堕ちて逝くと云うこと
ふと復讐劇のその後みたいのが書きたくなりました。
救いは一切なしなのでハッピーエンドではありません。
堕ちていくのは簡単だった。
ただ身を任せて、ただ心地良く流されて、思うままに生きるだけだった。
誰かの線路なんかじゃなく自分だけの自由。
「終わりまして?」
汚い家畜が嗤い、凍てつく視線を投げ彼女は扇子で口元を隠す。
目の前には殊更厭らしい顔でコロコロと転がってしまいそうな体を揺らしながら髭面の貴族が満足そうに美しい女の前に跪いた。
年の頃は24.5歳くらいの白金の巻かれた長い髪をそのまま背に流しキツい印象を与える冷たい碧瞳。
どこかの悪役お姫様のような彼女は薄暗い廃城で玉座から男を見下ろし、
やがて背から1本のナイフを取り出し立ち上がり彼の前でそれを振り上げた。
切り裂かれる音は誰の悲鳴か。
醜く噴き出す朱は誰の涙か。
「感謝なさい、わたくし自らアナタを処刑します」
崩れ落ちる巨体は恍惚とした笑みを深め倒れる。
廃城の女王は全身に受けた血飛沫を拭うことなく暫く佇んでいた。
握り締められたナイフをしっかり持ち直し今は蜘蛛の巣に覆われたシャンデリアを仰ぐ。
チラつくのはキラキラ輝く今はなき豪華な輝きを放つ過去の光。
あれから何年経ったかなんて知らない。
静かになった心が彼女を満たす。
カツンっと靴の音が聞こえる入口を見やるとどこから入ってきたのか少し長くなった白銀の髪を揺らしながら燕尾服を着こなした切れ長の紫瞳を持った10歳にも満たない顔立ちの整った少年が少し離れた場所で微笑みを湛え待っていた。
日が落ち辺りは既に宵闇に包まれて、
かつては王都として栄華を極めた都も今は見る影もなく蔦で覆われ何者の侵入も塞いでいた。
笑い声が、聞こえる。
遠い遠い霞がかった記憶に何も知らない無垢な少女が薔薇の咲き誇る庭園で散歩をしている。
最愛の父と母と兄と他愛のない話をしては微笑み合い、幸せを絵に描くとはこの事で、未来にある落とし穴なんてまるで目にも入っていない。
「愚かですわ」
自分の声とともに現実に引き戻された廃城の女王は白銀の小さな執事を横目にため息を一つ。
いつの頃からか横に立つ彼は給金や代価を求めるでもなく1番の腹心として信用を得て彼女の傍にただ仕えている。
これが、誰かの仇だと命を狙っているのならもっと効率良いやり方を教えてあげられるのに、1人ごちても彼は微動だにせず笑顔だけを向けていた。
「アイル……わたくしの最愛の君の顔と名を持つ貴方は一体どなたの刺客なのかしら?」
笑みを崩さず何を考えているのかもわからないとこもそっくり。
彼に出会ったのは8歳の誕生日。
婚約者として初見だった。
『アイセイル・ラグラシュ、ミティア皇国立総合研究所リア大教授の元でお手伝いをしております。アイル、とお呼び下さい皇女様』
16歳の彼はやけに大人びていて周りにはいないタイプの人間だった事もあり惹かれるのに時間はかからなかった。
お父様とお母様も『アイセイル様ご謙遜なさらず、年若くして世界一の賢者と名高い貴方様にこの国に滞在頂くのも畏れ多い事、まして婚約を了承頂けるとは身に余る光栄』
世界でも有数の大皇国を支配する陛下である父がここまで下手に出るのも珍しく、本能で本来は近付く事すら出来ない遠い人なのだと、そしてそう思えばこそ想いは強くなった。
『アイセイル様、お初にお目にかかります。ミティア皇国が第一皇女のリリアナにございます。この度はご高名な方と婚約を結べる事、光栄至極にございます。ゆくゆくは良妻賢母となれます様ますます精進いたしますわ』
長々と自分をアピールし確実にこの方が欲しいと思った。
生まれて初めての気持ちに高鳴る鼓動は止む気配もなく騒がしく胸に留まり続けた。
『アイルでございますよ皇女様』
優しく微笑みをくれる彼はわたくしにとって王子様そのものだった。
「亡国の女王陛下、私はただ貴女の貴女だけのものにございます。貴女の一つ一つが私の至福、お忘れなきよう」
「……生まれ変わりにしては出来過ぎなのよ、一種の呪いのようね」
