王子の手紙とか嫌な予感しかしない
普段であれば、五十名程の君影隊の、少なくとも半数はいるはずの執務室に、人の気配が全くなかった。怪訝に思いながらも自分のデスクに戻ると、そこには王子からの置き手紙が置かれていたのだ。
『スヴェン、クリスへ。
長旅ご苦労様。さて、さっそくで悪いが、ちょっと問題が発生してね。他の部署には決して知られないようにして、今すぐにアウグルド国立研究所まで来て欲しい。ただし、直接研究所までは行かず、その手前の展望台に寄ってくれ。
部下たちが誰もいなくて、さぞ驚いたことだろう。彼らには、すでにアウグルドで働いてもらっている。詳細はこちらで話そう。
それから、この手紙は読んだらすぐに燃やすように。万一封が開いていたなど、誰かが読んだ形跡があれば、紙は燃やさずに僕に教えてくれ。
繰り返すが、このことは誰にも知られてはいけない。父上にもだ。
健闘を祈る。
ディーデリック』
不審に思いながらも、間違いなく王子の筆跡であったし、君影隊にとって王子の言葉は絶対だ。他部署の連中には、合同演習と銘打っておいた。幸いなことに、王都において、王子のわがままに振り回されつつも真面目に働くスヴェンの評判は、かなり高い。疑ってくる者などいなかった。
アウグルド研究所は、主要都市からはやや離れた山中にある施設だ。研究施設としては一流で、学者気質のある王子は二月程前に、貴族であるハドルストーン家の支援を受け、世界中で問題視されている食糧難を解決すべく、意気揚々と乗り込んで行ったはずだ。
特に今期は異常気象が多く見られ、作物の出来が悪かった。それは農地に限った話ではなく、山の幸にも大いに影響を与えていた。その証拠に、各地で猪や鹿、猿などの被害も相次いでいる。このことが、貴族の重い腰を上げさせる結果につながったのだそうだ。
アウグルド研究所の専門は植物だから、そこには広大な農地が必要である。そのためこんな田舎に施設を作ったのだろうが、その便の悪さが、ただでさえ気の短いスヴェンを苛立たせた。王子からの奇妙な手紙が気になって、ただでさえ長い移動時間が、その倍以上の体感をスヴェンに与える。
汽車で数時間。そこから乗合馬車で数時間。さらにそこから徒歩で数十分。ようよう辿り着いた展望台は、物々しい雰囲気に包まれていた。
「……?」
まるで戦争の準備でもするかのように、あちこちには糧食と武器が積まれていた。展望台周辺には、明らかに作ったばかりだとわかる壕が掘ってあるし、数ヶ月前に訪れた時にはなかった真新しい防壁まで備えてあった。
「あ、隊長! 副隊長も!」
スヴェンたちを見つけた部下が、小走りに寄ってくる。
「……これは一体、どういう事態だ?」
「それは……。俺の口からはちょっと。というか、言っても信じないと思います」
苦笑いをしながら、部下は頬を掻いた。そして展望台の最上階、物見を指で示す。
「王子はあちらにおいでです。どうぞ、王子から直接話を聞いてください」
「わかった」
展望台の長い階段を登り終えると、大きな両開きの扉がある。ノックはしたが、返事を待つのももどかしく、スヴェンはさっさとそれを開けた。ここは王城ではない。多少の無礼は大目に見てもらえるだろう。
中には王子と、他数名の研究者と思しき白衣の者たち、それから部下の中でも知略に富んだ者たちが、卓を囲んでいた。
王子はこちらを見て微笑んだ。
「ああ、よく来てくれた。スヴェン、クリス。
……ばれていないだろうね?」
スヴェンは無言のまま頷いた。それを見て王子はほっと胸をなでおろす。
「それは良かった」
「で、一体何があったんです? まさか……内乱ですか?」
現場の様子を見て、スヴェンはそう判断していた。表に集まっていた武器等は、戦争の準備にしては規模が小さいし、もし戦争なら五十人でどうこうできる問題ではない。とすれば、思いつくのは内乱だ。
戦闘経験のない研究所の連中が内乱を起こした。そう考えれば、事を大きくする前に内々で処理するため、王子が直属の部隊だけを動員したのにも納得がいく。それに素人相手なら五十人でも制圧可能だろう。
白衣を着た研究者たちが、むっとしてスヴェンを睨んでくる。だがこちとら軍人なのだ。そんなものに怯むような、やわな神経はしていない。
そんなスヴェンの考えを、しかし王子は「惜しいっ」と指を弾いて否定した。
「いい線いってるよ。でも、内乱を起こしたのは研究所の人間じゃない。
研究所の野菜だ」
「…………は?」
王子が何を言ってるのか、さっぱり分からない。いや待って。本当にちょっと本気で訳が分からない。野菜が内乱って何? もしかして隠語? 野菜はマフィアを意味するとかそんなん?
