2.魔王の決意
ダートンの看病の甲斐があったのか、風邪は見事に完治した。これで治らずに死んでいたら、私が記憶を取り戻した意味がない。というか元魔王が風邪で死ぬなんて、いくら転生しているとはいえやるせなさすぎるぞ。
無事に風邪を治した私は今、メイドのエリカと共に鏡の前にいた。父と母に元気な姿を見せるため、髪を整えドレスを着ているのである。きちんと風呂上がりだからか髪は心なしかふんわりしていた。
カルミア・ヴァーミリオン。それが私の名前である。その名前自体にも覚えがあるのだが、鏡に映る自分の姿にも、何となく心当たりがあった。
先でゆるくウェーブのかかったサイドに、櫛が綺麗に通るストレートの後ろ髪。その銀色は決していやらしいものではない。静かに控えめに、煌々と光る高貴な色をしていた。
少々きつい印象を与えるつり目は深紅色。うん、深紅は好きだ。血の色は何となく落ち着くし、それだけではない。この、前世とは影も形もない姿の中、唯一共通しているのが瞳の色である。殊更に大事にしようと思えた。
私が口角を上げれば、思った通りに動く鏡の中の美少女。彼女は、私が知る乙女ゲーム、というゲームに出てくるキャラクターに酷似している。詳細が、一致している。
乙女ゲーム。魔王である私に、部下が気まぐれとして押し付けたそれは案外愉快なものだった。ヒロインという一人のキャラクターにプレイヤーは意識やらその他諸々を仮託し、見目麗しい男達との仮想恋愛を繰り広げる。それが、乙女ゲーム。
その中で私がプレイさせられた、プレイしたのが『アネモネデイズ』というタイトルだった。確か、略称は「アネイズ」だったか。
舞台は中世ヨーロッパ風のとある国。そこに住む貴族が平民の妾妻を作ってしまうことが全ての始まりである。
主人公は母と二人で街で慎ましく暮らす庶民。しかし母が流行り病によって死んでしまう。そして、どこからかそれを聞きつけた彼女の父親であるヴァーミリオン公爵が彼女をヴァーミリオン家に迎える。それが、主人公が12歳の時。
それから時は飛び、3年後の15歳。主人公は貴族として、この国のあらゆるエリートが勉学を学ぶフルール学園に通うこととなる。そこで出会う男性の心の闇を晴らしながら、主人公は恋愛に絡め取られていく、といったのが大まかなあらすじ。
主人公の名は、アネモネ・ヴァーミリオン。彼女には腹違いの、それでいて不仲な姉がいた。それが今の私である。
彼女はヒロインを虐め、この国の王子や公爵家の息子、はたまた執事なんかの攻略対象との恋愛を阻害しようとする。最後にはそれが祟り、家を追放されたり、不敬罪で処されたり、あまり条件が良いとはいえない初老の男性と結婚させられたりと不遇な結末が待っているのだが、それでもプレイヤーの多くは彼女を哀れんだのだそうだ。
『アネモネデイズ』は攻略対象が皆、コンプレックスというものを抱えている。そしてヒロインがそのコンプレックスを柔らかく解していく、というのが大まかな流れだ。つまり、極論ではあるものの攻略イコール救済。その論で、「姉も攻略対象ならよかった」と語るプレイヤーが後を絶たない。
ヒロインの異母姉、カルミア・ヴァーミリオンは決して血も涙もない極悪非道だったわけではない。それこそ複雑な事情を抱えた、一人の少女だった。ヒロインは最初に異母姉を攻略すべきであると語ったプレイヤーの話は、私にこのゲームを勧めてきた部下から聞いている。
私はあくまでも『アネモネデイズ』を暇つぶしのゲームとして嗜んでいた。だから誰かに特別肩入れしたり、登場人物に本当に恋をしていたわけではない。それでも、私自身が「カルミア・ヴァーミリオン」になったからには、カルミアの幸せを追求したくなるのが生物としての突然の摂理とは言えないだろうか。
全ルートで確実に破綻する運命。悲劇に踊らされた、影の道化。光の物語を引き立てるために過ぎない人生。それがどうした。私はカルミアであり、ただのカルミアではない。
どうやら魔法は使えないようだし、このカルミアという人物の身体はたいそう貧弱だ。それでも出来ることはある。悲運に逆らうことくらい容易いものだ。
私は魔王である。全てを力でねじ伏せ、恒久の平和を夢見させたもの。一人の女の不幸くらい、容易く制してやろうではないか!
「……カルミアお嬢様。いかがなさいました?」
「……いいえ。何でもないの」
微笑んだのが怪しく映ったのか。私は何でもないと言いつつ、「強いて言うなら、お父様とお母様に会えるのが嬉しくて」と付け足す。それに、エリカは悲しそうな笑みを浮かべた。こら、メイドがそんな顔をするでない。私はふと、魔王時代の部下を思い出した。感情表現が豊かな、ゲーム好きのアイツを。
「エリカ。私は大丈夫よ」
「お、お嬢様」
「……私はカルミア・ヴァーミリオン。ヴァーミリオン公爵家の娘なのだから」
それが物語では落ちぶれるのだが、自由時間を費やしてゲームをプレイした私がそうさせない。どこまでも運命に逆らってやろうではないか。不遜な笑みを淑女の微笑みに変え、私はエリカを安心させようとした。
私が、カルミアが悲劇を免れるために重要なのはたった1つだけ。ゲーム通りにしないこと、である。
それは様々な意味を含む。ゲーム通りに攻略対象と接しないことや、ゲーム通りにヒロインを虐めないこと。そして、ゲーム通りのカルミアにならないこと、もっとわかりやすく言えば、全ての火種となる「コンプレックス」を抱かないこと、である。
各登場人物のコンプレックスを私は覚えている。第二王子であり、私の婚約者であった男、ルドベキアは「優秀な第一王子である兄との比較、そして王族の重圧」。同じ公爵家であり、ヴァーミリオン家とも懇意にしているアデローズ家長男のタイムは「凶暴な姉と昔馴染みから来る女性不信」。商家の息子であるエレンは「貴族の持つ選民思想に対する嫌悪感」。いずれ私付きの執事となるはずの少年、テオドールは「ヴァーミリオン家に来る前の過去と実父」。そして東洋からの講師、ヒイラギは「どこへ行っても自分の居場所がない現実」。それが、彼らのコンプレックスだ。
では、カルミアのコンプレックスは。それは、異母妹であるアネモネが引き取られた時に生まれる。親の愛を与えられなかったこと、そして、極度の男性不信。それが、カルミアの悲劇の元凶。
しかし私は魔王である。前世では数多の首を刈り、王として様々な惨たらしい景色を目にしてきた。たかが親に愛されなかったこと、とは言えないけれども。私はただのお嬢様ではないのである。少しばかり平気だ。
カルミアの不安は、親の冷淡さ。元より娘に関心を示していなかったのは性格だろうと感じていたのに、引き取られたアネモネに対して優しく接することから「自分が選ばれなかっただけ」なのだと知ってしまう。優秀と言われ、家庭教師からは「どこへ出しても恥ずかしくない淑女」と呼ばれた彼女が、たった二人の肉親からは愛されなかった。それが全ての始まり。
しかし私はさして気にしてやいない。今更のことである。この魔王の生き様からすれば、ちっぽけなこと、なのだ。そう、ちっぽけな。
「……それでは行きましょうか。エリカ」
「はい」
カルミア・ヴァーミリオンよ。この魔王が、貴様の悲劇を叩き潰してくれようではないか。私は、遠いどこかに見える彼女を鼻で笑ってやった。