宿敵との対決
キャンティー夫妻は白髪の老夫婦で、いつも仲睦まじい。彼らが来るときはいつもの酒場ではなく、地下の特別な来賓席を開ける。マーサの酒場は昔終戦会談が行われたこともあり、外部に会話が漏れない部屋がある。
「いいアワビだ。フカヒレも上等でかたちがしっかりしている。」
おいしそうにほおばってキャンティーが言った。
「東の商人は増えてきたんだが、いい品を持って来る奴は少なくてな。小さい小さいと思っていたクレアもすっかり立派な女主人だな。」
クレアはワインを注ぎながらほほ笑んだ。
「ありがとうございます。でも、まだまだです。」
キャンティー夫人が孫を見るように言った。
「懐かしい。貴方まだ五つだった。お盆を一生懸命持ってきてね、マリアを手伝っていたの。」
持たせた母はハラハラしていたのを、クレアもなんとなく覚えている。
「うちは息子ばかりだからマリアが羨ましくって。一緒にドレスを選んだり、お菓子を食べに行ったり、男の子は付き合ってくれないの。」
はぁっと残念そうにキャンティー夫人は言う。
「東大陸から来たってことは、他にも食材や漢方を持っていなかったか? 」
話しを変えるようにキャンティーが言った。
「大陸から来た方で、ツバメの巣もありました。新しい顧客を開拓しに来たとのことです。」
キャンティーは白い髭を撫でた。
「そりゃぜひとも引き合わせて欲しいな。ツバメの巣は肌に良いって言うじゃないか。」
夫人にウィンクして見せる。
「買っておけばよかったです。」
まだまだ自分の目利きが足りない。
「そりゃ嬉しいが、無理するなおチビちゃん。ツバメの巣はアワビの何倍も値がはって金と交換するほどだと聞いたぞ。」
「そ、そんなに? 」
さすがに自分の判断では買いかねる。
「そうだろジュード。お前は東国の王族のところで仕事したって聞いたが、どうだ? 」
グラスに注がれた白ワインを飲んで、ジュードは言った。
「ツバメの巣は取りに行った。」
思ってもみない切り返しに夫人もキャンティーも一瞬固まった。
「本当なんですか? 叔父様。」
「ああ。この辺のツバメと違ってあいつらは絶壁に巣をつくるんだ。ロープ一本で取りに行くんだが、湿度が多い場所なんで手や足を滑らせて死ぬ奴が多い。」
ジュードは具体的に説明した。
「な、何故? 魔術師なのに。」
「ツバメが巣をつくる場所に東国のドラゴンが住んでいる場所があってな、現地の奴らが案内するのにツバメの巣を収穫しないと先に進めないって言うから。」
ジュードはふぅっとため息をついた。クレアは空になったグラスにワインを注いだ。
「使い魔を使う魔力がもったいないんで、俺が行った。」
「おいおい、命を惜しまずに魔力を惜しむのか。」
キャンティーの言葉に夫人もうなづく。
「現地の奴らが一生懸命とってるのに、俺が上にも登らずとるわけにはいかないだろ。」
はぁっと納得したように夫人がため息をついた。
「それで、ツバメの巣は食べましたか? 」
「いいや。あいつらの大切な商売道具だからな。代わりに魚や貝を煮た鍋料理を食った。めちゃくちゃ旨かった。」
キャンティーが笑った。
「まぁお前の肌はそれ以上若返ってもしかたがないからな。」
「ツバメの巣そのものは味がないらしいしな。見た目も白い繭みたいだし。それなら魚や貝食った方が良いだろ。」
キャンティー夫人は自分の頬を優しく叩いて言った。
「でも、どうせ食べるなら、お肌にいいものがいいわね。」
その時、食事を降ろすための昇降機の鈴が鳴った。クレアは覗き込んでキャンティー夫人に言った。
「奥様、デザートのジュレでございます。」
「あら。おいしそう。」
鮮やかにフルーツの盛られた皿に、透明なゼラチンと白いものが見える。
「これは? 不思議な食感。」
「クラゲです。肌に良いとのことで、甘めに仕上げました。」
「まぁ。酢の物でしか食べたことなかったけれど、おいしい。」
