呪われた王
突然足の下が抜けるような感覚がした。落とし穴でも踏んだように、クレアの身体が落下していく。
次の瞬間、クレアは硬い床の上に倒れていた。
「痛っ……。」
足に激痛が走る。その直後、馬のいななきがした。薄暗いところに突然落とされたと思っていると、床が揺れる。屋根付きの馬車の中だ。
さっきまで外にいたのに、潮の匂いすらしない。移動魔術のことがクレアの頭に一番によぎった。腕を掴まれた瞬間発動したということは、彼女はジュード以上の魔術師なのかもしれない。
ごほっとせき込む声に、クレアは顔をあげた。イチと、知らない男がいる。男は鼻から血を流し、息を荒くしている。
母が呪われた日、酒場に来ていた男だ。クレアに触れようとしたので、ザックたちが止めてくれた。
逃げなければとクレアは立ち上がろうとしたが、右足がずきっと痛んだ。
「姫、ご無礼をお許しください。」
クレアの前に別の男が現れた。髭のある黒髪の男は、東国人だ。初めて会う顔だ。言葉はオーフルでも標準で使われる、西大陸の共通語だ。膝をつき、手を合わせてクレアに言う。
「我々は東国スオウの者。貴方をお迎えに参りました。」
どうすればいいのか、クレアは一生懸命考えた。このままでは攫われてしまう。現在進行形で攫われている。隙をついて逃げなければならないが、男も、イチも、警戒している。
クレアはハイジの言葉を思い出した。恐怖でふさがった喉から、無理やり声を振り絞った。
「姫って、どういうこと? 」
クレアの言葉に、男は大きく瞬きをした。
「ご存じないのですか? 」
「だから、どういうことなのですか? 突然、こんなところに連れてくるなんて……い、言っておきますけど、うちの酒場にはたいしてお金はありませんよ? 」
男は大きくため息をついた。
「御可哀想に。貴方は今まで欺かれていたのです。」
クレアは男を瞬きもせず見つめた。
「貴方はスオウの最後の姫君。我らは貴方をお迎えにあがりました。」
我らと言っても、馬車を運転する者、説明する者、警戒する者と三人しかいない。一人はずいぶん具合が悪そうで人数には含まれないだろう。
「スオウ……? 確か、滅んだ東国の名では? 」
「滅んでおりません。スオウの王はまだ存命です。」
男は悔し気に言った。
「スオウの王、貴方の曽祖父にあたるヨシフミ様が再び戻られれば、貴方も姫として城に入っていただきます。」
クレアは驚いた。一族皆殺されていたと思ったが、そんな老人が生き残っていたのか。
「ちょ、ちょっと待ってください。私は、スオウの姫? 」
「はい。お父上にも、今迎えが行っております。」
先日捕まっていた人たちのことだろうか。情報を共有していないのか、クレアを欺くためか分からないが顔に出ないようにしなければと思いながらも、足の痛みで顔が歪んでそれどころではない。
「ならば、お父様だけを連れ帰ればいいではありませんか。純粋な東国人でもない私を、いくら王族の血を引いているとはいえ、民は認めないでしょう。」
男は首を横に振った。
「王の血を持つあなたが必要なのです。我らとともにお帰り下さい。」
どういう意味なのか分からないが、クレアがどうしても必要らしい。ちらりと、イチの顔を見る。彼女は納得いかないような、不満げな顔だ。
「そちらの箱をご覧ください。貴方のために用意したお召し物です。」
クレアは男に警戒しながらも、後ろにあった箱を開けた。中には純白の生地でできた布が入っている。暗闇で輝くようだった。
ドレスではないが、美しい花のような刺繍がされている。ドレスのレースとは違い厚手だが、美しい。イチが見ていたウェディングドレスに似ている。
「……本当に、私は東国の王族なのですか? 」
クレアの問いに男は深くうなづく。
指先で布を撫でて、クレアはうっとりした。
「もう、朝から晩まで酒場で働かなくていいのね。」
