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ナディア・アルダートン

 結局侵入者は見つからなかった。仕方なく王子の寝床のそばにエミール率いる第二分隊も呼び寄せ、警戒を強めることで対処した。さすがの王子も、これには文句をつけなかった。


 スヴェンは寝ずの番を申し出たのだが、いざという時に役に立ってもらわなくては困るという王子の言い分から、少し眠らせてもらうこととなった。

 しかし与えられた部屋で、柔らかなベッドに身を横たえても、全く眠れそうになかった。気付いてしまった侵入者の正体が、スヴェンの脳裏をぐるぐると駆け巡る。


 ナディア・アルダートン。


 彼女は、スヴェンの幼馴染の一人であり、今では飲み仲間だった。スヴェンと一緒に軍の学校に入学し、ほとんどの時間を彼女を含む四人で過ごした。

 クリスより色素の薄い茶色い髪は、軍人なのが不思議なくらいに艶やかで、学生のときは、学校の規定で短くしなくてはならないことに、不満を漏らしていた。その反動か、軍人の仕事には邪魔でしかないだろうに、今は長く伸ばしていたはずだ。


 彼女の大きな藍色の瞳は人懐っこくくるくる動き、整っている上に愛嬌のある顔立ちをしていた。特に年配の男性教師からの評判が高くて、色々と利用させてもらったのを覚えている。


 ナディア自身も、優れた己の容姿を武器として捉えていた。どんな才能も磨けば武器になるのだと笑って、またその容姿を保つのにそれなりに苦労していることを、こっそりと明かした。あんただって、磨けば光るのに。そう言ってスヴェンの顔をぐりぐりと弄った。


 スヴェンたちは軍学校を卒業すると、それぞれの道に別れた。スヴェンは騎士に、ナディアはウィロン教の聖騎士に。


 ウィロン教はオルトバーネスでも最も信仰者の多い宗教の一つであり、世界二大宗教の一つだ。彼女はその協会の聖騎士の中でも、最も戦闘能力に秀でた十数名だけが所属する、「神の裁き」と呼ばれる部隊にいた。これは神敵を排除することを神命とする割とやばい組織で、正直なところ、信仰心に厚いとは言い難いナディアが所属できるような部署ではない。


 一般には知られていないが、この場合の神敵とは、魔素に侵され正気を失った人間や、アンデッド等の魔素の塊の他に、教会上層部の人間にとって不都合な人間も含まれる。つまり「神の裁き」の裏の顔は、暗殺者集団だ。

 そのナディアが、王子の部屋に忍び込んできた。それはつまり、王子が教会から神敵の認定を受けたことを意味する。


 スヴェンは頭をかきむしりたい気分だった。王子の悪い評判は、極力一般国民の耳に届かないように厳重に扱われていたが、教会の情報網がそれを聞き逃すとは考えられない。とうとう教会は、王子が国を担う器ではないと判断し、強硬手段に出たということだろう。


 いつかそんな日が来るかもしれない。そんな予感がないではなかった。だが実際に目の当たりにすると、事態の重さに目眩がする。


 ナディアは優れた聖騎士だが、所詮は教会の子飼いにすぎない。スヴェンが王子の命令に従っているのと同じで、彼女の行動も教会の命令によるものだろう。つまり彼女を退けたとしても、残りの十余名の暗殺者が王子の命を狙う。

 いや、それだけではない。こうなった以上、王子の敵はウィロン教そのものだ。世界でも最も力のある組織の一つが、秘密裏にとはいえ王子の命を狙うのだ。厄介なことこの上なかった。


(……いや、まあ、それは今更か)


 もともと王族には敵が多い。オルトバーネスの長い歴史を紐解けば、明らかに暗殺と思われる不自然な病死を遂げた者も少なくないし、直系男子の血が途絶え、女王が即位した例もある。王族の血筋など、どうしたって暗殺とは切っても切り離せない。

 正体不明の敵より、相対するには余程いい。


 だがスヴェンには、もう一つ懸念があった。


(王族の暗殺は、企てただけで死刑になる)


