遠くから見守る者(side 前園)
本編終了後。かつてタツが働いていた居酒屋でタツに懐いていた常連・前園芳樹の視点になります。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「あ、はい。大丈夫ですか?」
「え?あはは、もちろん大歓迎ですよ。こちらどうぞ」
初めての会話はそんなどこにでもあるような店員と客のものだった。
熟年の夫婦が営むその居酒屋にいたその人。
お洒落というより馴染みやすいといった雰囲気の方が強い店内にいた恐ろしく顔の整った男。
まるで芸能人みたいだというのが第一印象だった。
「お兄さん、かっこいいですね。モテんでしょ」
「はは、そう見えます?実際そんなでもないけどありがとう」
竜也さんは、出会った頃から気さくで聞き上手で器用で見るからに良い兄貴分。
見た目が良い奴は性格悪いなんて、そんな言葉の信憑性の無さを証明したような人だった。
初めは何となく1人が寂しくて気まぐれで立ちよった店だったが、竜也さんやオーナー、ママさんの家族のような空気感に安心してしまって気付けば常連になっていった俺。
料理をあまりしたことがなかったという竜也さんの味見係をやったのも良い思い出だ。
料金をかなり安くしてくれた上に、竜也さんの料理は初めから普通に美味しくかなり得をした気分になったものだ。
料理を覚え始めてから店の味を出せるようになるまでそんなに時間はかからなくて、改めて竜也さんがどれだけ器用な人なのか認識する。
1つ年上なだけの竜也さんはそんな風に何をやってもそつなくこなし、その綺麗な顔はいつも笑顔で明るく、人の扱いにも長けた人物で、俺からしてみればどこか遠く憧れに近い情を持っていたのだろう。
きっとこの人は本気になればどの世界でも楽に天下を取れてしまうんだろうなんて本気で思ったことすらあるくらいだ。
それほどに竜也さんという人は俺から見て完璧な男だった。
……なんて、そんなことを久しぶりに思い返して懐かしくなるとは俺も歳を取ったということだろうか。
数日前に久々に会ったからかついつい余韻に浸り回想してしまった。
「おー、今日は1人か。珍しいな、犬っころ」
「……オーナー、俺もう30半ばなんだからそろそろ犬っころは止めてよ」
「ああ?お前もうそんなになんのかよ。立派なおっさんだな」
「オーナーこそまた老けたんじゃないの」
「お前がそんなになるくらい時間経ってんだぞ、当たり前だろうが」
何年かぶりに1人で飲もうと思って足を向けた店は、もう10年以上通っている居酒屋。
昔は中年層ばかりだったこの店も、随分若者が入るようになった。
何でもかつて竜也さんがここで働いていたという噂がどこかから流れた様で、彼のファンが度々訪れるようになったのだと言う。今でもたまに訪れるという竜也さんとオーナー達の写真は店の隅に大事に飾られていた。
10年経てばそんな風に色々なものが変わってくる。
その中でオーナーやママさんは相変わらずだ。
だから相変わらず俺も安心してここに足しげく通っている。
もっとも1人で来ることは減ったが。
会社の同僚や後輩を連れて飲む時、よく使わせてもらっている。
「なんかさー、昨日テレビで竜也さんとちーちゃんの会見見たら懐かしくなっちゃって。あー、青春だったなああの頃の俺」
「……本当にオヤジ臭くなったなお前。あのアホもよくあんなこっ恥ずかしい会見できるもんだ全く」
「とか言って嬉しいんでしょオーナー」
「うるせえ、黙れ」
「おや、何か賑やかだと思ったらよっちゃん!来てくれたのかい!」
「ママさん、こんばんはー。ちょっと聞いてよ、ママさんはちゃんと俺を名前で呼んでくれるのにオーナー未だに俺のこと犬っころ呼びなんだぞ?」
「……会話の内容まるで進化してねえな、本当」
そんな会話をしながらオーナーが出してくれた料理を口に運ぶ。
もう10年以上も食べていれば、第二のおふくろの味のような感覚だ。
店内が忙しくなってきてそっちの相手に回るオーナー達を見ながら、何となくテレビに目を向ければちょうど昨日開かれた会見が流れていた。
どうやらニュース番組のエンタメコーナーらしい。
幸せそうな顔で笑う竜也さん。
ちーちゃんを優しく見つめながら、顔を少し赤くして記者の質問に答えている。
不思議な感覚だと未だに俺は思う。
今テレビの向こうにいる彼は、昔この席の隣で俺と一緒にあのテレビを眺めていた。
