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見習い女主人の奮闘記  作者: 柳沢 哲
7/13

噂の元凶

 チェンバー商会の件は白紙になったが、それよりもケーク草の新しい移動方法がクレアは気になる。報告すればマリアには叱られてしまうことを考えると、少し憂鬱だ。今晩来るお客の中に商人がいればいいのにと思って掃除をしていると、準備中の店の戸を誰かが叩いた。

「もし、ここでケーク草を扱っていると聞いたのだが。」

 やってきたのは白髪交じりの男性と、銀縁眼鏡の男性だった。

「はい。取り扱っていますけれども、どちら様でしょうか。」

 銀縁眼鏡の男が名刺を差し出す。老舗の薬店、マーニックの名前にクレアは一瞬驚いたが、なるべく気づかれないようにしげしげと見た。

「代理の主殿がいらっしゃるかと。」

銀縁眼鏡の男が言うと、クレアはブローチを強調するように胸に手を当てた。

「私です。」

 銀縁眼鏡の男の口元がひくっと引きつった。

「店の商品に関しては母から任されています。どうぞおかけになって。」

「失礼する。」

 茶髪の男は腰かけた。やや遅れて、銀縁眼鏡の男も座る。

「私は薬屋を営んでいる、ミゲル・マーニックと申す。」

「クレア・ゲイシーです。マーニック店の二日酔いのお薬には、母がお世話になっています。」

 クレアは微笑んだが、ミゲルはくすりとも笑わなかった。

「ケーク草の状態を見せてもらいたい。」

「少々お待ちを。」

 クレアはラツに目配せをして、ゆっくりと去ると駆け足で地下に行った。

 厳重に保管した鍵を開け、しなびたケーク草を慎重にピンセットで取り出し、瓶に入れてまた元通りに戻して駆け上がる。

 純水の瓶と一緒にトレーに乗せて、ふたの付いたコップと一緒に運んだ。

 男たちが見つめる中、クレアはコップに一枚草を落とし、水を注いだ。素早く蓋をする。三秒経つと水の中は赤褐色色に染まり、真っ黒になって草は見えなくなった。

「どうぞ。」

 ミゲルは真っ白なハンカチを取り出して鼻にあて、わずかに蓋をずらして手で仰ぐ。すぐに素早く蓋を締めた。

「いくらで? 」

 待ってましたとクレアはそろばんをはじいた。

「一袋の値段です。」

 銀縁眼鏡の男が身を乗り出す。

「売れるだけ用意してほしい。」

「旦那様……。」

 銀縁眼鏡の男が何か言うよりも先に、じろりと睨むとミゲルは言う。

「一袋ならご用意できます。」

 ミゲルの眉間にしわが寄った。

「ゲイシーさん。それは貴方がすぐに決められるのか? 」

 クレアは小首をかしげた。

「はい。ケーク草の保存から取引、流通まで私が任されておりますので。」

 銀縁眼鏡の男がうさんくさそうにクレアを見る。

「ケーク草は保存が難しい。しかも卸先が限られている。一袋も余分を仕入れるような草ではないのではないか? 」

 クレアはミゲルの目を見つめ返した。

「この一袋分は余分ではありません。」

「ではなぜすぐに売れる。」

「この一袋分はケーク草の状態を確認するためのものです。他のケーク草が売れてしまえば不必要ではあります。」

