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見習い女主人の奮闘記  作者: 柳沢 哲
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東国から来た商人


 午後、クレアはジュードと共に母の代理で来る情報仲介者を待っていた。他国からの情報を任せられるような人だ。ラツのように落ち着いた男性だろうか。厳しい人だったらどうしよう。店を乗っ取られるかもしれない。不安と緊張でそわそわしていると、扉の開く音がした。

「失礼いたします。」

 きりっとした声と共に現れた人物は、一瞬後光で顔が見えなかった。

「本日赴任いたしました。アーデルハイド・ロータスです。よろしくお願いいたします。」

 ふちの厚い眼鏡、きっちりと結い上げたダークブラウンの髪、この街でもあまり見ない、内地の軍服。堂々と下げたサーベルは使い込まれているが、磨き上げら鈍い光を放っていた。

「お久しぶりです。ゲイシー殿。」

 女性はジュードに敬礼した。

「まぁ座れ。」

「はっ。」

 座ってもちっともくつろがない、ぴんっと伸びた背筋。クレアは見入ってしまった。すると、こっちに向き直った。

「クレア殿ですね。よろしくお願いいたします。」

 女性的な柔らかい笑顔だ。

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」

 クレアもつられてお辞儀をした。

「今回の任務は伺っております。マリア殿が復帰されるまでの間、しかと役目を全ういたします。」

「じゃあさっそくその目立つ軍服から酒場の女主人になってきてくれ。」

 そうだ。このままでは店が違法営業をして営業停止処分を受けたと思われかねない。クレアはしばらくの間泊まってもらう部屋に案内した。

「あの、ロータスさん。」

「どうぞハイジと呼んでください。」

 にこっと笑う顔は、真面目で好印象を受ける。

「ハイジさん、お店では私はまだまだ見習です。だから、貴方も店主として私を扱ってください。」

「心得ております。マリア殿の名を汚さぬようしっかりと勤めます。」

 はきはきとした返事なのに、不安が増す。

 部屋を案内して、そっと席に戻り、クレアはジュードを見た。

「大丈夫だ。ハイジは七カ国で諜報活動を行っている。安心しろ。」

「う、うん。」

 ジュードのことは信頼しているが、どうしても不安がこみ上げる。

 しかし十数分後、カウンターの向こうから出てきたのは初めて会う美女だった。ふわふわと揺れる髪も、赤い唇も、大きく胸が開いたドレスも、さっきまでのハイジとは正反対で同じ右目下のホクロを見つけるまでは、本当に突然見知らぬ女性が迷い込んできたのかと思った。

「マリア殿はあまり胸の開いたドレスは好まれなかったと聞いていますが、これしか手持ちがなくて。」

 ソーが拍手をした。

「別に姉さんになる必要はない。今まで通り、酒場の女将になってくれ。」

見慣れているのかジュードは特に驚いてもいなかった。

「お任せを。」

 その格好で敬礼されると、奇妙な感じがした。

「いやはや、軍人とは思えないな。」

 ソーが感心して言うと、さっきまで見せていた硬い表情とは打って変わって甘い笑みを浮かべて、ハイジは言った。

「あら、二面性のある女は嫌い? 」

 ソーが撃ち落とされたような顔をしていた。

 クレアは、勉強になる、と奇妙な高揚を抱いた。

「今日はキャンティーが来る日だ。ハイジはカウンターにいてくれ。」

「かしこまりました。」

歓楽街の元締めの名前にクレアは驚いた。

「キャンティーさんが? 結婚記念日でもないのに。」

 キャンティー夫妻は結婚記念日にはここでお酒を飲むのが好きだった。

「俺を訪ねてくる。」

 母の馴染み客は、ジュードとも懇意にしていた。

「食材はなんでもいいと言っていたが、せめて奥方のデザートには見栄えのいいフルーツを用意したい。あいつには角砂糖でも十分なんだが。」

 ジュードは女性と男性の扱いの差が激しい。

「私が行ってきます。昨晩新しい船が到着していますし。東経由の船なので珍しい食材があるかもしれません。」

「ポリーがいるから大丈夫だろう。だが気を付けろよ。」

「はい。」

 クレアは港町に買い出しに出かけた。馴染みの魚屋に行って配達を頼み、八百屋で新鮮な果物を頼んだ。けれどキャンティー夫妻は珍味が好きだ。見慣れない食材がないか歩いていると、珍しい柄の絨毯が見えた。

置いている品物も水晶柱や骨など、一見胡散臭いが良いものばかりだ。東国の香辛料もある。思わず見入っていると、不思議な置物が目に入った。木を彫って作った東国の聖人や女神、クマが魚をくわえている木製の置物もある。