他愛ない会話をしながら、愚痴を聞いてもらいながら、そうやって過ごしていたことが最早幻なんじゃないかと思うくらいあの人は遠くに行ってしまった。
あの時はずっと続くとすら思っていた日々は、もうおそらく一生訪れない。
そう思うと元来あまりポジティブじゃない俺はかなり寂しく思ってしまう。
「竜也さんはあんな風に笑うんだなあ」
ついついそんな独り言が口からこぼれた。
竜也さんの本当の笑みを知ったのも、竜也さんの葛藤を知ったのも、竜也さんが芸能界という世界に戻った後のことだ。
あの人が元芸能人、それもあの有名なフォレストの元メンバーだということは本人から聞いていたが、それでもいまいちピンと来ていなかった。
けれど、公開オーディーションで優勝した後のテレビの騒ぎ様と昔の映像が流れると、本当に竜也さんが住む世界の違う人物だったのだと実感した。
そして何よりも覚えているのは、いつもさわやかに笑い何でもそつなくこなす器用な人だと思っていた竜也さんが実は誰よりもコンプレックスを抱え必死にもがいていたのだと知った時の衝撃。
あれは確か竜也さんが再デビューして1年くらい経った頃に放送されたぼたんの密着取材だ。
竜也さんやシュンを過去から含めて徹底密着した1時間のドキュメンタリーは記録的な視聴率を叩きだした。
俺も気になって録画までして観たが、再生したことは実はない。
竜也さんやシュンのことを分かった風でいて何も分かっていなかったのだと知ってしまったショックが強すぎたからだ。
『20代半ばになると早い奴なら家庭を築いてるじゃないですか。ほとんどの人間は将来をしっかり見据えて地に足付け生きてる年齢です。そんな中で俺は才能も能力もないままこのままで良いのか、焦りのようなものばかりでしたよ本当は』
苦笑しながらインタビューに応じていた竜也さん。
俺は音楽は分からないから、竜也さんの言う音楽の才能なんてのも正直さっぱり分からない。
しかし、あの人が例えばシュンやちーちゃんのような才能持ちに囲まれ何年も葛藤しながらあの日々を送っていたのだということはその声を聞けば察してしまえる。
完璧な人などこの世にはいない。
分かっていたはずなのに、全く気付けなかった。
あの笑顔が本当のあの人の笑顔だとばかり思っていて、あの人の人生は順風満帆で羨ましいとすら思っていた自分を殴りたくなったのは秘密の話だ。
一見何でもできそうな竜也さんにだって出来ないことはやまのようにあって、大きな壁は常に目の前にある。どんな人間だってそうなのだと、そんな当たり前のことに俺は思い至れなかった。
俺の前であれだけ綺麗に笑いながら、あの人はどれだけ努力を重ねたのだろう。
思えばあの人の手はいつだって硬くマメだらけだったというのに。
そんな弱さを見せず地道に努力を積み上げ這い上がったあの人のことを、どうして俺は何でも器用にこなせる完璧な人だなどと思っていたのだろう。
俺が気付けたところで何が変わったわけでもないだろうが、そんなことを思うことがたまにある。
「なにしんみりしてんだよ、犬っころ。ありゃただの幸せボケした情けない面だ」
今さら遅い後悔をしていると、いつの間にやら目の前にオーナーがいる。
心底呆れた顔をしながらバシッと頭を叩かれた。
……相変わらずこの人は遠慮というものがない。
そう言うところが好きで通ってる俺も大概だが。
「俺さ、竜也さんがあんな風に柔らかく笑う人だと思わなかったんだよ。それ以前にあんな努力家な音楽バカだとも知らなかったし。人の本質ってものを俺は見る目がないなってさ」
「……真面目な顔してっからなに考えてるかと思えばそんなことかよ。ったく。客相手に私情持ちこむような奴なら俺は雇ってねえよ。良い大人がそうほいほい客にまで弱音見せてどうすんだ」
「いや、そうなんだけどさ」
「それに、あのアホがお前といたときに見せた顔も別に嘘じゃねえだろ。あいつはお前にも随分救われたって言ってたぞ」
「は?」
予想外のオーナーの言葉に俺は目を瞬かせる。
やっぱり気付いてなかったかとため息をこぼすとオーナーはテレビを指差した。
「見ろ」ということらしい。
よく分からないが、視線を移せばテレビの中では未だに竜也さんとちーちゃんの結婚会見の様子が流されている。
『周囲の人に結婚の報告はされましたか?どのような反応があったかお知らせ下さい』
『家族には真っ先に報告しました。俺の家族は皆“やっとか”って言ったり“逃げられない様しっかりしろよ”と言ったりしてましたね。俺よりちぃさんの方に皆夢中の様で実家なのに肩身が狭いというか』
