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見習い女主人の奮闘記  作者: 柳沢 哲
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見習い女主人と怠惰な魔術師

 オーフルの街は海沿いにあり、人と品物がいつも大量に行き来する。そのせいか、街の中にも治安の格差がある。南地区は市場が多いため比較的治安はよく、北になると寂れていき、夜は一人歩きができない。東地区は昼夜で治安の格差が激しくなるが、昼は比較的悪くはない。港と地元の商店が多く、戦時中でもここで買えないものはなにもないと言われていた。

 しかし、価値のあるものは簡単には手に入らない。交渉、賄賂、時には暴力で品物のやり取りがされる。



「お嬢さん、無茶言うんじゃないよ。」

 商人の男は、広げた品物の前で煙管をふかした。

 開店していない酒場の店内は薄暗く、明るい日差しが差し込んでいる。

「こんなあったかい場所に住んでるあんたは知らないだろうが、北の方は今年も雪が多くてね。薬草の価値が倍になってるんだよ。」

 痩せた皺だらけの男の後ろには大柄の男がいた。ぎょろりとした目で品物の前にふんぞり返っている。

「貴方、どちらからいらしたの? 」

 男の前に座っていたのは黒髪の少女だった。オーフルでは十五になると多くの者が労働に従事する。彼女の年頃なら商人との交渉などまだまだ、お茶出しするのがせいぜいの年齢だった。

しかし少女は慣れた様子でそろばんをはじき、外見よりも大人びた口調で喋る。

「ケーク草の栽培がされるゴート地区、今年は温暖な気候で薬草は去年の半値以下。ご存じなくて? 」

 後ろの男が唸るが、少女は見つめ返した。

「その途中にあるターラスはひどい雪。無理に迂回せずに通った商人はお気の毒に、荷や馬、命まで落としてしまったとか。」

 ぱちぱちと薄暗い部屋にそろばんの音がした。

「ですけど、それを見越してこその商人。迂回の旅費は物を知らない小娘をだまして巻き上げればいいと、値を釣り上げる方も。」

 ぱちっとはじいて少女は男に数字を突きつけた。

「この値がご不満ならばどうぞ他の店をあたってくださいな。」

頬杖をついてにっこり笑った。

「ケーク草は扱いも保存も手間がかかるので、相応の薬師や保存設備を確保していない店舗でも、丁寧に加工すれば羊の飼料や料理の付け合わせにはなるでしょうし。」

 商人は少女を睨んでいたが、タバコの煙を吸い込んで吐き出した。

「ツック、荷をおろしてやれ。」

 後ろの男が荷物をほどく。男は少女を見てにやりと笑った。

「お母ちゃんからもらう度胸がちと足りないな。指が震えてるぜ。」

 少女は手を抑えた。その言葉が合図のように、カップを持った女性が店の奥からやってくる。

 金髪をした女性は襟の付いた服を着ていて、彼女の胸には雄羊の形をした黄金のブローチがついている。

「まぁ及第点だな。」

「あら、ずいぶん甘くなったこと。私の時はナイフを突きつけたのに。」

 普通のサイズのカップと大き目のカップを置く。大柄な男がいそいそとカップを受け取った。

「女将さんのところお茶が一番うんまいな。」

さっきまでぎょろ目だったのに、タレ目の穏やかな顔になった。

「こいつもやっと連れて行けるようになったと思ったが、まだまだだよ。」

 やれやれという顔で商人はため息をついた。

「クレア、荷物を運んで。それと、あれも。」

 少女は荷物に近づいた。いくつかの包みがあり、その中で一番大きな包みをナイフで開く。出て来た包みは最初の大きさの半分以下だ。

 それを別の箱に移して、店の奥へ運んだ。



 クレアの働く店、マーサの酒場は食事だけでなく特殊な品物も扱う。そのすべてを管轄するのが、母のマリアだ。他の酒場の女性たちは胸元の開いた服を着たり、襟のないドレスで給仕をするが、母は首元まで絞めたブラウスやドレスで仕事をする。

 クレアも歩けるようになった頃から、母を真似してそろばんをはじいたり、料理を運んだりした。

この酒場は、ただの酒場ではない。五十年前の戦時中に祖母が冒険者や諜報員の情報のやりとりをするために建てた店だ。人種も国籍も関係なく品物のやり取りがされるマーサの酒場は密かに噂され、いつしか多くの人がやってくるようになった。

祖母の死後は母が継いで、十年に一度の希少な品物を持った商人がやってきたり、ただお酒を飲みたいだけの人も来たり、知られたら一国が消滅するほどの情報のやり取りがされる。

