山奥にある魔術師の屋敷
ゲイシー家は魔術師の家系としては古く、多くの優秀な魔術師が生まれ国に仕えてきた。クレアの母、マリアも魔術師として幼い頃から教育を受けて来た。しかし彼女の才能は平凡なものであり、魔術師として不適合なものではないにしろ、ゲイシー家の中では優秀ではなかった。
マリアが生まれた時にそれに気づいたクレアの祖父、ヘンリー・ゲイシーは西大陸最大の魔術師の集う地、グレイスレークで一人の孤児を引き取った。潜在魔力値が高く、全身に回路を持つ少年で素質も才能も申し分なかった。特に召喚士としての才能は今までのゲイシー家でも並ぶ者はいないほどだった。
魔術師は自分の術を後世に残すことに執着する。自分の血がつながっていることが望ましいが、ヘンリー・ゲイシーは血にはこだわらなかった。孫のクレアはそれに輪をかけて魔術師としての才能には恵まれなかった。魔術師としての才能は、その身に宿る力よりも、魔術を行使するための回路で決まる。クレアの回路はほとんどが閉じていて魔術師としては致命的だった。
魔術師になればもっとジュードの手伝いができたのにと、幼い頃クレアは祖父に相談した。魔術師の中には、無理やりにでも回路を開いてより魔術の強化を務める。
祖父はクレアの頭を筋張った手で撫でて言った。
「お前の身体の回路さえ開けば、その身の内に宿った魔力を使い偉大な魔術師になることもできるだろう。しかし、閉じた回路を開くということは神経と肉を一つ一つつなぎ合わせるより難しい。」
祖父は作りかけの人形を見せてくれた。たくさんの配線が中で絡まり、複雑にネジが組み合わされている。クレアには何がどうなっているのか分からない。
祖父が手をかざすと、人形の腕が外れた。その腕の中に一本一本糸が絡んでいる。細長い繊維の連なりがほどけると、髪の毛よりも細長い線になった。
「この一本一本を繋ぎ合わせるよりもより至難の業。仮にできたとしても、お前の身体がまともに機能しない可能性の方が高い。」
人形の腕が再びもとに戻る。
「魔術師になればすべてを使い魔に世話をさせればよいが、歩くことどころか、寝返りも打てないようなる。」
クレアは震えた。そんな状態で、ジュードの役に立てるのだろうか。
「クレア。お前は魔術師になりたいのか? 」
首を横に振ったクレアを見て、祖父はふふっと笑った。
「それでいい。お前の欲しいものは何か、目的と手段を間違えるんじゃない。」
その日を境にクレアは魔術師になろうとは思わなくなった。蓄えた知識は無駄にならないと思ったので、魔術の勉強は続けた。
馬車に揺られて向かったのは森の中の屋敷だった。大きな門があり、くぐると庭にいる大きな番犬たちがじっとこっちを見ている。真っ黒で足が細く、顎が長い。狩猟犬の血と狼の血を持つ犬で、何十人もの不法侵入者を噛み砕いた。
クレアが馬車から降りると、犬達はだっと駆け寄り、とびかかった。
「久しぶりね、アルファ、ベータ。」
クレアの足元でぴたっと止まり、撫でると犬達は腰を下ろして尻尾を振る。
「おかえりなさいませ、クレア様。」
「ただいま、皆さん元気ですか? 」
幼いころからいる庭師がお辞儀をした。
「はい。マリア様がお待ちですよ。」
クレアは鞄の中から焼き菓子を取り出した。
「友人のところのお菓子です。みなさんで召し上がって。」
もう一つ包みを出した。
「こっちは貴方たちに。お砂糖じゃなくて、お肉を入れてるの。朝焼いてきたのよ。」
アルファとベータはぶんぶん尻尾を振った。
「クレア。」
「はい、今行きます。」
ジュードに呼ばれて扉をくぐった。
屋敷の中に一歩入ると、一瞬肌が泡立った。空気が変わる。屋敷の中が一瞬歪んで見えたが、すぐに元に戻った。
見慣れた柱時計、祖母の肖像画、剣を持った女神の銅像。子供のころから変わらない。
「おかえりなさいませ、クレア様。」
無機質な声がして、無表情な召使が言った。
「ただいま、ゾーイ。元気だった? 」
染み一つない肌に、乱れることのない金髪、同じ顔をした美しい召使たちは、あまりに整いすぎている。
祖父は屋敷の中に家族以外いれない。ここで働いているのは、人間に似せてつくられた機械的に動く人形だけだ。
「はい。先日ご主人様より整備を受けたばかりですので。」
無機質とは思えない質感をもつゾーイたちは、初めて見る人には人間にしか見えないだろう。彼女らは表情が変わらないが、それでもクレアには顔なじみの庭師たちのように愛着がある。
案内されたのは広い居間だ。母はいつもの席に座っている。
「お母様。」
クレアは駆け寄りそうになり、一歩踏み出した足を止めて、祖父に振り返った。
「お久しぶりです、お祖父様。」
祖父のいる場所には行儀良く座った猫がいた。金色の目を光らせる黒猫は瞬きをした。
「一年ぶりか。母の代わりはどうだ? 」
祖父は屋敷を空けてあちこち飛び回っている。クレアも本人には幼いころから数回しか会っていない。動物の姿を借りたり、使い魔を通じてばかりだ。