 ミゲルはクレアの言葉が嘘かどうか気になるようだった。

「いつもならお客様に出さずに、専用の加工場所で処理をお願いして常備薬に使用しています。」

 ミゲルは銀縁眼鏡の男に目配せる。男は鞄から金貨を出した。

「失礼なことを言ってしまった。申し訳ない。」

「いいえ。むしろ疑ってくださって安心しました。」

 ラツがお茶を持ってやってきた。

「あの、私も失礼な質問になってしまうと思うのですが……どうしてここまでわざわざいらしたのですか? 」

 ケーク草は扱いの難しさから、信頼のおける業者としか売買は行わないのが普通だ。いきなり来た店で買うものではない。

「タースの薬草卸業者をご存知か? 」

「はい。それこそ、新しいケーク草の輸送方法が発明されて、金額が今までよりも安くなったと聞いたばかりです。」

 ミゲルの眉間に深いしわが寄った。

「貴方もそこと取引を? 」

「いえ。新しい輸送方法は不安ですのでしばらく様子を見ようとお断りしたばかりです。」

 ミゲルの鼻から深いため息が流れた。

「ゲイシーさん。貴方を若い娘だと最初侮った。申し訳ない。」

「いえ。当然です。」

 ミゲルの目じりが下がった。

「貴方のおっしゃる通り。ケーク草は保存方法を間違えるとたちまち毒に変わる。新しい輸送方法などあるわけない。いい加減な輸送方法で大量に運ばれた。タースの新しい仲買人はそれが分からず、言われるままに大量に買い取った。青々としたみずみずしいケーク草を。」

「そんな! 」

 ケーク草はつみとってもしばらくは水分が抜けず青々としている。それを空気に触れないように特殊な方法で包むと段々しなびていく。その時に流れ出る水分と一緒に毒素も抜けていくのだが、摘んだだけでは毒素がぬけず、逆に空気中の水分を取り込みみずみずしい色のままになる。そうなると毒素の抽出はできない。

「そ、それは流通してしまっているのですか? 」

「まさか。私をはじめ多くの薬屋がこんなものを買えないと皆手を引いた。老舗だが、当分はどこも買い取らない。」

 ほっとクレアは胸をなでおろした。

「よかった。子供や妊娠している人が口にしたら大変ですもの。」

 熱さましにも使われるケーク草は、幅広い年齢層が使う。しかし、毒草になった状態で口にすれば全身がしびれ、歩けなくなったり目が見えなくなったりする。ケーク草が長く流通しなかったのは、保存むずかしさが一番の理由だった。

「チェンバー商会からここを紹介されたが、来てよかった。」

「チ……。」

 クレアは口を押えた。

「あそこはまだ若いが、タースとは違う。貴方もそうだ。我々も負けてはいられないな。」

 ミゲルがやっと笑ったので、クレアはなるべく笑顔を作ろうとした。しかし、確実に目が笑っていなかったと、自分でも思っていた。

 しばらく取引をお願いするという話をして、お見送りをしてからクレアはやりきれない気持ちをどうしていいかわからなかったので、両腕を宙で振った。ラツは、クレアが三歳の時から行っているストレスがたまった時に何も傷つけずに怒りを発散させる方法だと知っていたので、見守っていた。