 荷の取引は任せてもらえるようになった。取り扱いの難しい薬草や魔術用の聖水、この店でも特別な客人しか存在を知らない貴重な商品だ。

けれど、情報の取引はまだ任せてもらえない。少しがっかりしたが、それでも少しずつ自分は進んでいるのだと気を取り直して、荷物をしまった。

地下から戻って台所に寄り、包みを持って戻って来た。話も終わったらしく、商人は帰り支度をしていた。

「お弁当です。あまり日持ちしないので、今日中に召し上がってください。」

 ツックが嬉しそうに受け取った。

「貴方のことだからケーク草の売り場くらい他にも確保してるでしょうけど、娘に付き合ってくれたお礼です。」

 マリアが言うと商人は顎をなでた。

「そりゃ知ってるさ。けどな、俺らみたいなのを店にあげて茶を出すもの好きはここくらいなもんだ。」

 マリアはにこっと笑った。

「あら。私もお茶を出す相手は選んでましてよ? 」

 商人はからからと笑った。

 店に戻ると母はほっとしたクレアに言った。

「クレア。どうでした? 」

「難しかったです。お得意さんでなければきっと荷物をたたんで出て行ってしまったでしょう。」

 マリアは下がったクレアの額に指をあて、グイッと押す。

「こればかりは慣れですよ。」

 父は真面目で誠実で優しくて、隠し事も嘘も苦手な人だった。祖父は酒場を父に任せようとも思っていたようなのだけど、一癖も二癖もある商人たちと渡り合うことができないと早々に悟り、母に任せることにした。

「貴方は私の娘なのだから、自信を持って。」

 母に言われて、クレアはうなづいた。

 荷物の整理が終わると、今度は夜の仕込みだ。料理人のソーがやってきた。昔はいくつもの戦争で武勲をあげた傭兵だが、義足になってからは料理人になったという。刈り上げた金髪の頭には、傭兵時代の名残の傷がこめかみについている。

「珍しい。ラッカの実か。」

 ソーが新しい香辛料を見て言った。

「それは胡椒とは違うのですか? 」

 瓶に入った黒い実は黒コショウにしか見えない。ソーは蓋を開けた。

「水で戻すと花みたいに開いて甘い香りがする。東国の方じゃ果物と一緒に食べるらしい。」

 父の生まれ故郷も東国だ。父は食べたことがあるだろうか。

「食べてみようかしら。お店に出すものなら味を知っておかないと。」

 マリアが言うとクレアは挙手をした。

「私、果物を買いに行ってきます。その間に水で戻せますか? 」

 ソーは無精ひげのあごをなでた。

「俺も良く知らないが、ヨシはすぐ食べれるって言ってたからな。そう長くはかからないだろう。たしか、蜜で甘さを調節するとか。」

「クレア、蜜も。」

 母も興味津々のようだ。

「では市場に行ってきます。」

 買い物かごを持つとクレアは外に飛び出した。

 日暮れ前の市場は夕飯の買い物客が集まっていた。果物を買い、蜜を買おうと乾物屋を覗くが、売り切れてしまっていた。

 二軒目もない。どうしようかと思っていると、ひらめいた。もと来た道を戻って、まだ閉まっている小さな酒場の扉を叩いた。

「ごめんください。ゲイシーのものです。」

 扉の向こうで返事があったので、開けると暗い店内が見えた。

「いらっしゃいクレア。」

 カウンターの向こうには顔を仮面で覆った店主がいた。面には口元にだけにっこりと笑ったような模様が描かれていた。

「お邪魔します、ノームさん。」

 祖母の代からの古い友人で、年齢は不詳。お酒に関する知識は彼から教わったと母は言う。今でも野菜やお酒のおすそ分けをしあう仲だ。

 店内に入ると、からんと氷がコップを叩く音がした。

 閉まっているのに、カウンターに一人座っている。銀色の細い髪は顔を隠すように伸ばし、白く細長い指でコップを握る。

「叔父様。」

 クレアは思わず近づいた。

 銀色の髪の向こうから見えた顔は気だるげで、目の下にクマがある。それでも、日にあたらない肌は透けるように白く、美術館に飾られる石膏像のように整った顔立ちだった。

「昼間からお酒ばかり飲んで。お仕事はどうなさったんですか。」

 叔父のジュードは魔術師だ。彼の指についている紋章入りの指輪は上位の魔術師にしか与えられない冠位を表し、宮廷に招かれることもある。

 ジュードの外見は彼が二十歳の時に停まってしまった。周りの人、特に女性は羨ましがるが、そのせいで初対面の人間に軽んじられることが多く、辟易していると言う。

 魔術師は自ら自分の年齢を停めることもあるが、ジュードは魔術の複合的な作用だという。しかし、精霊の女王にその美貌が愛されたせいだという人や、人魚の姫が恋をして自分の肉を食わせたせいだという人もいる。一番多く言われるのは、ジュードがあまりにも乱暴者なので、死神が恐れをなして寿命を追加しているという説だった。

