表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/36

クリスはどうやって山中訓練を乗り切ったんだろう

 スヴェンはカバンの中を探り、何か書けるものを探した。一応、王子に宛てて一筆書いたほうがいいだろう。


「紙……紙……。ああくそっ。王子の落書きはいい」


 感触だけで探り当てたから、王子が描いたぽちの抽象画が出てきた。さすがにこれを送り返すわけにはいかない。

 スヴェンの手が、ようやく目当てのものを探り当てた。皺が寄ってしまったが、まあいいだろう。硬いカバンを下敷きにしてこれまでの経緯をざっくりと書き連ねていると、突然頭を小突かれて、スヴェンの思考は途切れさせられた。


「おい、何だよ」


 上司の頭を叩いた無礼者は、スヴェンの方など見向きもせずに、虚空を見つめている。その顔には血の気がない。


 それだけで、何が起きたのか、大体の察しがついた。顔を引きつらせて、クリスの視線を辿る。そこには、スヴェンの予想通りのものがいた。即ち、巨大な蛾の怪物が。


「ぎゃあああああああっ!」


 突然クリスが悲鳴を上げた。一目散に駆け出して距離を取る。蛾の登場よりも、部下のあまりの動揺っぷりに、スヴェンは驚いた。


「お、おい。どうした?」


 スヴェンは剣を抜き放ち、油断なく怪物を見ながらクリスに向かって叫んだ。ちらと視線を遣ると、クリスはがたがたと震えながら、両手で槌を抱きしめている。


「むむむ無理です。無理無理。普通のサイズの蛾だって気持ち悪いのに。

 何この毛むくじゃらの生き物! 生理的に無理ですぅ!」

「何を女みたいなこと言ってんだ!」

「だって、おっきければ意外といけるかなって思ったんですもん! でもやっぱり無理でした! ごめんなさい!」

「ごめんなさいじゃねえよ! 戦え!」

「ひいぃ……っ」


 クリスはなんとか槌を構えているが、完全に腰が引けている。


 確かに、クリスの気持ちは分からなくもない。

 怪物は、虫が苦手ではないスヴェンの目から見ても化け物然としていて、可愛らしいと評されるような見目ではない。


 怪物の全身は白い毛に覆われ、風が吹くたびに長い体毛がたなびく。雪男のように見えなくもない。蛾の割には羽が小さく、その羽にもびっしりと産毛が生えていた。羽には目玉のような模様が入っており、毒々しい幾何学模様を描いている。

 胴体部分は思いの外太っていて、そこから伸びている手足は異様に細い。頭から伸びる触覚はオレンジ色で、女性が使う櫛のような形をしていた。

 巨大な複眼は闇色をしており、白い全身から明らかに浮いていた。どちらを見ているのかわからない目を見ていると、深淵を覗き込んでいる気分になる。


 その怪物が、ぷるぷると触覚を震わせ始めた。それを見たクリスがまたしても悲鳴をあげる。そのまま怪物はスヴェンとクリスに向かって、一気に距離を詰めてきた。


 ぎちぎちぎちぎちぎちぎちっ!


 触覚だか口だかから響く音を聞いて、パニックになったクリスが、大鎚を怪物に向かって振った。怪物は胴体でそれを受け止めるが、ふわふわとした毛並みのせいで、衝撃が伝わりきらなかったらしい。一瞬よろけただけで、怪物はすぐに体勢を立て直した。


(あの体毛、厄介だな)


 クリスは今、冷静ではない。しかしそれを差し引いても、先ほどの一撃で全く効果がないというのは、並みの頑丈さではありえなかった。

 そして今度は体ごと向きを変え、スヴェンを無視してクリスに狙いを定めた。怪物の口から空気を震わせる甲高い鳴き声が発せられる。


「え? あれ怒ってんの? ねえ、あれ怒ってんの!?」


 もはや涙目になったクリスはめちゃくちゃに槌を振り回した。しかしそんなものが当たるはずもなく、怪物は面白がるようにクリスとの距離を詰めた。


 怪物が細く長い前足の一本を振り上げた。その下にはクリスがいる。


(まずい)


 クリスは眼前に迫った怪物の太い胴体ばかりに目がいって、振り上げられた前足には気付いていない。あの細い足にどの程度の威力があるのかは分からないが、楽観視はできない。

 スヴェンは大急ぎでクリスと怪物の間に割って入った。振り下ろされた前足がスヴェンの剣に遮られ、低い音を立てた。それはまるで鋼と鋼がぶつかるような、硬質の音であった。


「ぼさっとするな! 死ぬぞ!」


 スヴェンの背に視界が遮られて落ち着いたのか、それとも危うく一撃をもらいかけて、正気に戻ったのか、とにかくクリスの意識が、ようやくこちら側に戻ってきた。


「す、すみません」


 スヴェンはちらりと自分の剣を見下ろした。刃こぼれこそしていないが、先ほどの感触は、生物を相手取ったような柔らかいものではなかった。この怪物は衝撃に強い上に、攻撃手段まで持ち合わせているのか。


「構えろ、クリス。本気で行くぞ」

「りょ、了解です」


 クリスは未だに及び腰ではあったが、先ほどよりは幾分マシであった。


スヴェンの苦手なもの

・金髪碧眼

・顔立ちの整った男

・奔放な上司



クリスの苦手なもの

・昆虫全般

・両生類の一部

・真夏の軍事演習

・真冬の軍事演習

・ていうか軍事演習全般

・生真面目で融通の利かない上司

・不真面目で理屈の通じない上司


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