「、、呪い、でございますか。それに生まれ変わりとはまた穏やかではない。愛しい君が亡くなっておられる様な言い回し」「その通りですわ」「……」
「今宵は悲願を成し遂げた最良にして最期の日、そして、この皇国が滅びてちょうど10年目」
あの日から彼と重ねた年月はたったの6年だった。
父と母と兄との庭園は彼との思い出が増え、1度も足を踏み入れた事の無い研究所の一室は彼との逢瀬室となり、視察に行った街は至る所が彼との優しい記憶になった。
「リリィ」
そう言って護衛も付けず2人でお忍びで市井へ赴いた日には教育係にたっぷり叱られた。
そんな折に兄の暗殺計画漏洩騒動やわたくしの誘拐未遂が起こり緩やかに傾き始めた皇国は加速度を増し母が病に倒れた頃にはとある強国がこの国を滅ぼす事になる。
文字通り誰も生かす事無く存在を掻き消すかの様な蹂躙だった。
『お父様ぁぁぁあ!お母様ぁあ!お兄様ぁぁぁああ!!!』
たまたま城には居らず研究所に遊びに来ていたわたくしは家族に会う事叶わず侵略者たちの手の中で狂った様に叫び声をあげていた。
『リリアナ様!!!』
リア大教授が救おうと手を伸ばしあと一つのところで背後を大剣で切り裂かれた。
研究所の皆が14歳の少女を守ろうと次々襲い来る侵略者から命を投げ打って守ろうとした。
いつの間にか広がった血の海でたった1人婚約者の為に着飾ったドレスを真っ赤に染め上げた彼女がナイフを片手に立っていた。
リア大教授の懐刀。
皆が守ってくれた時にたまたま倒れた大教授の服の中から出ていたナイフを即座に引き抜き躊躇なく振り上げた。
静かになった研究所に歩く水音が響き渡りそこで意識を手放した。
次に目覚めた時には乾いた血溜まりの中を真っ赤になった婚約者が転がっていた。
思考回路が追い付かずただ家族を思ったわたくしは一心に城に走った。
街は酷い有様で生きた者の気配はどこにも感じ取れずにいた。
右を向けばお気に入りの洋菓子店ローラ。夫婦で営む小さな店は毎日大行列になる程の人気店でお忍びで来たリリアナ達も売り切れなんて良くある事だった。
『ここの菓子はどれも絶品だが1日50個限定の焼き菓子なんてリリィが特に気に入ると思うよ』
『まぁ、さすがアイル様。なんでもご存知ですのね』
『関係ないよ、甘い物が好きなだけさ』
左を向けば悪戯っ子シドの家。身分を隠してたとはいえ周りの大人は良いとこの貴族だと気付き恐縮していたがシドだけは良く2人を友達の様に接してくていた。
『リリィまたそんな泥だらけになって、今日も教育係が胃を痛めてしまう』
『あら、アイル様こそ人の事いえませんわ』
『シドがいるとつい夢中になってしまってね』
変わり果てたこの通りを真っ直ぐ歩いて美味しい食堂。『リリィここはね……』
少し横に入れば怪しい薬店。『うわぁ、何が売られてるのかな……』
城に近付くにつれ貴族たちの家や広場や公園が現れ駆け抜ける。『リリィ』
生活音なんて一切聞こえない。
先程から死に絶えた者と血と焼け焦げた臭いだけが支配していた。
城の門は開け放たれ、門番、衛兵、騎士の屍が山を成す。
しかしどこを探しても見当たらない父と母と兄。
逃げ出せたなら良い。そう思いながら納得出来ない自分もいた。
ここまで蹂躙して国盗り合戦と言うよりは何か憎しみを孕んでいる気がした。
そうすると生きている可能性なんて絶望的だ、まして民が皆殺しなのだから長たる陛下が生きているはずはない。
結論が成された頭が、この国で唯一の生存者だと気付かされた心が、全身で拒絶をさせてくれず再び研究所へと足を運んでいた。
先程の風景と変わらぬ中、一つ、、、
『神は、わたくしからどこまで大切な人を奪う気なのですか?』
賢者アイルの亡骸が忽然と消えていた。
「アイル、今日まで良く付き従ってくれたわ。感謝しております」
復讐するしか生きる糧がなかった。
どこの誰とも知れない敵。
たった10年と人は言うかも知れない。
わたくしには長かった。
漸く見つけ出した家族は肉は残っておらず骨になっていたくらい長かった。
「逝かれるのですね亡国の女王陛下」
「お願い、、、家族の元へ、帰りたいの」
一筋頬を伝う水は24年間流した事の無かった涙。