夫人が嬉しそうなので、クレアはひとまずほっとした。
キャンティー夫妻が満足して帰り、店を片付けた。
「最後のデザートで夫人も満足してくれました。
クレアは笑った。
「そいつは良かった。俺の首が切られるからな。」
「きっ切らせません。」
ソーが冗談とも言えないことを言った。
「そういえば、叔父様ツバメの巣って白いんですか? 」
「俺が見たのは全部白かった。」
クレアはふむっと考えた。
「今日干しアワビを売ってくださった商人の、リューイさんが持ってきたのは赤みがかかってたんです。リューイさんは、ツバメの巣は味がないっておっしゃてましたから、もしかしたら、とりたては白じゃないのかもと思って。」
ジュードはワインの瓶の中身を確認するように見た。
「確かに、とったばかりのはかなり汚れてるからな。まず洗って白くして出荷するそうだ。」
ということは、リューイはとれたてのツバメの巣をもってきたのだろうか。もしかしたら彼も、崖に登ってとっていたのかもしれない。
もう少し色々聞いておけばよかった。
マーサの酒場は多くの人に必要とされる場所ではあるが、同時に敵も多い。祖母も、母も、多くの敵を持ち水面下で戦ってきた。
クレアにも敵はいる。
祖父の友人の息子、オーフルで一番の魔術商品を扱うチェンバー商会で多くの商人が苦汁を飲まされたというキリアン・チェンバー。幼いころから顔を知っているが、彼はクレアの敵だ。いつもなら母が適当にあしらって適当に交渉をしている。しかし母がいない、つまりクレアが対決しなければならない。
「ハイジさん。お願いがあります。」
クレアは朝食が終わると改まってハイジに言った。
「私に、強そうなお化粧の仕方を教えてください。」
ジュードは、強そうな化粧とは、と思ったが口を挟まなかった。
「強い、ですか? 」
「はい。倒すべき宿敵がいるのです。」
クレアの形相に気圧されつつも、ハイジは言った。
「その、敵、とは? 」
「チェンバーの坊主か。」
ジュードが思い出したように言った。
「今日は新しいケーク草の卸業者を紹介すると言っていたのですが、絶対何か、性根の曲がったあの悪魔のことですから、何か罠をしかけているはずです。」
その言葉にハイジは大きく瞬きをした。
「クレア殿。やりましょう。」
「ハイジさん。」
ハイジの目にも闘志が燃え上がる。
「性根のひん曲がった男を正すのは、我ら淑女の宿命。神代からの絶対原則。徹底的に完膚なまでに叩き潰すのです。」
ジュードは、ハイジもいろんな苦労があったのだろうと思ったが、口を挟まなかった。
「戦闘服はどのような? 」
「はい、二つの中から迷っていて。」
クレアは仕立てた交渉用の服を持ってきた。いつもより少し胸元が開いていて、大人っぽいドレスと、いつも通り襟のあるドレスだ。
「クレア。こっちにしろ。」
ジュードが襟のドレスを指して言った。
「こちら、ですか? 」
いつもと同じだ。
「いつものとさほどデザインが変わらなくて。こっちの方が強そうではないですか? 」
クレアがドレスをあてて言うと、ジュードは胸の開いたドレスをそっと取り上げた。
「こっちはあの坊主には勿体ない。」
表情を変えずに言った。クレアの胸に闘志が一瞬で鎮火され、別の意味で顔が赤くなる。
ハイジはすっとジュードとクレアの間に入り、ジュードを押し出した。
「ジュード殿は戦意を喪失させるのでどうぞお引き取りください。」
「あ? 何もしてないだろう。」
「おー引ーきー取―りーくーだーさーいー。」
「ちょ、押すな。こける。」
ジュードが部屋から押し出された。
「ではクレア殿、作戦会議です。」
ハイジの部屋に行き、ドレッサーの前に座らされた。
そこでクレアは、会うたびに嫌味を言われること、子供っぽいと馬鹿にされること、これまでの文句をつらつらとハイジに打ち明けた。
「七歳の頃、叔父様からいただいた天然石の髪飾りを壊されたときに、この男は私の敵だという天啓を受けました。」
