「隊長の死亡フラグ!」「おい」
「とは言ったものの……。この山全部が捜索範囲とか、本気で探すつもりですか」
村長の家を出るとすぐに、スヴェンとクリスは巨大蛾が出没するという山に分け入った。目撃場所はかなりバラバラで、山の全域に及んでいる。とてもではないが、二人で捜せるような範囲ではない。
蛾に出会った瞬間に、戦闘が開始するだろうことを踏まえると、戦力の分散もなるべく避けたい。スヴェンにしろクリスにしろ、自分の実力には自信があるが、自信と過信の違いがどこにあるかということは、しっかり弁えている。
「暑いし。もう帰りたい」
スヴェンは無言のまま、弱音を吐き続けるクリスを睨みつけた。弱音を吐いている割には、彼は疲れた様子など微塵も見せない。汗をかいているのは、疲労のせいではなく、暑さのせいだ。クリスは軍服のインナーをぱたぱたと仰いで、風を送っている。
「やめろ。だらしない」
「だって、あっついんですもん」
「我慢しろ」
「嫌です」
「お前なあ」
叱られ、肩をすくめたクリスは、半眼でスヴェンの服を見つめ、大げさにため息をついた。
「隊長こそ、少しは着崩したらどうです? 見てるこっちが暑くなる」
スヴェンは上着こそ脱いでいるものの、シャツとパンツはしっかりと着込んでいる。そうでないと落ち着かないのだ。
無論、暑くないわけではない。長い髪の内側で、汗が流れ落ちるのが分かった。一括りにまとめた髪の先から、小さな雫がしたたり落ちる。指の先で汗の玉をすくいとり、地面に投げ捨てた。
「俺はいい」
「頑固者ですねえ」
「うるせえ」
暑いとか疲れるとか言うなら黙っていればいいものを、それは暇で嫌なのか、クリスの口は底が抜けた桶のように言葉を垂れ流し、無駄な体力を浪費している。
「王子の犬、もう死んでる……なんてことは、ないですよね?」
「状況だけ見れば期待薄だが……まあ大丈夫だろ」
スヴェンが珍しくも楽観的な見解を述べる。
ぽちがいなくなったことに気づいたのは今朝だが、ぽちがいなくなったのがいつなのか、それははっきりしていない。
王子にこそ懐いているぽちだが、誰にでも人懐こい性格なわけではないらしく、使用人たちの前にはあまり姿を現さない。
ここ数日、公務で城を空けていた王子は、餌やりを使用人に任せていた。使用人はぽちの姿を目撃していないのだが、それがぽちが警戒していたからなのか、すでに逃げ出した後だったからなのかは分からない。
だが逃げ出したのが今朝ならば、犬の足で王都からこの山まで来るのは不可能だろう。
「甘やかされた飼い犬が、化け物のいる山の中で、長く生きれるもんですかね?」
「だが、少なくとも王子は、ぽちが生きていると確信している様子だった。あの王子の予想は、なんでか知らんが大体当たる」
「……神様はえこひいきだ」
無駄口を叩いていたスヴェンとクリスが、ピタリと口をつぐんだ。揃って山頂を見上げる。
山頂から、羽音がした。
ちょうど太陽に重なる形でとても見にくいが、何やらとてつもなく巨大な影が、そこにはあった。
手を目の上に翳したクリスが、小さく呻いた。クリスもスヴェンと同じことを考えたに違いない。話が違う。そう思ったのだ。何しろその影の大きさは、人間どころの騒ぎではない。民家くらいはありそうだった。
(いくらなんでも、でかすぎる)
スヴェンは内心で舌を巻いていた。あの巨体が生み出す力が、いったいどれほどの大きさになるのか。それは果たして人間が対抗できるような代物なのか。
「少なくとも……あの大きさは、二人で対処するような相手じゃないですね」
「最低でも、一個分隊くらいは欲しいよなあ」
怪物とはまだ距離がある。スヴェンにしろクリスにしろ、その態度はのんびりとしたものだった。まるで他人事のように戦力差を分析する。
「何より装備ですよ。重火器が欲しいです。大砲とか。
あれ、蛾なんでしょう? 空を飛ばれたら、俺の槌も隊長の剣も、届かないじゃないですか」
「まさか蛾と戦うことになるなんて、思ってもなかったからなあ。俺は、王子の犬探しのつもりだったんだぞ。なんでこうなったんだか」
「相手は一匹ですかね」
「だといいがな。蛾であることを考えれば、群れで襲ってくる可能性も捨てきれん」
考えれば考えるほど、戦況は絶望的である。スヴェンとクリスは互いに顔を見合わせた。
「……どうします?」
「んー……王子の犬さえ見つかればなあ」
今ここで怪物と戦うのは、できれば避けたい。あれは、装備を万全にして、きちんと計画を立てて戦うべき相手だ。しかし一度王都に戻ってその準備をしているうちに、王子の犬に万一のことがあれば、非常にまずいことになる。
それ以前に、王子の命令を蔑ろにして怪物退治に乗り出したりしたら、王子が何と言うか。
スヴェンは心のうちで頭を抱えた。王子はあれでいて、国民からの評判は悪くない。なぜなら彼の悪巧みは全て、彼に近しい人間にのみ被害が及ぶように、綿密に計画されているからだ。
だからスヴェンが、王子の犬を放置して村を救ったとしても、表面上は何も言わない。むしろ村を見捨てたほうが、よっぽど王子は怒るだろう。
(そういうところは、変に常識人なんだよなあ)
しかし怪物退治を終えた後、王子の犬が無事に帰ってきたとしても、スヴェンが王子の命令を後回しにした件について、その問題を無視してくれるような性格でもない。ねちねちと嫌味を言われ続けるのは、目に見えている。
(それに……王子は本当に、ペットを大切にしてるんだよ)
王子がたくさんのペットを飼っていることは、この国では有名である。ペットの為にドームを建てたときには、『世界一大きな犬小屋』というタイトルで新聞が出回った。その記事が国民の反感を買わなかったのは、そのドームが王子の私財を投入して作られたものだからだ。ドームを建てる為に王子が倹約していたことなども、同時に報道された。捨てられて処分となるはずであった犬猫を、大量に引き取って育てていることも。
当時、まだ王子に会ったことがなかったスヴェンは新聞を読んで、若いのに大したものだと感心したのだ。
ぽちに何かあれば、王子はどれほど嘆くだろうか。
(あー……。くそっ)
頭をがしがしと掻いて、スヴェンは小さく悪態をついた。
「クリス」
「はい」
「お前、先に戻って上に報告しろ。討伐隊については、お前に一任する」
「構いませんけど……隊長は戻らないんですか?」
「俺は残って、ぽちを探す」
クリスが息を飲むのが伝わってきた。
「大丈夫ですか? 万一あの怪物と戦闘になったら、さすがの隊長でも、一人じゃあ……」
「その時は全力で逃げるさ。なに、なんとかなるだろう」
どこで役に立つのか分からないけど細々決めた設定③(ゲスト付き)
クリス「隊長って偉そうだよね。俺と一歳しか違わないのに」
佐倉「実際偉いもの。それにこの国は年功序列の考え方が薄いからね。良くも悪くも実力主義」
クリス「え、じゃあ俺すごくない?実力主義の国で王太子護衛隊の副隊長とか超優秀じゃない?」
佐倉「この小説がコメディでなかったら、クリスは間違いなくクビになってる。そんなにリアリティが欲しいなら、今度『副隊長の解雇通知』っていうタイトルで話組もうか?」
クリス「ちょっ、やめて!あんたが言うとシャレにならない!!」