薄く弧を描く唇は10年間閉じ込められていた穏やかな笑み。
「アイル様を見つけられなかった事は悔やまれますが、きっといつかお会い出来ると信じておりますから、わたくしは勝ち逃げ致します」
「良い夢を」
毒を煽る彼女は美しかった。
一つの生が、世界の片隅で人知れず消えていった。
幼かった少女がいつの間にか立派な淑女になって、賢者の妻に相応しい強さを携えてやり方の是非なんて関係ない。
一つの亡き国の為、一つの人生と言う永い時間をたった6年の為に1人清い尊い地位から悪に染めて戦った。
亡国の女王陛下。
若き賢者の婚約者。
「良い夢を、愛しき皇女リリィ」
目を閉じた彼女は安らかに僕の腕の中眠る。
こんな身体でなければもっと包み込めるのに、8個も年上だった僕は今は14個も下になってしまった。
呪われた身体。
あながち彼女は間違っていない。
僕は賢者アイルそのものだ。
そして彼女の目の前で死んでいた僕も、僕。
生まれ変わりなんて言う御伽草子のような素敵なものじゃない。
呪いめいた運命。
死ねば記憶を残してまた新しい命を生きる。
そうやって何百年も生きて化け物じみた僕は豊富な知識を生かし各国を渡り歩いていたら、いつからか彼らから賢者と呼ばれた。
そうやって巡り会えたリア大教授に感銘を受け置いてもらっていたら副産物として皇女との結婚話が舞い込んで来た。
ちょっと面白そうなんて会ってみれば綺麗な世界しか知らないお姫様がそこにはいた。
恋心、なんてとうに失っていた僕が恋をする事はなかったけど、同時に汚したいとは思った。
足を踏み入れた事のないだろう世界へ彼女を誘ったら彼女はどうなってしまうのだろう、と。
色々な場所へ案内した、僕を強く愛する様に大切にもした。
そうして強国を唆していった。
元々皇国とかの強国は皇妃を争った恋敵同士。
未だに諦め切れない執念深い国王は存外扱い安かった。
ジワジワと真綿で首を締めるように、助け舟はもちろん忘れない。
皇子にしたって馬鹿じゃない、タイミングを見計らいながら楽しんでいた。
そして、先走った強国が攻め入るまで僕は気付かなかった。
最期の日「愚かな」と呟いた彼女は気付いていなかったが、あの日の僕を君が責めた気がして心がザワついた。
研究所の廊下で血塗れので意識を失った君を見て初めて喪う恐怖を味わった。
次の瞬間には殺され輪廻の輪を外れた僕の身体は1日と持たず朽ちたわけだけど。
すぐに生を受けた僕は泣いていた。
赤ん坊のそれだった。
どんなに生を受けようが泣いた事のない僕が火を付けた様に彼女を想い泣いていた。
何の感情なのか、、、6年後、彼女と再会した時には震えた。
20歳になった彼女はより美しく大人の女性になっており強い意思の瞳を携え女王然としていのだ。
リア大教授の懐刀を奥に仕舞い込みいつも誰かの首を狙っていた。
再会した時の彼女の顔は今でも覚えている。
迷子になった幼子の様に動揺していた、隠していたつもりだろうが、「漸く見つけた」と言いたげに魂が叫んでいた。
出逢ってからこの16年間、悠久の時を生きた僕が彼女といる時間は本当に楽しかった。
この感情がなんなのか、死を前にして気付かされる。
「リリィ、僕は悪そのものだ。最期まで美しい君には不釣り合いなほど堕ちてしまった。自由を求め過ぎて思うままに生きた結果、君を2度も失った……君の元へ逝きたいのに行けない。
君が生まれ変わっても、それは君じゃない。
僕は永遠に君を失ってしまった。
愛してる
アイシテルんだ、リリィ」
きっと会えると言ってくた君には悪いけど、僕達はもう2度と巡り会えない。
抱き締めた皇族最期の女王を胸に今日この日を持って僕は僕を封印する。
この皇国と共に深い目覚める事の無い眠りを……
封印はいつかは破られるもの。
それがリリィの記憶を持つ生まれ変わりで8歳くらいの天才錬金術師でアイルの呪いも解いてくれたらまるく収まるけど、アイルが望むのは抱く屍ただ1人だから彼には解呪して死を与えるのが最良なんだよね。
不器用な男の子の拗れた恋物語。
読んでくれてありがとうございました!!