 それは教会の命令で動いていようと同じことだ。スヴェンが、あるいは君影隊の誰かがナディアを捕まえたら、ナディアはろくに裁判も経ずして死刑になる。


 スヴェンは仕事の鬼だった。王子がどれほど馬鹿王子でも、その命令に背いたことはないし、王家に仕えることを誇りに思っている。その王家に反逆するような暗殺など、許せるはずがない。

 しかし、スヴェンにとってナディアは、もう半ば家族のようなものだった。他人に問われれば、手のかかる妹のようなものだと答えるだろう。


 ナディアは孤児だった。そんなナディアをスヴェンの両親や姉たちが喜んで招き入れ、彼女は幼少期の半分を孤児院で、もう半分をスヴェンの家で過ごした。

 そのナディアが死刑になるようなことを、果たして自分は受け入れられるのだろうか。どれほど感情を押し殺しても、いざとなった時に刃が鈍るかもしれない。


「くそっ。ナディアの奴、面倒なことしやがって」


 小さく毒づく。

 夜が明けるまで。スヴェンは自分で期限を設けた。


 夜が明けるまでに結論を出そう。そして一度決めたら、心を殺すことになろうと、命を捨てることになろうと、それを貫き通すのだ。










「おはようスヴェン、いい朝だね!」


 王子のテンションの高い声に叩き起こされ、スヴェンはようやく微睡みかけていた意識が浮上させられるのを感じた。

 どうでもいいが、いや、よくないが、眠っているスヴェンを起こさずにここまで近づくとか、王子のスペックは無駄に高い。いくら敵意がなかろうと、クリス相手でさえ部屋に入ったあたりで気付くというのに。今度鍛え直そう。


 瞼を抑えて俯くスヴェンを、王子が覗き込んでくる。


「あれ、あんまり眠れなかったのか?」

「……少し考え事をしていたので」


 スヴェンは窓の外を見た。まだ薄暗い。スヴェンが寝坊したわけではなさそうだ。

 太陽よりも早起きしたらしい王子は、身支度も完璧に済ませていた。表情から察するに、ぐっすり眠れたらしいが、なんで命狙われた直後に熟睡できるの?


「もしかして昨日のこと気にしてる? あはは、何を今更。王族に敵が多いのは今に始まったことじゃないじゃないか」

「王子は少し気にしてくださいよ……」

「平気平気。どうせ組織だったものじゃないって」

「……だといいんですが」


 そう答えるより他なかった。スヴェンが侵入者の正体を知っていることを悟らせてはいけない。


「ところで、何かあったんですか? こんなに早くに」

「いや。目が覚めちゃったから、もう起きようかと思ってね。下に降りる途中にスヴェンの部屋があったから寄っただけ」


 ただの迷惑行為だった。


「さあ、朝食にしよう。スヴェンも早く下においで」


 王子は楽しそうにスヴェンの部屋を出た。どうやら本当に用事などなかったらしい。しばらくすると軽快な足取りで下に降りる王子の足音が聞こえてきた。スヴェンは小さくため息をこぼす。


「……起きるか」


 なるべく王子のそばを離れるべきではない。いつどこでナディアが襲ってくるかわからないのだ。

 王子は死なせない。ナディアも死なせるつもりなどない。それが一晩かけてスヴェンが出した結論だった。


「必ず俺の手で、秘密裏にあいつを捕らえる」


 困難なことだった。ただでさえ強いナディアを、王子や君影隊の力を借りずに、また彼らに知られることなく捕らえなくてはならない。だがスヴェンは、あえてその荊の道を選択した。それができれば、王子とナディア、どちらのことも救えるはずだ。


 スヴェンが下に降りると、既にかなりの隊員が起きて周囲を警戒していた。スヴェンの代わりに、深夜から早朝にかけて部隊を指揮していたクリスは、今空き部屋で仮眠をとっているという。


 王子のそばで、困った様子で何か話し込んでいるのはエミールだ。エミールは軍人の割に気が優しく、民間人からの好感度は高いのだが、王子のわがままに強く反論することが苦手であった。


