くは持たなかった。元の壁が映った瞬間、涙が溢れた。

 遠い国の出来事だと、終わってしまった過去のことだと、片付けられない。東国では今も、いなくなった父に縋り、死んだ王を拠り所にしている人々がいるのだ。そして道を誤ったまま走り続ける。

 呪いよりも恐ろしい重なった人の業が、母の命を奪おうとしている。

「クレア。」

 ジュードの手が肩に触れて、抱き寄せられた。

 その瞬間、不安も恐怖も消し飛んで、息が止まった。

「お前も姉さんも必ず守る。義兄さんも無事帰ってくる。」

 言葉が出ずに、クレアはうなづいた。

「はい……信じています。」

 やっと言葉が出た。ゆっくりとクレアから手を離すと、肩に重みがのった。

「ポリー。今日は実体化して見張ってくれ。」

「よろしいですけども。ちゃんと見張っていますよ。」

「お前がそばにいると安心感が違う。」

 ふむっとポリーは納得して言った。

「私が添い寝してあげることなんてめったにないんだから。今日は特別よ。」

「ありがとうございます。」

 ポリーの身体はふわふわしていて、温かかった。 

 子供でもないのにぬいぐるみを持たされたような気持ちで、クレアは寝室に行った。その時、ザックのくれたお香が見えた。

「ポリーさん、寝る前にお香をたいていいですか? 良い夢がみれるそうなので。」

 ポリーはふんふんと匂うと言った。

「いいんじゃない? 私は寝ないけど。」

 外を見ると雨が窓にぽつぽつとついていた。

「海の方は明日は荒れるわよ。」

「ポリーさん分かるんですか? 」

「視れば分かるわ。」

 ポリーは目をこらすように、きゅっと眉間にしわを寄せた

「ほら、冷えるんだから早く寝なさい。」

 ポリーが枕元にいてくれる。

 目を閉じると、頬にポリーが触れて温かく、ぐっすり眠っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