0.思い出の意味
「マオ様って何か願いとかはないんですか?」
中性的な、人形の身体を持つ魔道具は時折面倒な質問をしてくるのが好きだった。それを嫌だと思っているわけではない私が助長させているのもよくわかっている。しかし、彼(もしくは彼女)との対話は心地よい。私のことを勝手に「マオ」と呼ぶ人形といる時は、私は一つの個として生きていられるような気がした。
私はそれまで揺らしていたペンを置き、ため息を吐く。そのまま口から吐き出すのは人形からの問いの答え、ではない。いつもの、定型句ともいえる小言である。
「マオではなく魔王だ」
「別にいいじゃないですか」
「……他に誰かいれば不敬罪で首を撥ねていたところだからな」
しかし誰もいないでしょう。人形にしては器用に笑うそいつを尻目に、二度目のため息を吐き出した。
さて、願いか。突拍子もないことを言い出すのには慣れているが、それにしても脈絡がなさすぎる。一体どうしてそんなことを。目で問いかければ、人形はけらけらと笑った。
「だってマオ様ってば完璧な魔王様すぎて気持ち悪いんですもん」
「よーし、今から処刑場行くか」
「ごめんなさい! 後生です!」
冗談だと笑う。人形は「マオ様の冗談はわかりづらいんですよ」と口を尖らせた。失敬な。
「……で、私が魔王であることと願い。それに何の関連があると?」
「いやあ、マオ様ってば自分に厳しすぎるというか……どこまでも「魔王」なんですよね」
それがどうした。公私混同する王ほど醜いものはないだろう。眉をひそめるも、私は何も言わなかった。
人形曰く、私は「魔王」であるために我を捨てているように見える、らしい。たかが人形風情が何を言う、と笑い飛ばすのは簡単だった。だが、それをしなかった。できなかった、と言えるか。
「たまにはマオ様も、魔王様じゃなくて「マオ」様として生きるべきですよ。うん、せっかく生きてるんだし」
「それが願い発言に繋がると」
「いやー、我が主は聡明でいらっしゃる」
聡明も何も、答えはそこにしか行き着かないだろう。私は呆れた。
……さて、願いか。魔王としてならばいくらでもある。繁栄、平和、幸福。それが、国を持つ者としての願い。だが人形が訊いているのはそれではない。魔王という衣裳を捨てた私個人の願いだ。
ううんと唸り、俯いてみる。やはり願いといえば三大欲求になるのか。しかし食べ物はこの身分、既に贅沢できる位置だし睡眠だって今は健全にとれている。性欲、は知らん。知らん。
「……そう、だな」
「何かありました?」
「魔王だとできないことがしてみたい、かもしれない」
「できないことって?」
魔の頂点に立つ者としてできないこと。それでいて、魔王としての考えや価値観を捨てた、私という等身大の存在が本能で望んでいること。それは。
「……恋、をしてみたいな」
恋ですか、と人形は繰り返した。馬鹿にしているかと睨めば「滅相もない」と半笑い。馬鹿にしてるじゃないか。
不機嫌を隠さず眉根を寄せる私に、人形は「いいと思いますよ! 恋、ええ、いいと思います!」と微笑む。オーバーリアクションが気に入らない。
「……そっかぁ。魔王様は、恋ができないのかぁ」
「……弱くなるからな」
色恋に溺死した哀れな存在をよく知っている。だからこそ、この地を平定すると決めた私はそれに溺れることができない。それが魔王としての定めなのだ。
そして流れる沈黙、数十秒。それを打ち破ったのは生来寡黙(人形には嘘だと笑われるが自己評価はそうである)である私、ではなく。やたらと口うるさい人形の方だった。
「なら、これで擬似体験でもしてみません?」
「擬似体験?」
じゃじゃーん。そう言って人形が取り出したのは、奇妙な機械。それと、何やらカラフルな絵が描かれている箱のようなものだった。
「それは?」
「ゲームですよ。乙女ゲーム」
「乙女ゲーム……?」
人形曰く、人間の間で栄えている、恋愛をモチーフとしたゲームなのだとか。電力を用いて、ゲームハードという機械を操作して、乙女ゲームとやらを進めていくらしい。
そんなので私が満足すると思うのか。馬鹿にするも、人形は何故か一歩もひかない。
「……やけに推すな」
「いやいや、『アネイズ』……あ、これ『アネモネデイズ』って言うんですけど、これ本当にいいと思うんですよね!」
「……………………」
「騙されたと思って一度だけでも! ね?」
人形風情がよく喋る。そう思いつつも私はこの人形に甘いのだ。やはり、拾い主かつ名付け親だからか。ペットを無碍にできないようなものだろうか。
「そうそう! 自分と同じ名前の攻略対象がいるんでまずはソイツ攻略しましょう!」
「断る」
どこで育て方を間違えたか。しつこく自分の名前を口にしながらパッケージを指さす人形から目を逸らし、奇妙な形の機械を手に取った。