なるべく彼らが信じてくれそうな理由をクレアは探した。自分が王族だと知って、浮かれ切った娘の顔で嬉しそうに言う。
「いつ城に入れるのですか? 曽お祖父様はいつ戻られるのです? 」
「貴方と共に戻られます。王もすぐにいらっしゃいます。」
男はクレアが信じかけていると思ったのか、少し警戒が緩んだようだ。
「王は魔術に長けた方。海辺からこの山奥まで貴方を連れてくるのも造作もありません。」
移動の術はかなりの高等魔術だ。セオドアでも条件がそろわなければできないし、失敗すると移動した物体がちぎれるのでめったにやらないという。イチとクレアに移動魔術をかけたのはその男なのだろうか。
これはいよいよやばいかもしれない。クレアはちらりと、せき込む男を見た。
「ところで、どうしてこの方はこんなに具合が悪そうなの? 」
しんっと黙った。
イチはすっと立ち上がると、剣を抜いた。
「イチ、やめろ。」
男が言うが、イチはおさめる様子はない。彼女は東国の言葉で何か言うが、男も東国の言葉で何か言い返す。
雰囲気からして、イチはクレアを疑っているのだろう。
ハイジ曰く、最も敵が油断するときは、相手が自分の扱いやすいものだと感じた時だという。
男は、クレアは姫という身分に目がくらんでいると思っている。しかし、イチにはクレアが今も信用できない存在なのだろう。
具合の悪い男がマリアを呪っている男で間違いなさそうだ。触媒をそろえて返って来た呪いの負担を減らしている。
「この方、母と同じように流行り病なのですか? なら、早くお医者様に診せた方が……。」
イチがクレアに向かって怒鳴った。多分、うるさい、とか、黙れという意味だろう。
男の制止を振り切って、イチは剣をクレアに向けて刺した。クレアの髪が切れ、肩の上に刺さった。すると、悲鳴がきこえた。
「ポリーさん。」
クレアは肩を振り返った。肩に一瞬重みがして、胸の上にポリーが落ちる。抱きとめるが、震えている。
男とイチが怒鳴り合う。クレアの扱いでもめているようだが、それどころではない。
「……このっ人間のくせに。」
ポリーの目がイチを睨んだ。その瞬間、ポリーの背中から真っ黒な影が腕のように伸びた。イチは剣でそれを受ける。馬車を運転していた男が振り返って青ざめた。彼は東国人ではなかった。
「姫、その使い魔を止めてください。」
男が言うが、クレアに止められるわけがない。ポリーはジュードの使い魔だ。
「引き裂いてやるっ。」
ポリーの背中から無数に手が伸びてきて、馬車の屋根を引き裂いた。馬が暴れだし
馬車が揺れて、クレアは痛む足に力を込めて、飛び降りた。
身体が地面にぶつかって、痛みを覚悟した。しかし、痛みはない。飛び降りたつもりだったが、真っ黒な手がクレアを支えていた。
「ポリーさん。」
クレアのそばにポリーがいた。
「怪我は? 痛くないですか? 」
クレアをゆっくりと地面に下ろした。
「痛いわよ。なに、あの人間。近づくまで魔術の反応なんてなかった。」
馬車が停まり、イチが飛び降りた。彼女は走ってきて剣で再び切り付ける。ポリーの手が防ぐが、早すぎて交わされた。
「クレア、ご主人様が来るまでしっかりしなさい。」
クレアは息を吸って足に力をこめる。悲鳴をあげそうな痛みだが、飲み込んだ。
イチが最後の手を避けて、クレアに切りかかった瞬間、別の手が伸びてきた。今度はイチの背丈よりも大きな手で、彼女の身体が吹き飛んだ。
クレアはポリーを守るように抱きしめる。攻撃されるかもしれないと思っていたが、背後から包み込むように抱きしめられた。ふわりと嗅ぎ慣れた葉巻の匂いがして、顔をあげる。
「クレア、怪我はしていないか? 」
ジュードの声に、涙があふれた。
「叔父様……ポリーさんが。」
ジュードはクレアの肩にいるポリーを手に乗せた。
「ポリー、よくやってくれた。」
撫でるとポリーはふわりと消えた。
「痛っ。」
クレアはジュードの胸に倒れ込んだ。
「すみません、足をくじいてしまったようで……。」
