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英雄の墓標

 王子が竜笛を咥えた。静かな、それでいて力強い音が流れる。あの馬鹿王子が演奏しているとはとても思えない、穏やかな音。


 スヴェンはドラゴンに目を向けた。ドラゴンの表情からは、先ほどの刺すような殺気は感じられないものの、しかし敵意と呼べるものは一通り残っていた。冷や汗が滲む。やはりいくら王子が多才でも、本職でなくてはダメなのか。


「がう」


 母ドラゴンの表情が動いた。幸せそうに目をトロンとさせた我が子が、帰ろうと駄々をこねるように手足をばたつかせているのを見ている。彼女の瞳に逡巡が浮かぶ。


「きゅうー……」


 拗ねた様子で子ドラゴンが催促する。それで、母の心は決まったらしい。

 ドラゴンはばさっと音を立てて、巨大な翼を広げた。次に来る衝撃に備え、スヴェンは体制を整える。また吹き飛ばされては敵わない。


 荒れ狂う暴風。目をわずかに開き、頭部を守った両腕の間から、翼を広げ飛び立ったドラゴンの親子を見送る。


「がう! がーうっ!」


 子ドラゴンが王子の笛に合わせて、暢気に歌っていた。その背を見送って、スヴェンはその場に倒れこむ。土がつくのも構わずに、手足を投げ出し、大の字に寝転がる。


「……死ぬかと思った!」


 久々の死闘だった。休みたい。

 しばらくそうして寝ていると、遠い青空とスヴェンの間に、金の髪が流れ落ちた。王子の首から下がった竜笛が、ふらふら揺れている。


「お疲れ」

「……王子」


 疲れているが、王子がそこにいるというのに、いつまでも寝転んでいるわけにはいかなかった。悲鳴をあげる手足を酷使して、体を起こす。


「座ったままでいい。なんなら寝たままでも。さすがのスヴェンでも、キツかったみたいじゃないか」

「はは……。今回は、さすがに死を覚悟しましたよ」


 こればかりは本気で、肩を落とす。もう一度同じことをしろと言われても、恐らく無理だろう。次は死ぬ。


「王子、随分戻りが早かったですね。おかげで助かりました」

「ぽちが頑張ってくれたんだ。お礼ならぽちに言ってくれ」


 王子がぽちの毛を撫でる。気持ちいいのか何なのか、猫が喉を鳴らすように、ぽちは、ぎちぎちと不快な音を立てた。


「それにしても、まさか竜退治の英雄譚を、この目で見る日が来るとは、思わなかったな」

「英雄譚って……そんないいものですか、これが。それに退治はしていません」

「他人から聞いたら十分英雄譚だろう。単独で、王都をドラゴンの魔の手から救うなんて、お伽噺でもなかなか聞かない」


 そう言われても、あまり実感はなかった。


「そんなことより、今日非番なんですけど、労災おります?」

「おりるわけないじゃん。プライベートなのに」

「……ですよね」


 まあ分かっていた。だが、今のスヴェンは重症だ。しばらくは入院だろう。その間の給与が支払われず、入院費に治療費……結構な痛手だ。思わずため息が出る。するとそれを見た王子が、なんと救いの手を差し伸べてくる。


「無理やり、労災ねじ込んであげようか」

「ほんとですか!」

「うん。構わないよ。治療費と入院中の給与はどうにかしてあげられる」

「どうやるんです?」


 王子は簡単だよ、といって花が咲いたような笑顔を浮かべた。


「この英雄譚を広めるのさ」

「……?」


 意味がわからず眉をひそめるスヴェンに、王子は笑う。対照的に、スヴェンの顔は曇っていった。この笑顔は……嫌な予感がする。


「スヴェンは讃えられるだろう。王都を守った英雄として。もちろん僕もそれを讃え、お前の治療費諸々くらいは負担する」


 ただし今回の騒動で、スヴェンは幾らかの罪を犯した。


「例えば、器物損壊。街の木を燃やしたよね。それから無断で検問を通り過ぎた。あの雑魚たちは……まあ正当防衛としても、絶滅危惧種のフラムドラゴンを傷つけたことについては、弁明の余地もないね」

「……なんで器物損壊とか検問とか、知ってるんですか?」


 まさか盗聴器でも付いているのかと、少々不安になる。スヴェンに気付かれずに盗聴器を仕掛けるなど、並みの腕ではできないだろうが、残念なことに王子は並みの腕ではない。

 王子は、スヴェンの問いかけには一切答えずに続けた。


「まあ情状酌量もあるだろうし……諸々考えて……報奨金は出るけど、しばらくの間は牢屋暮らしってとこかな。やったね、黒字だ!」

「……前科者は勘弁してください」


 王子の護衛隊長が前科者とか、洒落にならない。というか多分解雇される。


「そう? まあ英雄本人がそう言うなら、今回のことは極秘に済ましても構わないが。

 こちらとしても、指定区域のフラムドラゴンの子供を盗まれるなんて大失態、他所に知られたら困ることになるしね。環境管理課の責任者には、文句を言っておかなきゃな」


 王子はぽちを呼んだ。すぐそばで木の蜜をなめていたぽちが、どすどすと足音を立ててこちらに近づく。


「せめて、病院にくらいは連れて行ってあげるよ。いつものところでいい?」

「ええ、すみません」

「貸し一つだから」


 そもそもてめえが持ち込んだトラブルだろうが。喉まで出かかった言葉を、しかしスヴェンは飲み込んだ。王子と口喧嘩をするだけの元気もない。頭がクラクラする。ちょっと本気で寝たい。

 王子の手を借りて、スヴェンはぽちの背に乗った。真っ白い毛が思いの外心地いい。


「飛んで、ぽち」


 ぽちが鳴いた。スヴェンの体が強烈な重力を感じて、白い大地に押し付けられる。空気が冷たくなった。


「あ、そうそう。ついでだから伝言。クリスがね、お前が管理していた機密書類、なくしちゃったって。珍しく慌てていて面白かったよ」


 気圧が変わったからか、頭痛がひどくなった。





 

 こうして竜退治の英雄譚は、歴史の影に葬られることとなった。


 これは余談だが、今期のスヴェンのボーナスは、例年に比べて少し……いや、かなり多めに入っていた。贈賄だ。


 金で全てを解決できると思うな、とクレームを入れようかとも思った。思ったが……スヴェン一人が騒いだところで、上層部に影響を与えられるとも思えないし、そんなことしたら、せっかくのボーナスが減額されるのは目に見えていたので、スヴェンは後ろ暗い金を、黙って受け取ることにした。


 その夜、なんだか無性にやるせなくなったので、貰ったばかりのボーナスを使って、やたら高い酒を買った。どのくらい飲んだかは覚えていないのだが、翌朝になって部屋を見回すと、空になった酒瓶が、英雄の墓標のように暗がりに佇んでいるのを見つけた。


 せめて高い酒の味くらいは記憶しておきたかったと、少しだけ後悔した。


 第3話、完結です。ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございます。

 次のお話は、今頑張って書いているところです。しばしお待ちくださいませ!



 次回予告

 人参と大根が大活躍するよ! お楽しみに!

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