『あはは、それは是非見たかったです。ちぃさんのご家族には?例えばチトセさんなどは』
『はは、皆様のご想像通り非常に難航しましたよ。非常に。チトセくんは表立って反対はしないんですが、笑顔が怖いのなんのって』
『う……ごめんなさい。千歳くん私のこととても大事に思ってくれてるから』
『そう、そうなんですよ。ちぃさんはちぃさんでチトセくん大好きなもんでチトセくんの情に訴える作戦にまんまと乗せられそうになったり。まあちゃんと承諾して応援してくれていますが』
何のことはない会見の内容に俺は首を傾げてオーナーを見る。
するとオーナーは俺の気持ちを見透かしたように「良いから黙って見ろ」と言って頭をテレビに向けさせた。……意外と力が強い。
『あと、他にはデビュー前に世話になっていた人達の元にも報告に。俺にギターを教えてくれた恩師や世話をしてくれた奥さん、あと偶然当時仲良くしてた店の常連にも会えまして。懐かしかったですね』
そうして響いた言葉に俺は目を見開いた。
そう言えば仕事の合間に少しだけ見ていたから、ここまでは見れていなかったのだと今さら思い出す。
テレビ越しに見える竜也さんの顔は、変わらず穏やかで柔らかい笑顔だ。
仲良くしてた店の常連。
それが俺のことだと思えたのは、竜也さんのその口調や表情に少し俺の知っている懐かしい彼の空気が混ざっていたからだ。
『自信喪失だった俺を投げずに接してくれた人達です。あんな俺に根気強く接してくれた師匠達や、あんな状態の俺に懐いて色々話相手になってくれた人に報告できたのは本当嬉しかったですよ』
そう笑う竜也さん。
思わず目頭が熱くなるが、30半ばの涙などカッコ悪過ぎるので必死に堪える。
「ま、そういうことだ。本質なんか見えなくとも、繋がれることはあるってことだよ」
「ちょ、やめて。いま感極まって泣きそうなの必死に堪えてんだから、涙線刺激しないで」
「……泣くなよ、お前は。それより、またいつか皆で飲みたいってあいつ言ってたぞ。お前のとこに娘がいるって聞いて随分興味ありそうな顔してたから声かかんじゃねえか」
オーナーは乱暴な言葉遣いなくせして人の感情の機微を読み取るのが絶妙で、自然な話題転換が今は非常にありがたい。
そしてその内容に思わず笑ってしまった。
「声がかかるって、俺竜也さんの連絡先知らないんだけど」
「シュンが知ってんだろ。確かお前昔酔った勢いでシュンに連絡先押しつけてたよな。あいつお前の電話番号変わってないか聞いて来たぞ」
「……やべえ、全然思い出せない。というか、なんでオーナーに確認すんだシュンも」
「お前の連絡先俺も知ってるからな。店に財布忘れたのつい最近だろ」
「……そうだった。その節は大変ご迷惑を」
そんなアホみたいな会話をしていく中で気分が浮上していく。
俺は元来ポジティブではないが、ネガティブでもない。
単純な性格をしているから、こんな些細なことでもすぐ嬉しくなってしまうのだ。
「そんならいっそのこと皆でバーベキューでもしたいね。いつか生まれる竜也さんとちーちゃんの子供とかも会ってみたいし」
「そりゃ煩くなりそうだな」
「良いじゃん、賑やかなのは楽しいぞ。うちの奥さんも姫たちも芸能人に会えるってなったら喜ぶし」
「きっとタツは驚くだろうよ。お前が家族にデレッデレなとこ見たら」
「いやあ、そりゃ仕方ない。可愛いもんは可愛いんだから」
「……お前も人のこと言えねえじゃねえかよ。緩み切った顔しやがって」
呆れたような顔のオーナーも昔と比べ少し柔らかくなったように感じる。
竜也さんがああして笑えるようになるまでに時間は流れ、そしてそれと同じだけ俺にも時間が流れた。
10年前のあの眩しい時間はもう帰ってこないが、そのぶんあの時よりも世界は大きく開いたと思う。
きっとそうやってまた10年後も、今日を懐かしむ日が来るんだろうなんて唐突に思った。
少し寂しくはあるが、楽しみでもある。
何だか情けない笑顔になりながら、俺はテレビの向こうで幸せそうに笑う竜也さんを眺めた。
どうか幸せにと、今じゃそう気軽に会えなくなった憧れの人に向けて心で願いながら。
竜也さんとちーちゃんのもとに待望の第一子が生まれ生活が少し落ち着いた頃、本当にシュンから連絡が入り賑やかなバーベキューが実現されることになるのはこれからさらに5年後のことだったりする。