目の前にさきほどの男がやってくる。
「西国の魔術師か。」
早く逃げなければと足に力をいれてクレアは立とうとしたが、ジュードに抱き抱えられた。自分の身体なのに、羽のように軽い。水の中に浮かんでいるようだ。
「その娘を渡せ。」
吹き飛ばされたイチが立ち上がり、剣をかまえる。
足手まといになる前に、せめて自分の足で逃げなければとクレアは降りようとするのだが、じゃれつく子猫をなだめるように、ジュードはクレアを抱いて頭を抱き寄せ、頭にキスをした。
「良い子だからおとなしくしてろ。」
それだけでクレアはぴたっとおとなしくなった。
「王家の者に対してずいぶんと頭が高いな。」
冷たく低い声でジュードは言った。直後、男の悲鳴がした。足を抑えて膝をついている。
「王女の迎えにしてはずいぶんとみすぼらしくかつ粗野ではないか? これが東国の作法か。」
男のそばに、黒い影が渦巻いている。男は抵抗しようとしているのだが、ジュードの力に押しつぶされている。
剣をかまえていたイチが咳き込んだ。彼女の唇から、真っ赤な血が溢れた。口だけではない。鼻からも溢れて、ついには膝をついた。
「叔父様! 」
クレアはジュードをとめようとしがみついた。
「俺じゃない。強化魔術を複数重ね掛けされている。この小さな身体じゃ限界だ。」
震えて睨み付けるイチにジュードは近づいた。
「回路をいじるほどじゃないとはいえ、使い捨てる気か。」
近づけばイチの身体の上を細長い光の糸のようなものが巻き付いているように見えた。それが徐々に濁っていく。黒や赤、青、様々な色を混ぜたような不気味な色に足からじわじわと染まっていく。
男はジュードを睨み返して言った。
「その娘はスオウの国の武人。国を取り戻さねばどちらにせよ先もない。」
イチがせき込み、胸に血が滴った。
「だめ。」
クレアは手を伸ばした。
ふわりと地面に降りて、イチの手を取り、背中を抱きしめた。
「叔父様、お祖父様のお屋敷ならば……。」
ジュードは首を横に振る。
「それは呪いじゃない。東国の術で壊死した回路は俺にも義父にもどうにもできない。」
クレアを拒もうとイチの手が強く押した。けれど徐々に力が弱くなっていく。
「姫、どうか東国へいらしてください。」
男が言った。
「王ならばイチを救うことができます。」
ジュードは目を細めて男を睨んだ、その瞬間、男の腕がねじ曲がった。
「ノブチカは大人しく投降した。いい加減この娘を誑かすのをやめろ。」
男がジュードを睨み、東国の言葉で何か叫んだ。
「どうして、こんなに苦しんでまで、私を東国に連れ帰ろうとするんですか? 私がいても、叛逆が成功するわけがないのに……。」
ジュードは口にするのもおぞましいというように、ため息をついた。
「魔術にたけたヨシフミ王はその過程で呪いを受けた。長寿ではあるが、自分の近親者としか子供を残せない。」
「クレア、お前しかヨシフミ王の子供は産めない。」
さぁっとクレアの背筋に冷たいものが堕ちる。男が何か言おうとしたとき、ジュードは指先を下におろした。男の頭が押さえつけられるように、地面にぶつかった。
「顔をあげるな。地面だけ見ていろ。」
クレアは自分の腕を掴むイチを見る。彼女の喉が動き、血が溢れてむせる。
「クレア、その娘から離れろ。」
ジュードの手がこっちに向けられた。クレアは首を横に振る。
「……なら、手を取っていてやれ。」
他に方法はないのか。ジュードなら救えるのではないのか。問いかけようとしても、彼の表情がすべて物語っている。
クレアは地面を見る男を振り返った。イチに見向きもしない。彼女は仲間ではないのか。助けたいとは思えないのか。
むせるイチは苦し気で、どうにかして助けたい。彼女の胸が痛々して、クレアは伏せかけた目を開き、見つめ返した。
「ここにいます。貴方のそばにいます。」
ほっと、イチの表情が和らいだように見えた。