「ここに来ると朝も夜も夕方もいつもいるじゃないですか。」

 クレアが幼かった頃は、それなりに働いているような姿を見た。しかし、最近は労働のかけらもない自堕落な生活をしているように見える。

「成長すると面倒なこと言いだしたなお前。」

「姪として心配しているのです。」

 ふぅっとため息をつくと、ジュードはコップを降ろした。

「お前にも奢ってやるから座れ。」

 ぽんっと自分の膝を叩いて言われて、クレアは真っ赤になった。

「こっ子ども扱いしないでください。」

 子供の頃は膝に乗せてもらうと泣きやんだ。曲がったへそも直立になった。しかし、いまだにそんなことで喜ぶと思ってもらっては困る。

「クレア、今日はどうしたんだい? 」

 ノームに言われて、クレアは自分の使命を思い出した。

「あの、蜜を売っていただけないでしょうか。」

「蜜? ちょうど処分に困っていたのがあるからあげるけど、どうしたんだい? 」

「ラッカの実の味見をするのです。」

 クレアが言うと、ノームは少し考えた。

「ラッカの実ならラム酒があったほうが良い香りが出そうだ。」

「ノームさん、食べ方をご存じなんですか? 」

 クレアはカウンターに手をついて言った。

「おい、子供に酒をすすめるな。」

「もう子供じゃありません。叔父様は早くお仕事をしてください。」

 ノームは瓶に半分ほど残った蜜を出した。

「花が開くまで水に浸けて、蜜は染みるくらいに。最後にラム酒を一滴落とせば貴族のディナーに出てくるデザートになるよ。」

「ありがとうございます。」

 カウンターに空になったバカラを置いて、ジュードが立ち上がった。クレアの目の前で包まれた蜜の瓶を持ち上げた。

「転んで割らないように持って帰ってやる。」

「転びません。」

 いまだに子ども扱いされる。

 クレアの家は魔術師の家系で、代々その術を継いできた。母は魔術師に向いていなかったため、祖父は他に弟子を育てた。ゆくゆくは婿養子として迎えるつもりだったらしいが、母は父と出会い結婚し、クレアが生まれた。そのため、祖父の弟子だったジュードはそのまま養子となった。

 幼かったクレアは、どうして結婚しなかったのか尋ねたことがある。好きな人同士は結婚するものなので、父よりも先に出会っていたジュードのことが好きなら、母はジュードと結婚するのが当然なのではないか、という子どもながらに思った疑問だった。

 すると母は笑い、ジュードはどう説明していいか分からないという顔をした。

「クレア。人を好きになるというのは、色々な形があるの。」

 母の説明は幼いクレアにはさっぱり分からなかった。

 今ならクレアにも分かる。家族に対する愛情、友人に対する好意、仕事仲間に対する信頼。どれも好き、という気持ちがあるが、結婚をするという愛情とは形が違う。

 クレアの好きの形は変わってしまったが、ジュードは昔から変わらない。相変わらずぬいぐるみを渡せば喜び、お菓子をあげれば機嫌がなおり、膝に抱けばなだめられると思っている。可愛い姪っ子への愛情は、少し歯がゆい。

 酒場までの道は夕焼けで染まっていた。広場を通った時、旅芸人が花をまいていた。玉の上に乗った道化師がくるくる踊り、ヴァイオリンの音が軽快に響く。妖精のような姿の踊り子がひらひらハンカチを揺らすと、花束が現れた。

「俺なら獅子を出せる。」

 見ていると何故かジュードがはり合った。

「そんな物騒なものを出さないでください。」

「昔は喜んでいた。」

 幼い頃、ジュードのコートをめくると動物が出て来た。ウサギやオウムのような小さなものから、鹿や獅子まで。幻覚の魔術なのか、それとも使い魔なのか分からないが、クレアは不思議なそのコートが大好きだった。

「もう、子供じゃないからです。」

 そう強く言って、顔を背ける。

 自分は成長したし、酒場に来る人も母に似ていると、立派になったと言ってくれる。けれど叔父の中ではずっと、小さなクレアのままなのだろう。

酒場に帰るとマリアがジュードを見て言った。

「あら。二人そろって珍しい。」

 ジュードが蜜を置いた。

「ノームから。」

「蜜がなくて、ノームさんのところにお邪魔したんです。」

「じゃあお礼しないと。」

 台所からかすかに甘いにいがする。ラッカの実が花開いていた。

「一緒にいかが? 」

 母が言うとジュードは首を振った。

「今日は忙しい。今度酒でも飲みに来る。」

 コートを翻して帰るジュードを、クレアは思わず追いかけた。

「あの、ありがとうございます。瓶を持っていただいて。」

 ジュードがクレアを見下ろした。黙っていると怖いくらいに端正な顔は、見下ろされると圧迫感を感じる。

 ジュードの指が伸びて、クレアの頬に触れた。びくっと震えると手が離れた。手には、紙の切れ端がついていた。さっきの旅芸人の花びらだ。

「店に出る前に鏡みろよ。」

 恥ずかしさと悔しさで真っ赤になったクレアを置いて、帰って行った。

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