そう話す間もハイジはクレアの顔に化粧をしていく。
「なるほど。いわゆる、好きな女子をいじめる、からのこじれを感じますね。少し顎をあげてください。」
ハイジに顎をあげさせられた。唇に筆が触れてくすぐったい。
「最初はどうか知りません。しかし、あの男はそのような可愛らしいものではなく、ただ人が悩み、苦しむ姿を見て愉悦を感じる悪魔です。」
クレアはきっぱり言った。
「ならばクレア殿、その男に喰らわせる鉄槌は一つだけのようですね。」
ハイジは頬紅をそっとぬった。
「貴方が素敵な女性となり、伴侶を見つけて幸せになることです。」
「なっ……そ、それが、何故? 」
ハイジはクレアの髪をほどいてとかしはじめた。
「貴方への感情がなんであれ、執着心がうかがえます。それが他の誰かの手で幸せになっていくというのは許しがたいことなのですよ。おもちゃを取られた子供のように、うろたえ、怒り、嘆くことでしょう。」
「そ……それは、遠い話になるでしょう。」
今のクレアには、結婚という予定はない。そんな予定を立てるためには、まずは両親と祖父に相談、納得を得てからのことになる。
「はい。それまでは貴方はその男が何をしようと、とるに足らないどうでもいいことというように鼻で笑うか、それこそジュード殿のようにため息でもついてやればいいのです。」
きゅっと髪を結い上げて、ハイジはぽんっと肩を叩いた。
「さぁ、できました。クレア殿、お供はいかがいたしますか? 護衛が必要でしょう。」
鏡の前には、少し目元がくっきりとして、いつもより気の強そうな自分の顔があった。少し眉と目元を変えるだけでこんなに変わるのかと、クレアは感心した。
ジュードはなんと言うだろう。少しの不安と大きな期待を持ってクレアはジュードのところに行った。するとジュードは一目見て言った。
「姉さんそっくりだな。」
ハイジがジュードに近づき、顔を掴んだ。
「もっと、しっかり見てください。」
「痛ててててて。」
ラツがほほ笑んでクレアに言った。
「強そうですよ。クレア。」
「あ、はい……。」
何故だろう。望んだことのはずなのに、少しがっかりした。
「ジュード殿。チェンバー商会との戦には誰を共に? 」
ジュードはこめかみをもんで言った。
「ラツが行け。俺は店の結界と情報の確認をする。」
面倒くさそうに言う。
「ジュード殿、逆では? 」
ハイジがじりっと近づくと、ジュードは少し警戒したように距離を置いた。
「俺よりも年季の入った顔のラツの方が初めての業者は信用するだろう。」
ハイジはふっと笑った。
「そういうことにしておきます。」
クレアは、久しぶりに逃げ腰のジュードを見たと思った。
チェンバー商会の指定した場所は高級レストランだ。高級な店は顧客の情報をぺらぺら喋らない。食事にしては早すぎる時間を選んでいるので、ゆっくり食事をというわけでもないだろう。もっとも、緊張で食事はできないだろう。
「クレア、大丈夫ですか? 」
ラツの声でクレアははっとした。
「大丈夫ですよ。ええ。大丈夫ですとも。」
クレアはほほ笑んだ。
玄関をくぐって自分の名前を言うまでもなかった。懐中時計を持った男が待ち構えるように立っていた。
金色の髪をぴっちりと分け、右目には黒い眼帯。染み一つない薄い色の上着にすそまで折り目正しいズボン。一応美男子とは世間では呼ばれているが、クレアはこの顔に思いがけず遭遇すると、台所の裏でドブネズミを見てしまったときのような気持ちになる。それはもう、隣近所の猫を総動員してなんとしても狩り尽したいほどに。
「五分三十五秒早い到着だな、ミス・ゲイシー。」
白い手袋を付けた手が懐中時計を閉じた。
「そんなに僕に会いたかったのか? 」
「おぞましいことをおっしゃらないで。」
クレアの口から本音が漏れた。
「しかし、相変わらずかび臭い格好だ。寄宿学校の女学生でももっと色気のあるドレスを選ぶとおもうのだが? 」