目を白黒させるスヴェンとクリスに、王子は残念なことに、至って真面目な口調で言った。
「そうだよね。そうなるよね。分かる分かる。
でもね、残念ながら本当のことだ。今回武器をとって研究所に立てこもったのは、正真正銘、野菜なんだ」
王子はまじめくさった様子で説明を続ける。聞けば聞くほどに頭痛がひどくなっていくようだったが、王子の話が真実であると仮定すると、状況はこういうことらしい。
王子の手で品種改良がなされた野菜が、反乱を起こした。
馬鹿じゃねえの? 喉まで出かけた言葉をぐっと飲み込む。
曰く、食糧難を解決するため、大きく育つようにした。季節を問わず収穫できるようにした。目論見通り、研究所の野菜は人間サイズまで成長し、春夏秋冬の野菜がハウス栽培などしなくても、手に入るようになった。
「そして同時に、なぜか自由意志と運動機能を持った」
「そこを一番詳しく聞きたかったんですが」
「なんでだろうね? いくら僕が天才だからって、分からないことはあるんだよ」
王子は机の引き出しから一枚の紙切れを取り出した。
「なんですか? これ」
「声明文。『これまで我々野菜は、人間に食べられることを宿命づけられてきた。しかしそれは我らの本懐ではない。我々ベジタブル連合軍は野菜権を主張する。誰かに食われるという惨事に怯える事のない世界を要求し、この研究所に、新しい国家を設立する』とまあ、そんな感じのことが書いてある。
僕がオルトバーネスの王子なのは、どうやら知れてるらしくてね。田舎とはいえ、ここはオルトバーネスの領土だ。そこに勝手に建国しようっていうんだから。
そうなると当然、野菜たちの要求は、僕に自治を認めろってことになるわけだ」
オルトバーネスの王太子であるディーデリック王子が、野菜国の自治権を認めたとしよう。それはすなわち、この世界でも有数の大国であるオルトバーネスが自治を認めたと、他国はそう考えるだろう。
こんな小さな領土、くれてやったところでオルトバーネスの優位が揺るぐことはないが、それでも国内は混乱する。その混乱に乗じて、良からぬ考えを持つ国があってもおかしくはない。
そこで未だに信じきれていないスヴェンとクリスで、とりあえず偵察に出る事になったのだが……王子が対猪用に改築したという城門に阻まれ、退散する羽目になったのだ。猪相手にそこまで徹底した防壁を作るんじゃねえよ。
「おーい、スヴェン? 聞いてる?」
「聞いてます聞いてます」
王子の声に、スヴェンの脳は現実に帰還した。
「さて。じゃあ隊長、副隊長も帰ってきたことだし、今後どうすべきか、軍議を始めようか」
王子が二つの空いた椅子に手のひらを向けた。座れということだろう。スヴェンはさっと周囲を見渡す。席に着いているのはスヴェンとクリスを除いて六名。君影隊の分隊長四人と白衣の男が一人、それから王子だ。
君影隊の構成について
トップに隊長、副隊長がいて、その下に四人の分隊長がいます。分隊長とスヴェン、クリスがそれぞれ部隊を率いています。
分隊長の間に序列はありません。