「あの根性曲がり! 知っていたのです! 知っていて、知っていて……!」

 膝から崩れ落ちるクレアを、ラツが支えた。

「一癖も二癖もある小僧になったなぁ。」

「度し難い悪魔です! 」

クレアはぬいぐるみを握りつぶすような力でラツに抱き着いた。そこへちょうどジュードが帰って来た。

ばっとクレアはラツから離れた。

「おおおおおおかえりなさいませ叔父様。」

 動揺が口から洩れている。

「クレア。」

「はいっ。」

「姉さんの熱が下がった。」

 ジュードの言葉に、クレアは固まった。

「ほ、本当ですか? 」

「ああ。今は安静にしているし、起きて歩ける。」

 ほっとして涙が浮かぶ。

「明日会いに行こう。」

 クレアは大きくうなづいた。

「お祖父様のお屋敷ならお菓子を買っていかないと。」

 ジュードがラツをちらっと見た瞬間、クレアは手を振った。

「あの、ラツさんは、お店にも迷惑がかかるので……。」

「お前なにやったんだ。」

「申し訳ないね。ご婦人たちにこの顔がお菓子よりも甘く見えるらしい。」

 うまいことを言っている。

「ポリーさんもいますし、一人で大丈夫です。」

「荷物が多いだろ。俺が行く。」

 夜の開店時間までに時間がないため、ぐずぐずせずにクレアはジュードと店を出た。

 いつもの道が工事中で通れないため、回り道をした。ショーウィンドウにドレスが飾られた店や、宝石や鞄を展示しているところが多い。

「チェンバーの坊主に泣かされなかったか? 」

「泣かされてません。」

 相変わらずの子ども扱いに、クレアはむっとした。

「ならいい。」

 取り乱した姿を見られてしまった。失態だ。落ち込みかけたクレアは、ふと反対の通りを見た。

 ドレスの飾られた店の前にふわふわとした黒髪の後姿を見つけた。あれは、リューイのところにいたイチだ。

「お一人、なのでしょうか? 」

 ぼんやりと彼女が見ているのはウェディングドレスだ。東国の彼女に意味が分かるのかはさておき、何故か見ている。

 と、彼女に話しかけてきた男がいる。それも二人。柄が悪そうだ。

 珍しい顔立ちだが、可愛い顔をしたイチに対して良からぬことを考えている雰囲気があった。思わずクレアは走った。馬車が来る寸前で通りを渡り切り、イチの手を掴んだ。

「やっと見つけました。はぐれたので、どうしようかと。」

 驚いた顔でイチがクレアを見る。

「宿に帰りましょう。」

「待てよ。今こっちが話してんだ。」

 呼び止められてクレアは見つめ返した。

「あら、失礼いたしました。でも、私たちも急いでいるんです。お話を早く切り上げていただけると嬉しいんですけど。」

 男たちはクレアをじろじろと見る。

「この女東国人だろ? あんたの召使か? 」

 意味が分かるのか、イチが不愉快そうな顔をした。

「いいえ。彼女は私の従兄弟です。」

 クレアはきっぱり言った。

「それで? 彼女や私が東国の者だったら何だとおっしゃるんですか? お話が終わりのようならもう行きますね。」

 立ち去ろうとしたとき、男の手がクレアの肩に一瞬触れた。強く掴む前に、男は叫び声をあげて手を抑えた。

「なんだっ? 」

 男の手が真っ赤に焼けただれ、嫌なにおいがした。

「汚い手で触るな。」

 ジュードがクレアの背後にいた。

 男はジュードを睨んだが、もう一人が言った。

「こいつ、リッチーの腕を腐らせた奴だ。」

 男は腕を抑えながら青ざめる。

「次にこの娘に近づいてみろ。指が全部腐り落ちるぞ。」

 悲鳴を上げて男たちは逃げる。クレアは、噂の元凶を知って呆然とした。

「叔父様。やりすぎです……。」

「ああいうのは徹底的にこらしめておかねぇとすぐ再犯すんだよ。昔の俺だったらとっくに指を全部腐らせてる。」

 イチはクレアの腕を振りほどくとすたすたと歩き始めた。

「イチさん。リューイさんのところに帰るなら、送ります。」

 夜の女の子の一人歩きは危ない。呼び止めようとしたが、彼女はクレアを睨みつけた。

 言葉は分からないが、クレアに対してとてつもない敵意を持っている。

「クレア、その娘は大丈夫だろ。」

「でも……。」

踵を返したイチの上着が揺れて、その腰にささった細い鞘のようなものが見えた。

「できるぞ、あの娘。俺が止めなかったら、あいつら肩から切り落とされていたかもな。」

「そ、そんなに? 」

それはそれで大変な事件が起きていた。

「菓子屋が閉まる。急ぐぞ。」

「は、はい……。」

 せっかく東国の女の子と友達になれるかもしれないと思ったのに、嫌われてしまった。それは、やはり。

「イチさんは、なにか勘違いされてるのかも。」

「あ? 」

 お菓子を買って帰りながら、クレアはため息をついた。

「きっと、私がリューイさんを、その、誘惑したのかと思っているのかもしれません。」

 ジュードは数秒黙った。

「……したのか? 」

「しっしてませんっ。」

 クレアは真っ赤になった。

「良い商人の方ではありますが、お顔もしっかり確認していませんし……それに、私は……。」

 クレアは顔を背けた。

「叔父様は、どうなのですか? 」

「あ? 」

「イレーナさんや、ポリーさんだって、叔父様にめろめろじゃないですか。叔父様が誘惑するからじゃありませんか? 」

 ジュードはしばらく思案して言った。

「両方人間じゃないな。」

「え? 」

「なんでもない。」

 よく聞き取れなかったが、聞き取れない方がよさそうな情報だと感じた。

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