「日々、己の未熟を知るばかりです。」
猫はひらりと尻尾をふった。
「未熟と思っているのならば良し。多いに知るが良い。」
意地悪く眼が光る。
「お母様、熱は? もう起きて大丈夫なのですか? 」
「大丈夫です。心配かけましたね。」
机の上を歩いて、猫はマリアの前に座った。
「まったく、今回は不運が重なったものだ。」
「そうおっしゃらないで、お父様。」
マリアの細い指が顎を撫でる。猫はごろごろのどを鳴らす。
「呪いの重ね掛け、それともう一つ。マリアはお前の弟か妹を身ごもっている。身体の防衛本能が過剰に出たようだ。」
クレアは目をぱちくりさせた。
「お母様、のお腹に? 確かなのですか? 」
クレアはジュードを振り返った。
「魂の形が見える。性別は分からないが、いる。」
こんな状態でなければ飛び上がって喜びたいが、今は不安の方が大きい。
窓の上から一斉に雨戸が降り、部屋には一瞬暗闇に包まれた。次に明かりがともった時は、机の上にオーフルの地図が現れた。
「マリアへの呪いはこの屋敷にいる限り届かず跳ね返り続ける。つまり、かければかけるほど送り主の命を削り続ける。」
酒場に赤い光の柱が立ち上がった。
「マリアが呪いを受けた日、港に現れた東国人と思われる者は十八人。それから次の船でやってきたのは三人。」
リューイもその中に含まれているのだろうか。
「では、お母様を呪っているのは十八人の中に? 」
「いや。港から来るとは限らん。」
祖父は肉球で山を指した。
「大陸から、山伝いに? 」
「不可能ではない。」
ふむっと祖父は前足で顔を撫でた。金色に光った眼が、ジュードを見た。
「愚息。お前はどこまでその反乱組織の動きを掴んでいる? 」
ジュードの手が地図の上をつまむ。地図は縮小され、大陸が移った。
「東国から反乱組織の数人が船で出た。」
島国の上に人の顔が出て来た。
「この国に入ったところで行方が途絶えた。」
「なるほど、確かに。それはうさんくさい。」
ひらりと尻尾を振って考える仕草をした。
「東国に関しては、私は不得手だ。引き続きお前に任せる。必要な人材は私が用意しよう。」
祖父はクレアを見た。
「クレア、お前をこの屋敷にかくまうのは簡単だ。しかし、困難への対処を学ぶのにじゅうぶんな歳でもある。」
くるんと尻尾の先が曲がった。
「では、私も……。」
「マリアは婿が戻るまでここに置く。今のお前たちは互いに悪影響しか与えない。」
優しく、だが厳しく言った。
「クレア、母や弟、もしくは妹のことは気にするな。なに、マリアが無理に出ようとしても出さない。」
ジュードはマリアに手紙を差し出した。
受け取ったマリアは胸に抱いた。
「ザックが義兄さんのところに向かってる。」
ふむっと祖父は顎を撫でた。
「魔術の腕はからきしだったが、あれは良い拾いものだった。お前の弟子のセオドア、あれも良い。よく見つけてきたものだ。」
叔父は鼻で笑う。
「俺が見つけた時はどうなるかなんか分からなかった。義父がそう言うなら、それはあいつ自身の力で成長したんだ。」
年の近い、二人はとっくに認められるようになっている。クレアは少し悔しかった。
祖父とジュードはまだ話があるので、クレアはマリアと共に屋敷の奥にある寄宿舎に向かった。ここには十二歳以下の子供たちが集められていて、魔術を教わっている。祖父が世界中から見つけて来た身寄りのない子や才能のある子どもたちで、今は十人ほどいる。
ザックとセオドアもここにいた。クレアもここで他の子どもたちと一緒に教育を受けた。
教室をのぞくと肌の色が違う子供たちが並んだ机に腰かけていた。
「皆、ちょっとこっちを見て。」
一斉に子供たちの目がクレアに向く。
「今日はクレアが来てくれたの。」
この前来た時よりも皆大きくなっている。
「お菓子を持ってきました。」
わっと歓声が上がる。まだお菓子で喜んでくれる年頃で良かった。
「マリア先生、もうすぐ帰っちゃうの? 」
クレアが来たことで何か察したのか、年長者のリサが言った。
「いいえ。まだ当分ここにいます。」
ほっとエミリーが笑う。
「リサ、お母様をお願いします。私はお店を守らないといけませんから。」
「はい。」
クレアの言葉にリサが力強く言った。
「リサは一番補助魔術が上手なの。セオドアみたいに良い魔術師になるわ。」
「そんな。セオドア兄さんみたいには、まだまだです。」
リサを見ていると、自分を見ているようでクレアは微笑ましくなった。
「私、この前もザック兄さんの服をはじけ飛ばせちゃったし。」
「そ、え? 」
「服の強化をしたの。そしたら紙みたいに破れちゃって。」
リサは反省しているが、他の子供たちはくすくす笑う。
「きっと次はうまくいくわ。私も、この前失敗したばかりですし。」
「そうなの? クレア姉さんはどんなことがあったの? 」
うっとつまったクレアに、マリアがそっとほほ笑んだ。
「ええ。ぜひ、聞きたいわ。」
目が笑っていない。クレアはしぶしぶ、チェンバー商会の一件を説明することになった。