口よりも先に手が出そうになる気持ちを抑え込み、クレアは少しだけ自分の姿を振り返った。
「私、お仕事で参りましたの。それとも、貴方は私のためにそんなスーツを選んでくださったの? 」
くすっと笑うとクレアは目を細めた。
「ご紹介下さるのなら早くお願いします。ご存知の通り忙しい身ですので。」
「個人経営は大変だな。こっちだ。スカートのすそを踏んでこけるなよ。」
ラツがクレアを褒めるように、うなづいた。きっとジュードも同じように褒めてくれただろうと、怒りで我を忘れそうになる気持ちを抑えてついて行った。
奥の部屋には丸々とした中年の男がいた。
男はじろじろとクレアを値踏みするように見た。
「タースの方だ。今回多くケーク草を集めているため声をかけた。」
タースはこの街では一番大きい薬草店だ。直轄の薬草畑も持っている。
「ご紹介にあずかりました、ゲイシーと申します。」
クレアが挨拶をしたが、男は椅子から立とうともしない。
「噂には聞いていたが、ケーク草を扱うには若すぎるな。」
「品質は悪くありませんよ。」
キリアンが言うと男は鼻で笑った。
「それで、どのくらい用意できるんだ? 」
「薬草袋、一袋分ご用意いたします。」
男は顎を撫でた。
「まぁいいだろう。値は? 」
「今年は例年より豊作でしたので、去年の半値になっています。」
男はやれやれと言うようにため息をついた。
「お嬢ちゃん、あんたも商売のまねごとをするならも少し勉強した方が良い。」
馬鹿にするように男は前のめりになった。
「ケーク草が豊作なのは誰でも知っている。あんたは去年の半値以下で買い取ったんだろうが、うちはその半値だ。」
「とおっしゃると? 」
にやにやと笑う男の歯がヤニで黄ばんでいた。
「ケーク草の新しい輸送方法が開発された。おかげで今までよりも大量に安全に運ぶことができる。」
クレアは驚いた。そんな情報母からは聞いていないし、夜に来る商人たちも言っていない。
「その言い値じゃ買い取れないな。」
ケーク草の保存方法が開発されるまで五十年かかっている。安全に運ぶ方法もさらに十年。それをさらに改良したものとなれば大発見だ。
「おっしゃる通り、私の勉強不足のようです。」
クレアはラツを見た。
「今日は帰らせていただきます。」
男は目を丸くした。
「な、あんた交渉の一つもせずに帰る気か? 」
「お話を伺ったところ、交渉の余地はなさそうですので。失礼いたします。」
クレアは椅子から立ち上がった。
「ゲイシー。ケーク草はチェンバーで預かろうか? 保存も手間だろう。」
キリアンが言ったのを無視してもよかったが、クレアはにっこりとほほ笑んだ。
「ご親切にありがとうございます。お断りします。」
お辞儀をしてクレアは店を出た。
「良かったのかい? こんなにあっさりと引き下がって。」
ラツの言葉にクレアはうなづいた。
「はい。損するわけではありませんし。なによりいい情報を得ました。」
店を出てからクレアはおもいっきり伸びをした。仕事は失敗したがすがすがしい。
「お母様も知らない情報です。これは詳しく調査せねば。」
うきうきしたクレアを見て、ラツもほほ笑む。
「ジュードが、クレアを泣かせるようなことがあれば、あの若造の顔をあばただらけにする呪いをかけろと言っていたけど。」
「それはだめです。そんなことに叔父様の魔術を使うなんて勿体ないです。」
ふふっとラツは笑った。
「クレアがにこにこして帰ってきたら、逆にどんな顔をしていいか迷うだろうなぁ。」
「それは、つまり、私少し落ち込んで帰った方がよろしいですか? 」
誰よりもジュードのそばにいるラツが言うのだ。クレアは自分の頬をむにっと押してみた。
「クレアが誰かに泣かされるのは嫌だけど、成長して頼られなくなるのも寂しいと思っているよ。」
そんなことを言われても困る。クレアは早くジュードに信頼されるような、対等に見てもらえるような、大人になりたい。