「王子、どうにか考え直してもらえませんか……」

「いやだ」

「そこをなんとか」

「ぜったいいやだ」


 スヴェンが近づいてくることに気づいたエミールが、こちらに垂れた茶色の目を向ける。そばかすの多い顔が安堵の色に染まった。


「隊長、よかった。隊長からも言ってください」

「……何を揉めてたんです?」


 王子に向けて問いかけると、王子は湯気の立つコーンスープを一口すすり、盛大にため息をついた。


「エミールが王都に帰れって言うんだ。冗談じゃない。僕は兄上のお墓参りに来たんだよ。これからだっていうのに、戻れるわけがないだろう」


 珍しく王子の目が笑っていない。どうやら本気で怒っているようだ。


「ですが王子、昨日の襲撃のこともあります。一度戻って体勢を立て直してから、改めてナサニエル王子にご挨拶するというのも、良いのではありませんか?」

「それ本気? 僕のスケジュールをどうやって空けるんだよ。

 スヴェンが全部やってくれるならいいよ。ハドルストーン家とかアルダイラ家とかとの約束を反故にしてくれるんだね?」

「それは……」


 言葉に詰まるスヴェンを見て、王子はふんと鼻を鳴らす。ハドルストーンもアルダイラも、オルトバーネス屈指の名家だ。いくら王子といえど、簡単に約束を反故になどできない。


「そもそも、君影隊は僕の護衛隊なんだよね? 例えばさ、今ここにスヴェンとクリスしかいないから、人数が足りないというならわかるよ。けどね、理由はあえて聞かないけど、ここには第二分隊がいる。

 とりあえず、賊は捕まえなくていいよ。僕の身だけ守ってくれれば。

 ……ねえ。聞きたいんだけど、君たちは十一人も揃っていながら、最低限の警護もできないのかな?」


 僕何か間違ったこと言ってる? そう問いかける王子に、スヴェンは返す言葉を持たなかった。たしかに、守る相手が王子一人で、賊を捕らえなくても良いと言うのなら、分隊一つでも十分に守りきれるはずだ。というか、それができなければ王子の護衛隊など名乗れない。


「僕は今日、兄上のお墓参りをするよ。いいね」


 王子は不機嫌そうに言い放つ。今回のことばかりは、王子のわがままというわけでもない。


「……わかりました。その代わり、勝手に何処かに行ったりしないでくださいよ」


 はいはい、と適当な相槌を打って王子は朝食の続きをとり始めた。信用ならない。

 諍いがひと段落した頃になって、クリスが大あくびをしながら食堂に姿を現した。歯にものが挟まったような表情のスヴェンとエミールを見て、嫌そうに眉根を寄せた。


「……朝っぱらから不景気な顔」

「喧嘩売ってんなら買うぞ」


 寝不足と精神的ストレスから、今のスヴェンはすこぶる機嫌が悪い。


「カルシウム足りないんじゃないですか? ……で、なんでそんなに不機嫌なんです?」

「僕がお墓参りをするのが不満なんだってさ」


 未だぶすっとした様子の王子が口を挟む。その声を聞いて、クリスがあっけらかんと笑った。


「え、もしかして隊長、王子を説得しようとか思ったんです? 無駄ですよ、無駄無駄。あんた何ヶ月隊長やってんですか。

 そりゃあ隊長もかなり小賢しいですけど、その辺王子は天才ですよ。諦めましょ。素直に従うのが、一番ってもんです」

「歴は長いくせに、お前が隊長に昇進しない理由を、俺は今、心の底から納得したよ」


 とはいえスヴェンも諦めて、おとなしく朝食をとることにする。今日はきっと、普段以上に神経を尖らせることとなるのだろう。腹にエネルギーがなければ、何もできはしないのだから。


ナディア「なんであたしが妹なの? あたしの方がお姉さんなのに」

スヴェン「月単位で年上顏されてもな」

ナディア「まあスヴェンって老け顔だしね」

スヴェン「俺、お前のそういうところほんと嫌い」

ナディア「知ってる」

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