どの像も木彫りなのになめらかで艶やかだ。女神の像はふわりとした柔らかい布の質感が再現されている。

クマはこのあたりにはいない動物だが、本で見たことがある。絵本やぬいぐるみのクマよりも険しい顔つきで目が小さく、大きな魚をくわえている。そこだけ猫のようで可愛い。

「お嬢さん、動物は好きかい? 」

 顔をあげて一瞬驚いた。商人は東国人だった。黒い髪に、黒い目。クリーム色の肌。独特の刺繍の帯にボタンのない服を着ている。顔の半分を隠すように布で顔を覆っていた。

「クマが、魚を食べるなんて知らなかったから、珍しくって。」

 声も、目元も、父に似ていた。よく見れば全く違う、よく聞けば別人、それなのに懐かしさを感じる。

 オーフルでも東国人は珍しい。だからだろう。

「へぇ。このあたりにもクマがいるのかい。」

 感心したようにほほ笑んだ。

「僕は東の大陸から来たんだけど、クマに畑を荒らされることが多くてね。」

 東国の一つだが、父とは故郷が違うらしい。よく見ればまだ若い男性だ。二十代後半くらいだろう。

「日差しが強い場所なのですか? 」

「これは長旅で肌が荒れてしまってね。病気じゃないから安心して。」

 男はちらりと肌を見せる。ただれた頬がわずかに見えた。

「よければなんだけど、この街で外国人から乾物を買ってくれそうなところを知ってるかい? アワビやフカヒレだから、料亭とかでも使えるくらいのなんだけど。この格好で紹介もなければどこも買い取ってくれなくって。」

 クレアは少し考えた。

「本当にいいものなら、私が買います。」

 男は目を丸くした。

「お嬢さんが? 」

「はい。」

 男は少し考えたが、決めたようだ。

 荷物をまとめて店に案内する間に自己紹介をした。

「僕はリューイ。昨日の夜にここに着いたばかりなんだ。」

「東国からお独りで? 」

「連れがいるんだけど、商売には興味がないから港町を歩いているよ。」

 男の上着や荷物からはかすかに潮風の匂いがする。長い旅で染みついたのだろう。

「私は、クレアと申します。母を手伝って酒場を営んでいますので、食材は大歓迎です。」

 店の扉を開けて中に促した。

「東国の方です。干しアワビがあるそうなので見せてもらいます。」

 カウンターにいたソーとハイジに説明した。ジュードの姿はなかった。

「干しアワビか。いいな。」

「リューイさん、大きいのありますか? 」

「あるよ。フカヒレも。」

 ソーとハイジも品物を見に来る。

「こっちは大陸のツバメの巣だよ。」

 赤茶色のスポンジのようなものも出て来た。

「ツバメって、あの軒下に巣をつくる? 」

 見た目は泥や枯草が混じった様なものだが、どうすればこんなになるのだろう。

「大陸のツバメは泥や土は使わないんだ。ツバメの身体から出る分泌物で作るんだよ。」

「それはおいしいのですか? 」

 リューイがうーんと顎を撫でた。

「味はほとんどないんだ。でも、肌に良いので僕の故郷では貴族の娘さんやお姫様が食べているような食材だよ。」

「おっさんばかりのうちにはいらないな。」

 ソーが笑った。

「リューイさん。滋養に良いものはありますか? 風邪をひいた後に食べたりすると、身体に良いもの。」

「あるよ。でもちゃんと適していないと逆効果だからね。どんな症状? 」

「高熱が出て、流行り病らしいのです。今はきっと熱も下がってるはずです。」

 リューイは考えながら黄色の干した皮のようなものを選んだ。

「熱がないならこれかな。ツヅの実の皮を干したものだよ。これをお茶みたいにして皮ごと飲むと身体の調子を整えてくれる。」

「買います。」

 クレアは自分の財布を出した。

「リューイさん、いつまでここに滞在するんですか? 」

 売買を終えてクレアはリューイにお茶を出した。

「しばらくは滞在する予定だよ。」

「今日来るお客様はレストランを持ってるんです。もし食材を気に入っていただけたら、また買わせていただきたいかも。」

「そいつはありがたい。」

 ホテルの連絡先を書いていたところで、夕方の鐘が鳴った。

「もうこんな時間か。急いで帰らないとな。」

 クレアは店の外まで見送った。その時、少女の声がした。怒っているような声で、顔をあげると道の向こうからやってくる。

 ふわふわのくせのある髪の毛をポニーテールにした女の子だった。リューイと同じボタンのない服を着ている。

 東国の言葉だろう。リューイを怒鳴っていた。苦笑いでリューイがなだめる。連れ、とは彼女のことらしい。ここまで探しに来たのか、大変だっただろう。

「それではクレアさん、またごひいきに。」

「ええ。こちらこそよろしくお願いします。」

 リューイはにこやかに帰って行くが、彼の連れ合いの少女はクレアを睨みつけた。可愛い大きな目を吊り上げて、リューイの腕を引いて帰って行く。

 父から聞いていた東国の言葉とは違った。国が違うのだろう。

 見送っていると、ジュードが帰って来た。

「叔父様。おかえりなさい。」

「今、東国人の商人とすれ違った。ここから出たのか? 」

「はい。良いアワビが買えました。もしかしたら、と思ったのですが大陸の人でした。」

 ジュードは何か言いかけたが少し考えてから言った。

「クレア、ポリーがそばにいるがあんまり危険なことはするなよ? 」

「はい。心得ています。」

 扉を開けるといい匂いが漂ってきた。ソーが夜の料理の試作にとりかかっている。

「いい商人だった。ほとんどがゴミみたいな商品しか持ってこないが、いいやつを見つけたな、クレア。」

「いえ。今回は運が良かったです。」

 ソーに言われて、クレアは応えた。

「姉さんは心配性だが、お前は自分で思ったよりもしっかりやってる。」

 ジュードに言われてクレアは嬉しさでにやけないように、腕をつねった。

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